「キング・オブ・ハイC」ルチアーノ・パヴァロッティ、生誕の地イタリアで逝去す・・・・・・享年71歳
「世界3大テノール」の終焉を告げる出来事が飛び込んできました。
イタリアのモデナ出身で「キング・オブ・ハイC」の異名でも知られているテノール歌手、ルチアーノ・パヴァロッティが、6日朝(日本時間で6日昼過ぎ)、膵臓(すいぞう)がんのため、生まれ故郷のモデナで亡くなりました。
享年、71歳。
実はパヴァロッティ、先月(8月)の上旬から体調不良を訴えて入院していたそうで、下旬に一旦退院して生まれ故郷で静養していたとのこと。
「世界3大テノール、パバロッティが退院」
《日刊スポーツWeb版・2007年8月25日付け掲載記事》
発熱のため今月8日から入院していた世界3大テノールの1人でイタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティ(71)が25日、退院し、北部モデナの自宅に戻った。 治療に当たったモデナの病院は退院の理由について「症状が安定したため」と発表。昨年7月に膵臓(すいぞう)がんの手術を受けており、今後も病院の専門医が緊密に連絡を取るという。 |
↓ ↓ ↓
「パバロッティ氏が重体」
《時事ドットコム・2007/09/06=05:43付け掲載記事》
【ジュネーブ5日時事】2006年7月に膵臓(すいぞう)がんの切除手術を受けたイタリアのオペラ歌手で世界3大テノールの1人、ルチアーノ・パバロッティ氏(71)は5日、自宅で容体が悪化し、重体となった。伊AGI通信が伝えたもので、同氏は先月8日にも熱のため出身地のモデナの病院に入院し、同25日に退院したばかりだった。 |
そして・・・
「イタリア人オペラ歌手L・パバロッティ、71歳で死去」
《ロイターWeb版・2007年9月6日付け掲載記事》
[ローマ 6日 ロイター] がんを患っていた世界的なイタリア人テノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさんが6日、死去した。71歳だった。パバロッティさんのマネジャーが明らかにした。 同マネジャーが、ロイターに「ルチアーノ・パバロッティは1時間前に死去した」と携帯電話のメールでメッセージを送った。 パバロッティさんは2006年7月、ニューヨークで膵臓(すいぞう)がんの手術を受けており、その後は北イタリアにある出身地モデナで治療を受けていた。 |
「オペラ歌手のパバロッティさんが死去 71歳」
《朝日新聞Web版・2007年09月06日付け掲載記事》
世界的なイタリア人オペラ歌手で「3大テノール」の一人として知られるルチアーノ・パバロッティさんが6日、膵臓(すいぞう)がんのため、イタリア北部モデナの自宅で死去した。マネジャーが同日発表した。71歳だった。 35年、モデナに生まれた。テノール歌手アッリーゴ・ポーラに師事し、61年にレッジョ・エミリアの劇場でデビューした。65年にミラノ・スカラ座にデビュー、72年2月にはニューヨークのメトロポリタン劇場で上演されたドニゼッティの歌劇「連隊の娘」で高い音域を何度もこなし、後に「高音の王様」と呼ばれるようになった。 イタリアでサッカー・ワールドカップ(W杯)が開かれた90年7月、決勝前夜のローマ・カラカラ浴場でスペイン人のプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスとともに、「3大テノール」公演を実現させた。94、98、02年のW杯でも続けた。 70歳になる05年10月での引退を表明し、日本では04年に引退コンサートを行ったが、06年2月のトリノ冬季五輪で開会式に登場。プッチーニのオペラ中の曲「誰も寝てはならぬ」を鮮やかに歌って驚かせた。その後も「さよならツアー」を計画したが、6月に膵臓(すいぞう)がんと診断され、手術を受けた。 |
「パバロッティさん死去、71歳 世界3大テノール歌手」
《中日新聞Web版・2007年9月6日付け掲載記事》
【ローマ=共同】AP通信は六日、イタリア北部モデナの自宅で療養中の世界的テノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさん(71)が死去したと報じた。同氏のマネジャーの話として伝えた。 ANSA通信によると、パバロッティさんは病状が悪化し、この数日の間に何度か意識不明に陥っていた。 パバロッティさんは昨年七月に膵臓(すいぞう)がんの摘出手術に成功したが、発熱のため先月、モデナの病院に入院。先月末に「症状が安定したため」としてモデナの自宅に戻っていた。 一九三五年、イタリアのモデナ出身。六一年、レッジョネレミリアの声楽コンクールで優勝し、同市立歌劇場で「ボエーム」のロドルフォ役を歌ってデビュー。典型的なベル・カント唱法と、輝かしく、張りのある美声は「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」と呼ばれた。 映画やテレビにも出演。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの両氏とともに世界三大テノールとして親しまれ、世界各国でコンサートを開催。二〇〇二年には、横浜市で行われたサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓共催大会を記念したコンサートでも共演した。 〇六年のトリノ冬季五輪開会式では、得意とするオペラ「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」を熱唱。 一九七一年、NHK主催イタリア・オペラ公演の一員として初来日して以来、日本でもオペラ公演やコンサートなどにたびたび出演した。ナゴヤドームの完成を記念した公演も行っている。 |
「オペラ歌手のパバロッティさん死去…3大テノールの一人」
《読売新聞Web版・2007年9月6日付け掲載記事》
【ローマ=松浦一樹】イタリアのオペラ歌手で、世界3大テノールの一人とされるルチアーノ・パバロッティさんが6日、腎不全のため、同国北部モデナの自宅で死去した。71歳だった。葬儀は8日、同市の教会で行われる予定。 1935年、同市出身。61年にイタリア国内でオペラ・デビューを飾り、伸びやかな美声でたちまち世界的な人気を獲得した。技術的に困難な高音を軽々と繰り出す名技から、「キング・オブ・ハイC」の異名を取った。世界中の著名歌劇場でイタリア・オペラに出演する一方、レコード録音にも意欲的に取り組んだ。 日本には71年に初めて来演。満面に笑みを浮かべる人懐っこい性格で、女性を中心にファンを増やした。 90年代以降は、同じく人気テノールのプラシド・ドミンゴさん、ホセ・カレーラスさんと組んで、大型スタジアムなどで歌う“3大テノール”公演で成功。日本でも96、99、2002年と、3度にわたる来演に多くの聴衆を集めた。離婚騒動など、私生活でも話題を振りまいた。 2004年から“引退ツアー”を行ったが、体調不良から公演の中止が増え、2006年冬のトリノ五輪開会式での熱唱が最後の舞台となった。同年7月、米国で膵臓(すいぞう)がんの手術を受けてから、モデナの自宅で療養を続けていた。 「マエストロ・パバロッティ」死去の悲報は6日、世界を巡り、各国メディアがトップ扱いで伝えた。英BBCは「オペラ界の伝説」と故人をたたえている。 モデナでは故人の偉業をたたえ、地元歌劇場を「パバロッティ劇場」に改名するという。 パバロッティさんの悲報を聞いて、3大テノール仲間のドミンゴさんは6日、米ロサンゼルスで「彼の声とユーモアのセンスは愛すべきものだった」とする声明を発表し、哀悼の意を表した。 また、パバロッティさん出演のオペラで度々、タクトを振った指揮者のズービン・メータさんは、伊中部フィレンツェで、「彼の声と顔は永く記憶されるだろう。一緒に仕事ができたことをうれしく思う」と話した。 |
毎日新聞Web版は2段構えで伝えています。
「3大テノール歌手のパバロッティさん死去」
《毎日新聞(MSN毎日インタラクティブ)・2007年9月6日付け掲載記事》
《『産経イザ!』にも以下と同一文章にて掲載有》
AP通信は六日、イタリア北部モデナの自宅で療養中の世界的テノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさん(71)が死去したと報じた。同氏のマネジャーの話として伝えた。 ANSA通信によると、パバロッティさんは病状が悪化し、この数日の間に何度か意識不明に陥っていた。 ロイター通信によると、パバロッティさんは腎不全を起こし、パバロッティさんに寄り添おうと家族や友人らが既にモデナの自宅に集まっていた。 パバロッティさんは昨年七月に膵臓(すいぞう)がんの摘出手術に成功したが、発熱のため先月、モデナの病院に入院。先月末に「症状が安定したため」としてモデナの自宅に戻っていた。(共同) |
↓ ↓ ↓
「パバロッティさん死去:甘く明るい声で聴衆を魅了」
《毎日新聞(MSN毎日インタラクティブ)・2007年9月6日付け掲載記事》
6日死去したイタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティさんは1935年、イタリア北部のモデナのパン屋の長男として生まれた。61年、レッジョ・エミーリアの声楽コンクールで1位となり、同市立劇場でプッチーニ「ラ・ボエーム」のロドルフォ役でデビュー。63年のアムステルダムを皮切りに国外にも活躍の場を広げ、65年には早くもミラノ・スカラ座でベルディ「リゴレット」のマントバ公爵役を務め、世界各地の主要歌劇場に次々と出演した。 高音が続くドニゼッティ「連隊の娘」のアリアを格調高く歌い上げるなど「キング・オブ・ハイC」と呼ばれる高音、明るい声質を誇り、「20世紀イタリアの最高のテノール」と称賛された。他にベルリーニ、ヴェルディ、プッチーニなどを得意とし、明るく甘い声で聴衆を魅了した。 オペラファン拡大のため、野外やアリーナなど大規模公演に積極的に取り組んだ。サッカーW杯イタリア大会のあった90年、同じくテナー界のスターであるホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴと共にローマで「三大テノール公演」を開催。96年の日本公演の際には東京・国立競技場に約6万人を集め、最高席7万5000円という高額チケットも話題を集めた。97年にはボスニア・ヘルツェゴビナに子どものための音楽センター「パバロッティ・センター」を設立した。 度重なる公演キャンセルや脱税疑惑、30歳以上年の離れた女性との再婚など、ステージの外でも常に注目の的に。過度の肥満で声が出なくなると報道されたこともあった。昨年2月、トリノ五輪開会式で「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を高らかに歌い上げたが、夏にすい臓がんの手術を受けてからは静養が続いていた。 ◇もう聴けないのか…指揮者、小澤征爾さんの話 彼とは何十年来の友人です。スカラ座での私のデビューは「トスカ」でしたが、パバロッティさんの強い勧めがあり実現したのです。彼の声はレストランなどで流れていてもすぐに分かる、とても特徴のあるテノールでした。その声がもう聴けなくなるのは大変残念です。 |
う~ん、事実上、昨年6月から闘病生活に入っていた形だったようですネ。
そして、以下のAFP通信のWebサイト掲載記事では彼の功績等も含めて詳細に報じています。
「「高音の王様」パバロッティ氏、力強い歌声でジャンル超え成功」
《『AFPBB News』2007年09月06日付け掲載記事》
【9月6日 AFP】6日に71歳で死去したイタリア人テノール歌手、ルチアーノ・パバロッティ(Luciano Pavarotti)氏は、現代の最も偉大な歌手の1人と考えられ、クラシック音楽の枠を超えた功績を収めた人物だった。 オペラで人気のテノール歌手の中でも、パバロッティ氏は力強い歌声が魅力で、従来のコンサートホールのみならず、巨大な屋外ステージでも美声を披露し、多くのファンを魅了した。 ■パン職人の家に生まれ、オペラ歌手に 1935年10月12日、イタリア北部の静かな町モデナ(Modena)に、パン職人の一人息子として生まれた。父親がオペラ好きだったことと、ちょっとした歌唱力を持ち合わせていたことが、この少年の未来を決めた。 教師として働きながら6年間勉強し、1961年にコンクールで優勝。レッジョ・エミリア(Reggio Emilia)の劇場で公演されたジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)の歌劇『ラ・ボエーム(La Boheme)』で、ロドルフォ(Rodolphe)役でデビューした。 以降、パバロッティ氏の評判は徐々に上がり、1963年にはアムステルダム(Amsterdam)、ウィーン(Vienna)、チューリヒ(Zurich)、ロンドン(London)などで公演を行うまでになった。 ■「高音の王様」、実は楽譜は苦手だった 1965年2月には、米フロリダ(Florida)州マイアミ(Miami)で、ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti)の歌劇『ルチア(Lucia di Lammermoor)』でソプラノ歌手ジョーン・サザーランド(Joan Sutherland)と共演、米国デビューを果たす。 サザーランドとは1972年2月にも、ロンドンのコベントガーデン(Covent Garden)、およびニューヨークのメトロポリタン・オペラ(Metropolitan Opera)において、ドニゼッティの『連帯の娘(La Fille du Regiment)』で共演。このころ、テノール歌手として絶頂期を迎えたとされる。 最初のアリアでも容易に高音を出せるパバロッティ氏は、「キング・オブ・ハイC(高音の王様)」の愛称で親しまれ、その歌声に観客はスタンディングオベーションで応えた。 ただ、楽譜の読み方を本格的に学んだ経験はなく、自分の役柄を覚える方を好んだ。その結果、一度にひとつずつしか覚えることができず、素晴らしい能力を持ちながら、そのレパートリーは驚くほど限られていた。 ■クラシックの垣根を越えた共演で成功 一方で、ポップミュージシャンなどとさまざまなライブコンサートで共演し、観客を驚かせた。1991年にはロンドンのハイドパーク(Hyde Park)で、チャールズ皇太子(Prince Charles)とダイアナ妃(Princess Diana)を含む観客15万人を前に歌声を披露した。 1990年のサッカーW杯イタリア大会では、パバロッティ氏が歌うプッチーニのオペラ『トゥーランドット(Turandot)』のアリア『誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma)』が大会テーマソングに選ばれ、世界の注目を集めた。 近年は、ホセ・カラーレス(Jose Carreras)、プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)と共に3大テノールとして活躍するほか、故郷モデナでは毎年、『パバロッティと仲間たち(Pavarotti and Friends)』と題したチャリティー・コンサートを開催。こうしたコンサートにはエルトン・ジョン、エリック・クラプトン、ズッケロ、スパイス・ガールズなども参加し、子どもたちのための多額の寄付を行った。 ■社交欄にも登場、晩年は病気と金銭問題で苦労 パバロッティ氏の成功は、新聞の社交欄をも賑わせた。1996年、35年間連れ添った妻と3人の娘と離婚し、秘書だったニコレッタ・マントバーニ(Nicoletta Mantovani)と交際。2003年に結婚し、第1子が誕生した。 近頃は、自身の体重が健康を害す要因となっており、税金に関する問題も抱えていた。報道によれば、数百万ユーロに上る滞納金を支払っていたという。(c)AFP |
なお、ご存じの方も多いと思いますが、パヴァロッティの異名である「キング・オブ・ハイC」、TBSの報道に寄れば、2オクターブ上の「ド」(C)の音が出せることからそう呼ばれるようになったそうです。
余談になりますが、私自身も1996年の「世界3大テノール」日本公演(東京・千駄ヶ谷=国立競技場)、及び大阪ドームに於ける公演(確か1997年の「スーパー・コンサート」だったような…)の2度、生のパヴァロッティの姿を拝んだ記憶があるのですが(といっても値段の安い席で遠巻きに眺めていたのが実情でしたが…)、テレビ等で耳にしていた、どこか人なつっこく甘ったるい感じの声、そして独特の身振り手振り(”身振り”はあまり無かったか)・・・
とても印象的でした・・・
終わりに、パヴァロッティが2006年のトリノ五輪の開会式の際に『トゥーランドット』からのアリアを熱唱していた時の動画(『YouTube』投稿動画より)を紹介しておきます。
当時NHKがトリノ五輪・開会式の中のこの演奏の模様の放映を途中で打ち切ったことで論争を巻き起こしたという(例えば「パバロッティとトリノ・オリンピック」とか)、まさにそのパヴァロッティの歌唱の場面の映像です《勿論NHKのものとは無関係の映像でしょうが…》。
パヴァロッティの冥福を心からお祈り申し上げます。
【おことわり】
『Google Video』や『YouTube』等の動画投稿サイトにて公開されている動画については、今後、投稿者或いは運営サイドの判断等により削除される可能性があります。その場合、お楽しみいただけなくなりますことを予めご承知おき下さい。
【関連記事(パヴァロッティ関連)】
「”パヴァロッティのマスタークラス”とベートーヴェンの「第九」・・・・・・「第九」合唱に際しての教訓を探索!?」
「『”ルチアーノ・パヴァロッティのマスタークラス”と「第九」』の補足書き・・・続いてフルトヴェングラー指揮の「第九」」
【関連記事(音楽界おくやみ)】
「チェロ奏者ロストロポーヴィチ、死去」
「ホルスト・シュタイン、80年の指揮者人生に幕・・・NHK交響楽団名誉指揮者、そして”ワーグナー指揮者”として」
« 茨城交通湊線、新会社転換で存続か・・・・・・ひたちなか市と茨城県 | トップページ | 存廃の危機に瀕する茨城・ひたちなかを走るローカル私鉄の姿・・・静止画と動画で映し出す茨城交通湊線 »
この記事へのコメントは終了しました。
« 茨城交通湊線、新会社転換で存続か・・・・・・ひたちなか市と茨城県 | トップページ | 存廃の危機に瀕する茨城・ひたちなかを走るローカル私鉄の姿・・・静止画と動画で映し出す茨城交通湊線 »
コメント