約2年11ヶ月の時を経て甦った飛騨山脈を行き交う鉄路(4)・・・”別添資料”(?)として《高山線・神岡鉄道》
こちら大阪は、日中、蒸し暑い感じでしたが、一方で東北では大雨が降り、そして先島諸島では非常に強い台風12号の通り道に・・・
何れも峠は既に越えたとのことですが、該当の地域にお住まいの方、引き続き土砂災害等に十分お気を付け下さい。
さて、実をいうと、前回は前々回まで3回続きました高山本線の今の姿、そして昨年11月で廃止となった猪谷から分岐の神岡鉄道の在りし日の姿を、ネット上で公開されている写真画像や動画で偲ぶなりする予定でしたが、あるブログに、同じ岐阜県内を走り、生憎乗ったことはないものの、かつて「大垣夜行」(現・快速ムーンライトながら)を待ち合わせていた大垣駅のホームで幾度と無く発車していく姿を見届けたりしていた樽見鉄道が”絶滅危惧種”に指定されているのを発見、驚いた私は急遽予定を変更して樽見鉄道の話題を、関連の新聞記事を交えつつ、書かせてもらいました。
それにしても、樽見鉄道が危機的状況に陥っていたとは、寡聞にして知りませんでした。
まあ、樽見鉄道に限らず、地方のローカル鉄道はどこもヒィヒィ言っている状態みたいで(同じ岐阜県内で走る長良川鉄道、明知鉄道とかも…)、機会を見つけて追々現状の紹介等をしていきたいと考えています。
さて、高山本線が去る9月8日に全線運転再開して喜びに沸いた一方で(もうあれから10日経つんですね)、その運転再開を待つことなく昨年11月いっぱいで廃止された、猪谷から分岐の神岡鉄道・・・
最近になって、その神岡鉄道の在りし日の姿をきめ細かく写真に収めているサイトに巡り会い、また『YouTube』等の動画投稿サイトにも神岡鉄道に纏わる動画、そして運転再開後の高山線をとらえた映像も、まだ僅かですが、寄せられてきています。
そこで、1回分遅れとなってしまいましたが、今回はそれらの中から当方の独断と偏見で選び出した幾つかのサイトを紹介していきたいと思います。
◎ JR高山本線(07.09.08.運転再開)
去る9月8日の高山線全線運転再開後に現地を訪れた方々によるレポートについては「約2年11ヶ月の時を経て甦った飛騨山脈を行き交う鉄路(3)・・・全線運転再開その後、一方あの鉄路は?」の中でも幾つか紹介していますので、今回はその後見つけた「これは!」と感じたレポート類と動画を紹介したいと思います。
一つは『ただ我の赴くままに綴る日記 Ver.3』という『はてな』内ブログに掲載されている「高山本線全通記念紀行(1日目・2日目)」。
首都圏にお住まいのこの方は全線運転再開の前日に出発したようでありますが、名古屋までは、去る7月1日にデビューしたあの「N700系」(のぞみ29号)に乗車、窓が小さく通路側の席からでは外の景色を眺めることは困難と不満を漏らす一方で、東京発車時点で10分遅れだったのを名古屋到着時点で遅れを2分にしたこと(たまたま!?)、従来の700系と比べて揺れが少ないこと、そして通路貫通ドア上にある電光掲示板が大きめで後ろからでも見えること・・・といった点で評価している様子。
名古屋からは「(ワイドビュー)ひだ」を利用、途中高山にて宿泊して焼き肉等で舌鼓を打ち、翌日の全線運転再開当日は不通だった区間への「ひだ」1番列車となった「(ワイドビュー)ひだ1号」に乗車、飛騨古川では各種マスコミでさんざん報じられたJR東海による出発式に遭遇、その飛騨古川を初め、その後通過した最後まで残った不通区間内の駅々では小旗を手にした地元民たちの歓迎を受け、終点・富山では「おわら風の盆」の踊り子たちと地元テレビ局のテレビカメラがお出迎え・・・
地元の名産にも触れながらハレの舞台に・・・なるほど。
もう一つは『Yuriko.Net 旅行記』というブログサイトに掲載の「2007年09月 高山本線復旧乗車」。
同じく首都圏在住で、運転再開前日に「ムーンライトながら」で岐阜入りし、こちらは「青春18きっぷ」を使ってひたすら普通列車を乗り継ぐパターンでアプローチするというもので、鈍行乗り継ぎによるアプローチである点に於いては「約2年11ヶ月の時を経て甦った飛騨山脈を行き交う鉄路(3)・・・全線運転再開その後、一方あの鉄路は?」の中で紹介した「角川~猪谷~富山」と共通するところでありますが、この方の場合、行程途上に於ける駅名標、実際に乗車した車両等あらゆるモノをこまめに撮っては一つのページにするというやり方で話が進んでいるため、かなりのページ数に上っているのですが、それだけに見る者を旅している気分にさせてくれるだけの内容となっています《最後まで残った不通区間内の駅で小旗を振って迎えてくれているシーンを収めた写真もこのサイトで初めて目にしました》。
ちなみに今回この方が辿った行程一覧(案として)は「ムーンライトながらで高山線開通乗車」にて確認できます。
また、以下のように逆から(ページ内では下から上へ)読んでいけば行程の通り繋がっていきます。
【8】→【7】→【6】→【5】→【4】→【3】
→【2】→【1】
結果的には、最後まで残った不通区間内にある打保・坂上の両駅で途中下車、駅舎見学等を行い、直江津~越後湯沢間を「はくたか」で”ワープ”する方法を採った模様。
両端の線路が寸断されたため閉じこめられた格好となった車両を打保駅構内のスノーシェルターに匿った話とか、坂上駅舎内の様子をとらえた写真の掲載等、内容面で秀逸といえますネ。
と、静的なレポートについてはそこそこネット上でも公開されてきているのですが、”動的なレポート”というべきところの映像(動画)では動画投稿サイトにも殆ど寄せられておらず、かろうじて以下の1本が寄せられている程度でした《全線運転再開以前に撮影した高山線の動画ならば何本かありますが》。
タイトルから、外国人が投稿したものと思いこんでしまいましたが、投稿者のプロフィールを見ると日本人でした《スミマセン!》。
実はこの動画を投稿した方、運転再開の翌日に富山から最後まで残った不通区間にアプローチされており、高山と下呂の両駅で途中下車して温泉等を楽しんだ後に帰途についた模様で、その時の模様は自身開設のブログサイト『そらねっと通信局』内に掲載の「2007年夏の18きっぷ旅第2弾~飛騨・高山線の旅~」にて報告されています。
上で紹介の動画もこの旅行中に撮影したものと思われます《尤もレポート本文には動画を撮影した旨の記載はありませんが…》。
◎ 神岡鉄道(06.11.30.廃止)
元は国鉄神岡線だったものの廃止・転換に伴って誕生した神岡鉄道でありますが、その転換前の写真を掲載しているのが『1980年代国鉄撮影日記』内に掲載の「1984年7月21日 神岡線」で、転換前の”神岡線”の姿を捉えているとあって、とても貴重です。
貴重といえば、「国鉄神岡線開業40周年!」というブログ内記事にはなんと国鉄神岡線開通記念メダルの写真が掲載されています《記念メダル本体は桐の小箱に収まっているそうです》。
そして神岡鉄道に転換した後の姿でありますが、沢山あるWebサイトやブログサイトの中で、私の気を引いたのが以下列挙のサイトたち・・・
【1】「神岡鉄道2005(その1・その2)」
【2】「列車でぶらり・神岡鉄道」
【3】「線路巡礼:神岡線(神岡鉄道)神岡鉱山専用線(17年ぶりの再巡礼。神岡鉱山を見ずして、神岡線を語るなかれ!) 」
【4】「特集・ありがとう神岡鉄道」
【5】「神岡鉄道(カテゴリー)」
【6】「神岡鉄道(1・2・3)」
【7】「富山鉄旅~神岡鉄道」
【1】は各駅毎に写真入りで紹介しているものでありますが、かつてコンビニが併設されていた神岡鉱山前駅の、併設されていた頃と撤去された後の両方の写真が掲載されていている他、2004年10月の台風23号襲来前に見られた神岡鉄道ディーゼルカーと「ワイドビューひだ」(キハ85系)の並びの写真や、神岡鉄道線を走る貨物列車の写真等も掲載され、目を引きます。
【2】は終点駅・奥飛騨温泉口に今も残る国鉄時代の「神岡駅」の駅舎をもとらえている点が一番のポイントでしょう。位置関係ですが、旧「神岡駅」駅舎はホームに横付けする形で線路の方向と並行に建ち、その後建造された奥飛騨温泉口駅舎は線路のどん詰まり部分に、線路方向と直角に造られている形となっていました。
【3】は1989年に初めて乗りに行った時と思われる写真と共に(まだ”デジカメ”の無かった頃だけに懐かしさを覚えてしまいます…)、神岡鉱山前から分岐する貨物専用線をとらえた写真も掲載されており、これには思わず心の中で唸ってしまいました。
【4】は飛騨地域(下呂・高山・飛騨各市等)に於いて無料配布(個別宅配又は指定施設に設置)されているタウン誌のWebサイト内に掲載されている特集ページですが、ここには旧国鉄神岡線の生い立ちから始まって神岡鉄道廃止の時までを、写真を交えながら、紹介されています。
旧神岡線最後の日の写真(1枚だけですが)の他、神岡鉄道誕生から廃止までの節目毎に発行されたきっぷ類等も掲載され、地元に密着したタウン誌だけある、と思わず感心の私・・・
【5】はカテゴリ・アーカイブとなっており、神岡鉄道関連の記事5本が集められている形となっているのですが、5本の記事とも今年6月に掲載された点で思わず気を引かれたのですが、特に「04年夏の神岡鉄道」という記事に掲載されている、穴の開けられたタンク車の写真には驚かされました。
記事によると、なんとトロッコに改造されたタンク車とのことで、3両が留置されていて、うち1両はまだ改造途中らしいとのことでした。
それにしても、他の鉄道線では聞かないですネ、これ・・・
【6】は【1】と同様に各駅毎の紹介を写真を交えて行っているものなのですが、掲載写真の数が【1】と比べて多く(タブレットが掛けられている駅の連動装置の写真等、かなり踏み込んだ写真もあります)、その上実際に足を踏み入れた際の、そこに居合わせた人とのやりとりを交える等して、かなり具体的に紹介されているところが惹かれます。
【7】では猪谷に向かうまでのJR駅の写真も共に掲載されているのですが、神岡鉄道で走っていたディーゼルカーの車内の紹介は勿論のこと、運転台もきちんと紹介されているところが惹かれます。
これまで知り得なかった神岡鉄道のディープな部分も、とりあえず上記サイトをご覧頂ければ一通りおわかり頂けるかと思います《勿論、上記サイト以外にも素晴らしいサイトは沢山存在しますよ》。
次に動画に移りますが、『YouTube』等の動画投稿サイトに寄せられている神岡鉄道関連の動画のうち、独断と偏見で以下5本をピックアップしました。
このうち、後の2本については、動画投稿者の意向から、リンク先で視聴して頂く形となっています。
あと、これは動画投稿サイトに寄せられたものではありませんが、岐阜県Webサイト内に設置の岐阜県インターネット放送局(GIB)Webサイト内に掲載されている「神岡鉄道(飛騨市~富山市)」にも一般の方が撮影した廃止約1ヶ月前の神岡鉄道のビデオが掲載されています《リアルプレーヤー対応》。
高山本線の全線運転再開後も富山市等がその先の取り組みを進めている模様でありますが、一方で高速道路(東海北陸自動車道)の整備も進んでおり、近い将来高速バスの台頭も予想されることから、決して運転再開を以て終わりとせず、地域の足として、また環境に優しい交通手段として(でも従来型の気動車は環境に優しいだろうか…)、末永く継続するための取り組みが求められているように感じています。
【おことわり】
『Google Video』や『YouTube』等の動画投稿サイトにて公開されている動画については、今後、投稿者或いは運営サイドの判断等により削除される可能性があります。その場合、お楽しみいただけなくなりますことを予めご承知おき下さい。
なお、動画投稿サイト以外の一般Webサイトに掲載の動画・音声ファイル等についても同様に願います。
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