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約2年11ヶ月の時を経て甦った飛騨山脈を行き交う鉄路(2)・・・高山本線全線運転再開!それぞれの思い

 いやぁ、お日様が顔を出すとまだまだ暑いですね~

 尤も一時の”猛暑”ほどではない感じなのですが・・・

 

 まぁ少なくとも10月の声を聞くまでは厳しい残暑は続きそうですネ。

 

 

 さて、前回から、去る9月8日に全線で運転を再開したJR高山本線のことを、関連する新聞記事を交えながら、綴っています。

 

 

 前回は線路が全て繋がった時から全線運転再開の前日までを追ってみました。

 通学の足として、また病院通いの足として、地元の人々に親しまれている高山線が3年前に襲来した台風23号で寸断、3年近くの間不通の状態が続きました。

 

 5月中に線路の敷設が完了し、更に2ヶ月半後には信号等の諸設備の復旧も完了、そして試運転も始まりました。
 試運転にはJR東海管内の路線の検測に用いられる「ドクター東海」を初めとして、高山線の特急で運用されているキハ85系ディーゼルカーも駆り出され、地元住民に希望を与えたこと等は前回お話ししたところであります。

 9月に入ると地元住民の手で全線運転再開を祝おうとする動きも見られましたし(飛騨古川駅)、運転再開前夜にはチンドン行列や和太鼓演奏等のステージで盛り上がったり(杉原駅)等、運転再開に向けて地元住民たちのボルテージは高まる一方でした。

 

 

◎ 全線運転再開当日の朝・・・

 運転再開の朝、最後まで不通だった区間の沿線に暮らす住民はこの日をどのような気持ちで迎えたのか・・・

 

復旧に尽力「待ちわびたこの日」 宮川区長会長
《岐阜新聞Web版・2007年09月08日07:45付け掲載記事》

 「この日を待ちわびていた。言葉では言い表せないほどうれしく、感謝している」。台風23号被害で一部不通となっていたJR高山線が8日、ほぼ3年ぶりに全線開通した。最後まで復旧が遅れていた角川―猪谷駅間沿線の飛騨市宮川町地域。宮川区長会長を務める秋田一彦さん(67)=同町林=は満面の笑みを浮かべ、住民の喜びを代弁した。
 富山県境に近い同町は、宮川沿いに南北約24キロにわたって集落が点在している。2004(平成16)年10月の台風23号で宮川がはんらんし、幹線道路や鉄道、電気、通信網が寸断され、一時は孤立状態となった。
 「夜更けに鉄砲水が来た。近所の家や避難場所の公民館を見回ったが、辺りは停電で真っ暗。途方にくれた」と、秋田さんは当時を振り返る。「高齢者を背負い、腰まで水に漬かりながら救出した消防団員がいた。あれほどの災害でけが人が出なかったのは奇跡としか言いようがない」
 台風被害から約1カ月後に、高山―飛騨古川駅間が運行を再開。宮川町地域でも国道の復旧工事が急ピッチで進み、バスによる代行輸送も始まったが、肝心の鉄道は復旧の見通しが立っていなかった。
 「このまま廃線になるのでは」。通学や病院通いなどで不便な生活を強いられる中、住民の間に不吉なうわさが広がった。
 25人の区長を束ねる秋田さんは、市や県担当者と何度も協議を重ね、JR側へ早期開通の要望書を提出した。そして被災から半年後、JR東海は2007年秋全面復旧の工事計画を発表。「不安が消し飛んだ。これからは待つかいがある」。沿線住民に笑顔が戻った。
 先月、秋田さんらは宮川町独自でJR全線再開記念イベント実行委員会を立ち上げた。7日の前夜祭、代行バス運転士への花束贈呈式に続き、8日は住民が最寄りのJR各駅に集まり、小旗を振って列車を見送る。

 

 この記事の中程で停電で真っ暗な中を高齢者を背負って救出していた消防団員の話が出てきますが、この話から、同じ台風23号で京都の舞鶴市を流れる由良川が決壊し、冠水した国道175号線で立ち往生した観光バスに乗っていたツアー客等37人がその観光バスの屋根に避難、真っ暗闇の中、一晩救助を待ち続けたという話を連想しました《→「平成16年台風23号時の大野ダムの洪水調節~由良川でバスが立ち往生~」》。

 少し横道に逸れますが、神戸新聞Webサイト内に残る「バス水没、救出までの経過 絵に刻む 朝来の中島さん 」という記事の中で、当時その観光バスの乗客の一人だった兵庫県朝来市の主婦・中島明子さんが、由良川決壊による国道の冠水から救助に至るまでの出来事について、次のように記録として残しています。

 

「(10月20日)21時すぎ?バスの中に水が入り始める。窓から脱出を始める。正直言って屋根になんかとても上れない」
  ↓
「22時57分 水は屋根を超してきた」
  ↓
「(10月21日)3時 『上を向いて歩こう』を歌おうと提案」
  ↓
「6時 ヘリコプターが飛ぶ。助かったと思うと同時に、三十七名無事であることに感動し、涙が出て困った」

 

 やはり停電のため暗闇だった中での出来事で、しかもバスの屋根まで水が来ていた状況の中、乗客たちが必至に耐え抜いていたことがこの記録から窺えますネ。

 なお、この舞鶴での出来事は、その後、小学校の道徳の教材にもなっています《→「台風23号の下で耐えて歌った10時間~トマトバスの屋上~」》。

 

 話を戻しますが、台風襲来時、暗闇の中、地区内を巡回し、台風が過ぎ去った後は寸断された区間の廃線という不吉な噂が地域内で広まる中、地元自治体と協議を重ねてJR東海に対して早期復旧の要望を出す等、寸断された地元の鉄路復活に走り回った飛騨市宮川町地域のとりまとめ役にとって、全線運転再開当日の朝は格別の思いで迎えたことでしょう。

 

 勿論、地元自治体や観光関係者も大いなる期待を寄せているわけで・・・

 

JR高山線:きょう3年ぶり全線復旧 角川-猪谷、運転を再開 /岐阜
《毎日新聞(MSN毎日インタラクティブ)・2007年9月8日付け掲載記事》

 04年10月の台風23号被害で不通になっていたJR高山線の角川駅-猪谷駅間で8日、運転が再開する。被災から約3年。ようやく台風23号で寸断された高山-猪谷間52・8キロすべてが復旧し、名古屋から富山への鉄路がつながった。県外から多くの観光客を運んで来てくれるのではと、過疎・高齢化が進む山間地域の住民たちは期待している。【中村かさね】
 
◇飛騨、観光客増に期待
 大きな被害が出た飛騨市宮川町。JR高山線は高齢者や学生の生活の足としての役を担っていた。このため、市街地に移住せざるを得ないケースもあったといい、同町の過疎高齢化は深刻化した。
 飛騨市に合併した04年2月1日の人口は1057人だったが、現在は126人減の931人に落ち込み、高齢化率は4・07ポイント上がって40・49%(同36・42%)になっている。
 同町の観光施設「飛騨まんが王国」の観光客数は、被災前の03年と比べ、年間約1000人落ち込んだ。同施設は富山からの来客が多かったため、不通が大きく響いてしまったかたちだ。同施設は「車を運転しない若い世代の来館が増えるのでは」と、運転再開に期待する。同市商工観光課の渡辺康智さんも「高山線は太平洋側と日本海側をつなぐ貴重な鉄道。山の幸と海の幸を楽しむ旅行も計画でき、観光客誘致で市の活性化を望める」と話す。
 
 観光政策を今年度の施策の柱として進める県も、再開に熱い視線を送っている。東海環状自動車道や中部縦貫自動車道などの道路網の整備は進んでいる。退職し時間がたっぷりある団塊世代が増えており、県は「大交流時代の到来」と意気込む。10月からはJR6社とタイアップした大型キャンペーンも予定しており、県内の観光スポットが集中する飛騨地域にとっては、まさに満を持しての運転再開。岡田芳和・県観光交流課長は「観光立県への大きな一歩にしたい」と意欲をみせた。

 

 観光施設「飛騨まんが王国」を擁する飛騨市宮川町の観光実情について、朝日新聞Web版に運転再開前日にあたる9月7日付で掲載の「高山線あす全線復旧 観光効果沿線期待」という記事では更に詳しく報じていますが、その部分を以下にて抜き出しますと・・・

 

…富山県との県境に位置する、飛騨市宮川町杉原の観光施設「飛騨まんが王国」。台風の前の03年度に約3万7千人だった来場者が、05年度には約2万8千人に減った。支配人の吉村博行さん(58)は「高山線の不通が響いた」と分析する。
 約4万冊の漫画を有する「まんがサミットハウス」や温泉、スキー場を備えた宮川地域有数の観光スポット。小中高生の団体客の多くは高山線を利用していたため、復旧に対する期待は大きい。  客の約7割は富山県から。吉村さんは「不通の影響で、富山から来にくいというイメージもあった。客が戻ってくれれば」と期待を込める。
 まんが王国近くの同市宮川町小豆沢の「杉原観光やな」は、天然アユの塩焼きが売り物だ。落ちアユが多い時期には、跳びはねるアユを手づかみできる。しかし、台風による土石流で、やな自体が土砂に埋まり、国道からやなに下りる道が通行止めになるなど大きな被害を受けた。
 やなは8月12日にようやく営業を再開。9月中旬以降の落ちアユのシーズンに間に合った。やなの副組合長を務める尾上昇さん(80)は「アユを食べながら酒を飲んでも列車で来れば大丈夫。高山線復旧で客が増えて欲しい」と期待を込める。…

 

 前回掲載の記事で長引く不通で人口が流出した話をしましたが、最後まで不通となっていた区間を抱えていた宮川町では人口の1割以上が転出、更に宮川町にある観光スポットも鉄路寸断で大打撃を受けていたようで、それだけに地元の人たちの高山線に対する期待は大きいものがあると感じます。

 

 

◎ 全線運転再開へのテープカット

 いよいよ、この瞬間が訪れました。

 出発式は岐阜県側では一部区間不通状態だった昨日まで特急の終着駅だった飛騨古川駅にて、富山県側では高山線の終点・富山駅にて、それぞれ挙行されました。

 

 岐阜県側、飛騨古川駅では・・・

 

JR高山線が全線再開 台風被害から3年ぶり
《岐阜新聞Web版・2007年09月08日付け掲載記事》

 2004年10月の台風23号被害で不通となっていたJR高山線の角川(飛騨市河合町)―猪谷(富山市猪谷)駅間27・5キロが復旧し、8日早朝から運行を再開した。沿線住民が待ちわびた約3年ぶりの全線開通。地元の飛騨市では、飛騨古川駅を中心に多彩な祝賀行事が繰り広げられ、詰め掛けた市民らが喜びに沸いた。
 
 この日、下呂駅に向かう始発列車が午前5時31分に猪谷駅を発車したのを皮切りに、特急「ワイドビューひだ」も通常運行した。
 飛騨市古川町の市文化交流センターでは、午前9時20分からJR高山本線全線再開記念感謝式典が行われた。会場には古田肇県知事、齊田道男富山県副知事、船坂勝美飛騨市長、松本正之JR東海社長ら関係者約500人が出席。
 主催者を代表して船坂市長が「大災害から3年間、まさに驚異的なスピードで復旧作業を進めていただき、全線再開が実現した。沿線住民の方はもちろん、飛騨地域を挙げてこの復興に対する感謝の気持ちを伝え、喜びを分かち合いたい」とあいさつした。
 引き続き、飛騨古川駅ホームでJR東海主催の記念セレモニーがあり、名古屋駅を出発した最初の富山行き特急「ワイドビューひだ1号」が同駅に到着すると、同市河合町角川、吉澤果穂ちゃん(4つ)から運転士に花束が贈られた。
 同駅前広場では、古川祭の屋台9台すべてが引きそろえられたほか、からくりや獅子舞などの妙技を披露された。同駅と復旧した同市宮川町の坂上駅を往復する駅伝大会や、地元の特産品を集めたバザーも開かれ、大勢の市民や観光客らでにぎわった。

 

 この飛騨市古川町の飛騨市文化交流センターに於ける記念式典と飛騨古川駅に於ける出発式の模様については、朝日新聞Web版(アサヒドットコム)に運転再開翌日にあたる9月9日付で掲載の「高山線全線復旧 喜び乗せ 響く線路」という記事にて、もう少し詳しく報じられていますので、その部分だけ紹介しますと・・・

 

…市主催の記念式典は、午前9時20分、同市古川町若宮2丁目の市文化交流センターで始まり、船坂勝美市長らがあいさつした。高山線で県立飛騨高山高校(高山市)に通学している沢之向未代子さん(18)が「朝4時半に起きていたが、つらかった。これからは復旧の喜びをかみ締めて通いたい」と謝辞を述べ、やはり高山線で同校に通う間所紗織さん(17)が、JR東海の松本正之社長に花束を渡した。
 その後、参加者らは飛騨古川駅前でJR東海主催の出発式に臨んだ。テープカットの後、ホームに移動し、名古屋発の特急「ひだ1号」を出迎えた。午前11時15分に列車が駅を出ると、近くの陸橋や線路沿いに集まった人たちも、列車を名残惜しそうに見送った。…

 

 この日を待っていたんだ、そんな地元民の気持ちというものが表れていた印象です。

 

 この飛騨古川駅等で行われた記念式典、少し角度を変えて(というかもう少し詳しく)報じている記事を毎日新聞にて見つけました。

 

JR高山線:角川-猪谷、運行再開 飛騨「第2の夜明け」 /岐阜
《毎日新聞(MSN毎日インタラクティブ)・2007年9月9日付け掲載記事》

◇記念イベントさまざまに
 JR高山線の角川駅(飛騨市河合町)-猪谷駅(富山市)間27・5キロが3年ぶりに運行を再開した8日、飛騨、高山、下呂の3市はこぞって全線再開を「飛騨の第2の夜明け」と形容し、さまざまな記念イベントを実施した。飛騨市の飛騨古川駅前には古川祭の屋台9台も勢ぞろいして祭り気分を再現。日本海側と太平洋側を結ぶ鉄路の復活に、歓喜の声が町中に響いた。【奈良正臣】
 
 飛騨市の船坂勝美市長は、同市文化交流センターで午前9時20分から行なわれた「全線再開記念の感謝式」であいさつ。「実のところ、私は3年前、被災現場を見て復旧は無理だと思っていた」と当時の被害の甚大さを振り返り、「復旧が進むにつれ、高齢者に優しい乗り物・鉄道の時代は必ずやって来ると確信した」と、JR東海への感謝を述べた。
 同駅前で行われた特急「ワイドビューひだ」の出発式では、JR東海の松本正之社長が「待ちに待った日が来た。沿線住民とのチームワークで復旧工事が完了したと思っている。被災現場は(災害に)強くなって生まれ変わった。大勢の人に高山線を利用していただき、岐阜県のメーンレーンとして発展させたい」と力強く語った。
 飛騨市観光協会の村坂有造会長は「復旧を機に、手つかずの自然の中を走る各駅停車・高山本線をアピールしたい」。古田肇知事は「太平洋と日本海を結ぶ高山線は県にとって大交流時代の夜明け」と表現した。
 出発式には、沿線住民が午前7時55分杉原駅発の列車で駆けつけた。列車は災害当日、打保駅で運行不能となり、2年半近く打保駅構内に取り残されていた客車だ。この春に“救出”されて紀伊半島の紀勢線を走っていたが、高山線に戻って務めを果たすことになったという。
 
 高山市は高山駅に到着したワイドビューひだ車内で、豪華な景品が当たる「飛騨高山大抽選会応募券」を配布。同駅で下車した乗客全員に、飛騨の伝統工芸品「イチイ細工」のはしをプレゼント。下呂市は下呂温泉の芸妓(げいぎ)やキャンペーンレディーが富山駅(JR西日本)でオリジナルタオルを贈った。また下呂駅前では、下呂温泉太鼓会が歓迎太鼓を演奏し、同駅に下車した乗客へ特産のフルーツトマトをプレゼントした。

 

 更に下呂駅で行われた太鼓演奏とフルーツトマト無料配布について、読売新聞Web版に運転再開翌日にあたる9月9日の日付で掲載の「喜び ひとしお 高山線 全面復旧」という記事は、午後2時過ぎに特急が下呂駅に到着すると地元の龍神太鼓保存会のメンバーが「祝い太鼓」や「豊年太鼓」などの祝いの太鼓を打ち鳴らして乗降客を歓迎、下呂市職員らが高山線利用の観光客らに地元特産のフルーツトマト約120袋を手渡して歓迎した、と伝えています。

 

 で、あとで触れますが、飛騨古川駅での記念式典には2年以上不通区間に取り残されていたディーゼルカーが、最後まで残った不通区間の沿線に暮らす住民たちと共に姿を現すという、変な話、ある種の”演出”が加わっていたことも特筆されるところでしょう《”演出”と捉えるべきか否か、微妙なところですが》。

 

 また岐阜県内では、この他、高山駅でも動きが見られたようで・・・

 

秋の高山祭告げる大のぼり 高山線復旧も祝う
《岐阜新聞Web版・2007年09月08日付け掲載記事》

 絢爛(けんらん)な屋台が飛騨路を彩る秋の高山祭が来月9、10日に迫り、開催をPRする大のぼりの据え付け作業が8日、高山市昭和町のJR高山駅前で行われた。
 のぼりは2本で、縦10・3メートル、幅0・7メートル。同市出身の小説家故瀧井孝作さんが揮ごうした「飛騨高山祭」の文字が染め込まれている。
 例年は、開催のちょうど1カ月前にあたる9日に設置されるが、今年は8日のJR高山線の全線運転再開を祝う意味を込め、特別に作業が行われた。
 岐阜地方気象台高山測候所によると、8日の同市の最低気温は24・9度(平年21・4度)で高め。蒸し暑さの残る中、道行く市民や観光客が、秋の訪れを告げるのぼりを感慨深げに眺めていた。
 同市観光課では、およそ20万人の人出を見込んでいる。

 

 祝賀行事の類こそ行われなかったものの、静かなる”祝賀行事”となったようですネ。

 

 一方、北陸本線富山地鉄等への乗換駅にもなっている富山県側の富山駅では・・・

 

飛越の動脈 復活 高山線 3年ぶり全通
《北日本新聞Web版・2007年09月08日付け掲載記事》

 平成十六年十月の台風で線路や橋が流され不通となっていたJR高山線の猪谷駅(富山市猪谷・細入)―角川駅(飛騨市河合町)間(二七・五キロ)が八日復旧し、同線は約三年ぶりに全線開通した。JR富山、飛騨古川駅で出発式が行われ、開通を祝った。
 
 JR富山駅では、一番ホームで特急「ワイドビューひだ号」の出発式が行われ、大勢の親子連れや鉄道ファンが集まった。
 細野文雄JR西日本金沢支社長があいさつし、石井知事は「婦中に新駅を造る計画も浮上しており、東海地方への大動脈がいよいよ動き出す」、森富山市長は「市は列車増発の社会実験に取り組んでいる。来年三月のダイヤ改正までに新駅整備に取り組み、飛越連携を深めたい」と述べた。
 テープカット、くす玉割りの後、一日駅長の富山市の小学生、大井隆寛君(8つ)、浦野真奈美さん(9つ)が出発合図をし列車が飛騨方面へ出発した。
 孫や妻と三人で小旅行を楽しむため列車に乗り込んだ広明広さん(75)=富山市新庄町=は「素朴な沿線の魅力を満喫したい。自分の誕生日でもあり、忘れられない日になる」と話していた。
 飛騨市古川町のJR飛騨古川駅前で行われた出発式には、古田岐阜県知事、船坂飛騨市長らが出席。松本正之JR東海社長があいさつした。古川祭の祭り屋台九台が並ぶ「引きそろえ」があり、祝賀ムードを盛り上げた。同駅近くの市文化交流センターで記念感謝式典があり、富山県から齋田副知事、森富山市長が出席した。
 JR富山駅では高山線全線開通を取り上げた北日本新聞の連載記事のコピー、飛騨市では特集が掲載された八日付北日本新聞朝刊が乗客や式典出席者に配られた。

 

 地元富山のみならず、飛騨古川駅等での記念式典の場等でもちゃっかり自分ところの新聞社の宣伝をしていたんですネ・・・

 それはともかくとして、こちらも、飛騨古川駅ほどでは無かったにせよ、地元自治体の首長も駆けつける等、祝賀ムードに湧いていたようですネ《言うまでもないことですけれどもね…》。

 なお、新駅の話が出てきていますが、これについては次回にて触れることとします。

 

 

◎ 祝祭・・・

 長らく富山への鉄路が断たれていた飛騨の地では地元民と共に観光客も全線運転再開の祝祭で盛り上げていました。

 

JR高山線全面復旧に「万々歳」 待ち望んだ日に喜び満ち
《中日新聞Web版・2007年9月9日付け掲載記事》

 二〇〇四年十月の台風23号災害で不通となったJR高山線が約三年ぶりに復旧した八日、不通区間のほとんどを占める飛騨市では地元名物の古川祭屋台曳(ひ)きそろえや地元の特産品の出店、駅伝大会など多彩な催しがあり、市民挙げて待ち望んだ日を祝った。 (古池康司、田中綾音、矢嶋宏明)
 
 屋台が四月の祭り以外で曳きそろえられるのは一九三四(昭和九)年の国鉄開通、二〇〇四年の飛騨市誕生以来。早朝の雨もやみ、祭り日和となった午前十時前、飛騨古川駅前に屋台九基が集結し、各屋台組が獅子舞やからくり人形などの奉納芸を繰り広げた。
 麒麟(きりん)台組では、からくり人形が手にする花かごから「高山本線全線完全復旧」と書かれた垂れ幕を出す特別な演出をした。総代の玉腰久さん(68)は「各屋台組の心意気が、今朝の悪天候をはね返した。飛騨と北陸との太いパイプが再びつながり、万々歳だ」と喜んだ。
 地元の飛騨牛や富山市の白エビといった名産品の出店や地元演歌歌手や保育園児が出演するステージもあり、駅周辺は観光客でにぎわった。富山からの最初の特急で飛騨古川駅に着いた富山市西中野町の主婦米本外司枝さん(57)は「孫にJR高山線で県境を越える景色を見せたかった。ゆっくり古川の町を見て回ります」と話した。
 復旧を記念した駅伝大会には飛騨市内の七チームが参加。飛騨古川駅-坂上駅間往復三六・二キロの道のりを、各チーム六人で走った。不通区間の宮川町からは高校生二人と社会人四人が出場。高山市内の高校へバスで学う三年の佐藤貴広君と稲野広大君は「不通だった間は大変だったけど、誰もが体験できるようなことじゃないから、今はよかったと思う」と、この三年間を振り返りながらたすきをつないだ。
 
◆祝賀ムードの街でフォトメイツ撮影
 JR飛騨古川駅前であった祝賀イベントや飛騨市古川町の古い町並みを背景に八日、「中日フォトメイツ・北陸中日フォトメイツと飛騨古川を写す会」(中日新聞社など主催)が開かれた。
 モデルは中日フォトメイツの中川真理子さん(24)と小路由華さん(22)、北陸中日フォトメイツの千田ちひろさん(20)と川端祐加さん(21)。中日写真協会と北陸中日写真協会の会員が中部各県から約二百人訪れ、盛んにシャッターを切った。
 四人は曳(ひ)きそろえられた古川祭の祭り屋台や、瀬戸川沿いの白壁土蔵、古い町並みなど市内の名所の前に並び、さわやかな笑顔を振りまいていた。 (矢嶋宏明)
 
◆大交流時代の夜明けに期待の声
 飛騨市古川町の市文化交流センターであった感謝式典には、地元の船坂勝美市長や古田肇知事のほか、JR東海の松本正之社長、地元選出の国会議員らが出席し、開通後の期待を語った。
 船坂市長は「災害時に現場を視察した時は本当に復旧できるのかと足が震えた。早期の復旧が実現。市民ともども列車をながめながら喜びたい」と感謝。松本社長は「四季折々の美しい景観が高山線の魅力。ビジネス、生活、観光の各面で、生き生きと走っていくよう努力したい」と述べた。
 古田知事は「新しい高山線の誕生は、中部縦貫自動車道や東海北陸自動車道開通と合わせ、飛騨に限らず岐阜全体の大交流時代の夜明けとなる」と力を込めた。
 富山県の石井隆一知事は「日本海と太平洋をつなぐ大動脈。岐阜、愛知との連携、交流を深めたい」とのメッセージを寄せた。
 代行バス通学を経験した飛騨高山高三年の沢之向未代子さん(18)=飛騨市宮川町=が松本社長にお礼の言葉を述べ、同じく間所紗織さん(17)=同市河合町=が花束を手渡した。 (古池康司)

 

 長期間にわたる不通という”苦悩”を乗り越えて「全線運転再開」という”歓喜”が訪れる・・・まさしくベートーヴェンの「第九」そのものを見る思いがしました。

 飛騨の地に暮らす人たちにとっては、長かったトンネルを今ようやく抜けた・・・そのような思いでこの日を迎えたことでしょうネ。

 

 そして祝祭は富山でも・・・

 

JR高山線沿線祝賀ムード一色 新駅設置に住民期待
《北日本新聞Web版・2007年09月09日付け掲載記事》

 JR高山線の猪谷駅(富山市猪谷・細入)-角川駅(飛騨市河合町)が約三年ぶりに復旧し、富山、飛騨古川の両駅はイベントなどで祝賀ムード一色になった。両市の住民からは北陸と飛騨、東海地方を結ぶ大動脈の再開を喜ぶ声が上がった。富山市とJR西日本が、「北日本新聞 越中座」などがある同市婦中町西本郷地区で計画を進める新駅設置に期待する声も聞かれた。
 
 JR富山駅では、富山-名古屋駅を結ぶ特急「ワイドビューひだ」の出発式と到着列車を出迎えるイベントが行われた。県民謡越中八尾おわら保存会のメンバーがおわらで乗客を出迎え、チンドンマンが雰囲気を盛り上げた。家族四人でイベントを楽しんでいた富山市婦中町、会社員、保木哲さん(37)は「出張の時に使える、名古屋まで直行する特急の再開を待ち望んでいた。自宅から近い新駅ができれば、通勤にも利用できるので便利になる」と話した。
 これまで飛騨市の角川駅までの間をバスが代行運行していた県境に近い猪谷駅。駅前で飲食店を営む早瀬清久さん(78)は「猪谷周辺は高山線とともに発展してきた」と感慨深げだった。
 JR飛騨古川駅前には、古川祭の祭り屋台九台が勢ぞろいした。飛騨牛や飛騨地鶏、富山湾の白エビコロッケなどの販売もあり、祝賀ムードに包まれた。駅近くの市文化交流センターでの記念感謝式典に出席した飛騨市宮川町、農業、道下則明さん(83)は「これからは富山市内の病院に高山線で通いたい」と、身近な生活の足が戻ったことを喜ぶ。飛騨市河合町の高校生、間所沙織さん(17)も「富山に買い物に行きたい」と声を弾ませた。

 

 富山の八尾(やつお)町に伝わるおわら風の盆の保存会メンバーも踊りでお祝いをしていた一方で、JR西日本とJR東海の高山線上の境界駅で、かつて神岡鉄道が分岐していた猪谷駅では静かに運転再開を見守っていたようですネ。

 

 

◎ 全線運転再開当日、車内では・・・

 運転再開当日の富山発「ワイドビューひだ」の1番列車に乗車した際のルポが中日新聞に掲載されています。

 

「よく復活」ファン笑顔 高山線全通 乗車ルポ
《北日本新聞Web版・2007年09月09日付け掲載記事》

 JR高山線が約三年ぶりに全線開通した八日、祝賀ムードに包まれる富山駅から運行再開第一号となる特急「ワイドビューひだ6号」に乗った。午前八時八分、大勢の鉄道ファンらに見守られながら列車がゆっくりとホームを離れた。
 
 「業務は通常通りでも特別な思いがある」と車掌の中江清さん(46)。緊張した面持ちで巡回を始めた。西富山駅を過ぎ、左に北日本新聞社の制作拠点「北日本新聞 越中座」などがあるイノベーションパークが見えてきた。増発実験に取り組む富山市が新駅設置を予定する婦中町西本郷地区だ。
 祖父母と乗車した富山市新庄小四年の宮本華歩さん(10)は、八月十日に参加した越中座のスケッチ会を思い出しながら「電車からだと景色が違って見える」と笑った。
 猪谷駅で停車した後、不通だった猪谷-角川駅の区間に入り、岐阜との県境を越えた。三年前の台風で被害が集中した区間だ。列車は渓谷沿いを走る。被害に遭ったことがうそのように穏やかな川、木々、棚田…。だが、のどかな風景の中にも土砂崩れや流木など災害のつめ跡が残る。
 橋脚を流失した宮川第五橋りょう(飛騨市宮川町)は新しい姿に生まれ変わり、緑色の鉄橋が晴天に映えていた。仕事で岐阜市に行くため高山線を利用していた宝田弘典さん(67)=富山市=は「あれだけの災害からよく復活したものだ」と感慨深げに話した。
 トンネルが連続する渓谷沿いを抜けると周囲に住宅が増える。家族四人で乗車した立山町の高田多加代さん(35)が、景色にくぎ付けになっていた長男の直輝ちゃん(5つ)に「また乗ろうね」と声を掛けた。
 飛騨古川駅で下車し、名古屋駅発の特急で富山駅に戻る。自由席は開通を待ちわびた鉄道ファンや観光客で満席で、通路は身動きが取れないほど。沿線にカメラマンや手を振る住民の姿を見つけるたび、乗客が「いたぞ」「こっちにも」などと声を上げた。宮川町の坂上駅では小旗を振る住民に乗客が手を振って応え、一緒になって開通を祝っていた。(谷井康彦政治部記者)

 

 「ワイドビューひだ」による富山~飛騨古川間の往復乗車の中で纏められた上記のルポ、老若男女、3年近く不通となっていた区間を通過できた喜びを噛みしめていた様子を綴っているかのようですネ。

 

 

◎ 線路寸断で孤立した車両の”里帰り”

 「全線運転再開へのテープカット」の項の中で紹介した毎日新聞掲載記事の中でも少し触れていましたが、3年前に襲来した台風23号により高山線の鉄路が寸断、その結果、2年以上の長きにわたって、最後まで残った不通区間(角川猪谷間)の中間地点にある打保駅にて取り残されていたディーゼルカーキハ48系気動車)が、今度の全線運転再開に合わせて、飛騨古川駅等で開かれた記念式典へ向かう地元民の足として”里帰り”を果たしたことが岐阜の地元紙によって詳しく報じられています。

 

「里帰り」車両、喜びと感動乗せて JR高山線再開
《岐阜新聞Web版・2007年09月09日付け掲載記事》

 8日に全線開通したJR高山線。運行を再開した富山県境の角川―猪谷駅間では、台風23号でレールが途切れ、今冬まで2年4カ月にわたって打保駅(飛騨市宮川町)に取り残されていた客車が記念式典に向かう団体臨時列車として使われ、沿線住民が乗って「再会」を喜んだ。特急ひだは富山駅まで往復し、多くの人が感動を共有し、沿線は活気づいた。
 
 2004(平成16)年10月の台風以降、打保駅に留置されていた客車は、レールの復旧が進んで今年2月、点検のために回送。修繕が済み、8月から角川以南の高山線に復帰した。この日は愛着ある客車の“里帰り”を願う住民の声をくんで配車された。杉原駅以南の各駅で停車、50人が乗車した。
 打保駅では8人が乗った。打保区長平田善行さん(70)は「また帰ってきてくれた。車と違って視野が開け、景色をじっくりと見られる」と晴れやかな表情。飛騨高山高校3年水畑拓郎君(17)は、代行バスを乗り継いでの通学をあきらめて寮生活を選んでいた。「バスは午前5時台の始発に乗らないと始業に間に合わなかった。列車は速く、実家との行き来が便利」と声を弾ませた。
 杉原駅から乗った主婦上村優子さん(49)は「身がすくむような被害を復旧させた工事関係者に頭が下がる。みんなで乗って感謝を表さないと」。坂上駅で加わった高山工業高校3年野道涼太君(17)は「懐かしい景色で胸がいっぱい。新鮮な発見もある」と車窓に見とれた。
 
 飛騨古川駅前でも喜びの声が上がった。ステージで獅子舞を熱演した杉原若連中の金沢工業大1年泉建志さん(18)は「高山線は古里に欠かせない。感謝の気持ちを表したくて下宿から駆け付けました」、揖斐郡大野町の玉置孝一さん(63)は「高山より先はなじみがなかったが開通イベントに引かれて訪れた。今後は富山にも足を延ばしたい」と話した。富山市婦中町の大舘勢津子さん(67)は「代行バスへの乗り換えが要らず、気軽に飛騨に出られるようになった」と喜んだ。
 飛騨市古川町の主婦藤上さわ子さん(66)は猪谷駅まで往復。12年前に飛騨古川駅で34年間、駅員を務めた夫を亡くした。「(鉄道に生涯をささげた夫に)『家に特急の音が戻ってきて寂しくなくなったよ、被災した沿線もきれいになっていたよ』と報告できます」と感慨深げだった。山峡に戻った高山線の列車。再び住民生活の一部となって走り続ける。

 

 最後まで残った不通区間の沿線住民を乗せて、2年以上にわたって放置され続けたディーゼルカーは、新調された線路の上を走り、ハレの舞台へと誘ったのでありました。

 

 

 う~ん、こうして眺めていますと、観光客も勿論久方ぶりの全線運転再開を喜んでいたわけですが、何より3年近くの間、代行バスで耐え忍んできた地元住民にとってはまさに”蘇生される”想いでこの運転再開の日を迎えたことと思います。

 

 

 さて、高山線全線運転再開で全て終わったかというと、実は続きの話もあるわけで、そのあたりは次回またお話したいと思います《勿論、関連する新聞記事を交える形となりますが…》。

 

 

P.S.
 公共交通機関のあるべき姿について提言している富山の団体、北陸線・ローカル線の存続と公共交通をよくする富山の会のWebサイトに、3年前の台風23号の襲来から1ヶ月少し経った2004年12月11日に高山線の猪谷~飛騨古川間を国道360号線に沿って現地調査した際の写真入りレポートが掲載されています(→「高山線の台風23号被害調査リポート」)。
 レポートでは当時台風23号の過ぎ去った後の生々しい姿をさらけ出していた高山線不通区間の各駅の姿等が克明に記録されており、本文でも触れました、寸断された線路の間で取り残されているディーゼルカーのことも記されています。
 そこに掲載されている写真を眺めていて、あれだけ酷い状態だったのをよくぞ復旧させたものだなぁ、と改めて感心してしまった私デス・・・

 

 

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甦る鉄路・・・高山本線、約3年ぶり全線復旧へ
規制緩和等で苦しむ地方ローカル線への救いの手となるか・・・・・・地域公共交通活性化再生法
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岐阜県内、東は高山線運転再開で沸き、西は存廃の危機に直面・・・・・・樽見鉄道(大垣~樽見間)
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一昨日投稿分の”残り物”(神岡鉄道)、ついでに岐阜県内を走る残り2つの”3セク”鉄道(長良川・明知)の話も…

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