『「1万人の第九」第25回記念「第九」コンサート』と『”志望のきっかけ”考』・・・今冬の「1万人の第九」関連話2題
今冬の「1万人の第九」の合唱団員募集の受付が始まってまもなく1週間が経とうとしています。
そして今冬は、本家「1万人の第九」の25回目を記念して、一般公募で結成の合唱団による協賛「第九」コンサートを別途東京・サントリーホールにて開催、そのための合唱団員募集の受付が明日(6月11日)から始まります。こちらの募集期間は6月29日(金)までと、本家より4日間長くなっています。
なお、公演日時は本家と全く同じ(12月2日・15時開演)、つまり同時開催です。
で、この東京で開催の「サントリー1万人の第九」第25回記念”サントリーホールで第九を歌おう!”については去る6月2日掲載の記事の中でも取り上げましたが、この際、指揮者(渡邊一正)の人選についてもお話ししました。
ところがその記事の掲載から数日後、渡邊一正に関して新たな事実が判明しました。
実は渡邊一正も”佐渡裕の手兵”シエナ・ウインド・オーケストラを幾度か指揮していることが判明したのです。
これにより、渡邊一正も佐渡裕と何らかの関係を持っている可能性を指摘出来るところなのですが・・・
問題はその渡邊一正がシエナ・ウインドを指揮した具体的な時期。
残念ながら、ネット上の公開情報だけでは、具体的な指揮者としての出演時期まではわかりません。
ちょっとここで”佐渡裕の手兵”シエナ・ウインド・オーケストラについて簡単にご紹介しますと・・・
シエナ・ウインド・オーケストラは1990年に設立された吹奏楽団で、今でこそ”シエナといえば佐渡裕”とすぐ連想されるほど、このブラスバンドと佐渡裕とのつながりは濃密なものとなっているのですが、その佐渡裕がこのブラスバンドを初めて指揮したのは1997年6月、第3回定期演奏会に於いてのことでした。その5年後の2002年には首席指揮者に就任、これで佐渡裕とシエナとの関係は決定的なものとなったわけですね。
でも、逆に言うならば、1990年の結成時から1997年まで(正確には1997年5月まで)の間、佐渡裕とシエナとのつながりはなかったわけなんですね。
そこで、渡邊一正がいつ頃シエナを指揮していた(シエナと共に仕事をしていた)かで、佐渡裕との接点を持ち得たか否か、考えてみることにしました。
まず、仮に2002年以降(正確には2002年9月以降)に一度でもシエナを振っていたとすれば、佐渡裕は既にシエナの首席指揮者として共に仕事をしていることになりますから、佐渡裕と何らかの接点を持っていたことは想像に難くないところでしょう。
次にシエナを指揮した時期が1997年前半より前だったと仮定した場合、この頃佐渡裕はシエナと何の関わりも無かったことになりますから、佐渡裕との接点は持ちようがないということになりますね。
そして、もし指揮していた時期が1997年後半から2002年前半の間だった場合、この頃には佐渡裕とシエナは一定の関係は築いていたでしょうが、その関係はいわば発展途上の段階にあることから、渡邊一正と佐渡裕との接点を持ち得たかどうかについては、可能性はありますが、これだけで接点を持つことが出来たかどうか判断することは出来ません。
と、ある意味当然のことを書き並べただけとなってしまいましたが、要は渡邊一正も佐渡裕との接点を持ち得た可能性はある、ということがわかってきたわけです。
それにしても変人だなぁ、私《昔からなんですけどね》・・・・・・
さて話は変わりますが、先日やはり当ブログに掲載した「「1万人の第九」合唱参加、ネット上から申込・・・」という記事の中で、「1万人の第九」合唱参加申込みに際して今年から新たに記入を求められている”志望のきっかけ”(いわゆる”応募動機”ですね)について話しましたが、このことに関して、実は先日、「1万人の第九」合唱指導者の一人で関西歌劇団団員でもある有元正人氏を通じて、主催者である毎日放送(MBS)に尋ねることが出来、このほど「1万人の第九」担当プロデューサーのコメントが有元氏からのメールに載せられた形で届きましたので、ここでお話ししたいと思います《有元先生、多謝!》。
その担当プロデューサーのコメントですが、有元氏から頂戴したメール文面からの引用という形で、ご紹介しますと・・・
ご指摘の「志望のきっかけ」ですが、1万人の方おひとりおひとりにドラマがあって毎回感動させられたり、考えさせられたりスタッフが逆に勇気づけられたりするもので今年は是非この質問をしたかったのです。 勿論、ネット上でも入れたかったのですが、システム上、今回は受け体制ができず残念ながら今年は郵送分だけに留まりました。抽選に影響するなど、全く関係ないんですよ。 |
・・・・・《以下省略》・・・・・ |
この文面を見て、かつて日本テレビ系列で放送されていた『ルックルックこんにちは』の中の一コーナー「ドキュメント・女ののど自慢」を思い出してしまいました《あらら、他局の話しになってしまってる・・・でも日テレ系のよみうりテレビの社屋は大阪城公園北側のOBPの中(北東端)にあるんですけれどもね》。
あのコーナーは確か、出場者一人一人のプロフィールを一通り紹介し、その後各自の持ち歌を披露、居合わせたスタジオ見学者が採点してもらう、というものだったように記憶しているのですが、そのプロフィール紹介では、ただ経歴を紹介するだけでなく、いわゆる表向きの”経歴欄”には現れてこない人間ドラマなども事細かに紹介され、そこで出場者一人一人が作り上げた人生のドラマというものを視聴者等に感じさせるようなつくりになっていたような気がします。
これと同様に、「1万人の第九」に於いても、そこに合唱参加している一人一人が様々な思いを抱きつつ、所定のレッスンで練習を重ね、あの大阪城ホールに集って共に「第九」を歌い上げる・・・いわば”ドキュメント・「第九」大合唱”といった感じですネ。
これは決して惰性で参加すべきものではないな、と私自身改めて思った次第デス。
それはさておき、この”志望のきっかけ”絡みで当選確率には影響しないとのことだから、まずは安心してよさそうですね。
ただ、その代わりとして、もしかすると、ネット上からの申込みで当選した場合、レッスン初回受講時の開始手続きの際に”受講のきっかけ”の記入をさりげなく求められていたりして・・・
ま、その時になってみないとわかりませんけれどもね。
それより、まずは第1関門通過(当選)が先ということで・・・・・・
【関連記事(「1万人の第九」レッスン2007)】
〔0〕合唱参加、ネット上から申込・・・
〔1〕本番に向けてレッスン開始
〔2〕富岡先生が有元先生の代役として…
〔3〕写真撮影と「第九ひろしま」パンフ
〔4〕「第九」の終わりまで…
〔5〕パート間垣根を取っ払って”シャッフル練習”
〔6〕2グループに分けて”舞台稽古”!?
〔佐渡〕佐渡練(佐渡裕特別レッスン)に出席
〔リハ〕いよいよ「総合リハーサル」へ
〔本番〕素晴らしい天候の下での「万九」
【関連記事(2008年開催「1万人の第九」)】
「大阪「サントリー1万人の第九」2007年(第25回)開催分の関連リンク集」《中継ページ》
【関連記事(本文関連)】
「今冬の「1万人の第九」(第25回公演)公式サイト」
「「1万人の第九」今冬開催分、合唱団員募集要項ネット上にて公開さる!」
「補足・・・今冬の「1万人の第九」公式サイト」
「今冬開催分「第25回1万人の第九」レッスンクラス発表・・・要項全て出揃う」
「「第25回1万人の第九」合唱団員募集要項の補足(レッスンクラスの話)」
「今冬開催分の「1万人の第九」合唱団員募集要項、モバイル(携帯)版公式サイトの公開を確認」
「今冬開催「1万人の第九」合唱団員募集要項、新聞にも掲載。モバイルも・・・」
「「1万人の第九」・「第九ひろしま」・「5000人の第九」~現時点進捗状況について(?)」
「いよいよ明日(10月14日→”鉄道の日”)から前売開始・・・・・・大阪「1万人の第九」公演チケット」
「本番まで20日弱の「1万人の第九」と1ヶ月少々の「第九ひろしま」・・・最新情報等を」
「大阪の「1万人の第九」公演本番を明後日(12月2日)に控えて・・・《ベートーヴェン「第九」ライヴ放送情報も》」
「第25回「1万人の第九」の”水回り”話・・・同日に城陽市で関西フィルの「第九」」
「第25回「1万人の第九」の”水回り”話(2)・・・「第九応援合唱団」と「第25回特別合唱団」のこと」
「ベートーヴェン「第九」尽くしの1日!?・・・・・・「1万人の第九」、NHK交響楽団「第9」公演 他」
「名古屋にも「1万人の第九」があった!?・・・1989年、名古屋市制100周年記念。リニア、新幹線に熱中のJR東海が協賛」
« 「日暮里・舎人ライナー」試運転へ・・・・・・東京都交通局の新交通システム | トップページ | ヘイノ・カスキ(Heino Kaski;1885-1957)の『交響曲ロ短調』・・・聴き逃してしまった方へ »
« 「日暮里・舎人ライナー」試運転へ・・・・・・東京都交通局の新交通システム | トップページ | ヘイノ・カスキ(Heino Kaski;1885-1957)の『交響曲ロ短調』・・・聴き逃してしまった方へ »
コメント