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若桜鉄道と蒸気機関車(SL)その1・・・約60年ぶりに里帰りした蒸気機関車「C12 167」

 今更言うことでもないのですが、かつての国鉄赤字ローカル線(特定地方交通線)から転換された第3セクター鉄道路線は殆どのところが赤字と聞きます《ついでにいうならば、整理新幹線開通のあおりで「並行在来線」と見なされて第3セクターに転換させられたところでもほぼ全ての路線が赤字だそうで…》。

 このブログで以前紹介した岐阜県内の第3セクター鉄道たちも、ご多分に漏れず、何処も赤字で苦しんでいて、とうとう廃止の憂き目に遭う路線までも出してしまいました《神岡鉄道・・・尤も今は黒部峡谷鉄道のような冬季運休の”観光鉄道”としての復活を模索しているみたいですが(新しい情報全く無し)…》。

 今や、鉄道やバスの路線廃止も事実上鉄道・バス事業者の自由に任されている状態ですから・・・

 

 

 そんな中にあって、鳥取県東部の山中を走る第3セクター鉄道が、今、”熱くなって”います。

 

 

 ”熱くなって”いるというのは、勿論ホットな話題ということもありますが、その核となるのが「蒸気機関車」(SL)であり、石炭をくべて走るわけですから文字通り”熱い”わけで・・・

 

 あ、「石炭をくべて」動かしているのではないようですが、とりあえず以下の記事から・・・

 

蒸気上げSL雄姿 若桜鉄道が20周年
《『産経イザ!』2007年10月21日付け掲載記事》
 第3セクター「若桜鉄道」(鳥取県若桜町、小林昌司社長)の開業20周年を祝うイベントが若桜駅周辺で行われた。今年8月、兵庫県多可町から譲渡された蒸気機関車の走行見学会も構内で開かれ、蒸気を上げるSLの雄姿に、家族連れらが歓声をあげていた。
 蒸気機関車「C12 167号機」は鉄道ファンや親子連れが見守る中、コンプレッサーによる圧縮空気で250メートルの線路上を快走。若桜駅構内で野ざらしになっていた回転台や給水塔の整備を続けてきた同鉄道運転士、山根徹さん(52)は「長年の夢が実現した。これが若桜鉄道生き残りにつながれば」と話していた。
 若桜鉄道は、若桜駅とJR因美線郡家駅を結ぶ19・2キロ。旧国鉄「若桜線」を継承し、昭和62年10月14日に開業した。沿線人口減のあおりで収益が悪化し、2年後には助成基金は底をつく見込みで、路線存続をめぐり論議が続いている。

 

 鳥取と津山(東津山)とを結ぶJR因美線の郡家から分岐して若桜に伸びる、かつてのJR(旧国鉄)若桜線、現在の若桜鉄道が今年で第3セクターへの転換に伴う開業からちょうど20年目を迎え、終点駅である若桜駅構内とその周辺でイヴェントを開催、若桜駅構内では今年8月に兵庫県多可郡多可町からやって来た蒸気機関車「C12 167」を動かすというパフォーマンスも見せてくれていたそうですネ。

 ただ、本当に動かす場合には石炭や水が必要となるのは言うまでもないところですが、水はともかくとして石炭なんて用意できっこない、ということで、擬似的にでも動かしてみようということになり、コンプレッサーを搭載し、圧縮空気の力で動かしたというわけですから、ある意味奇想天外だし、ある意味やむを得なかった、ということになるんでしょうネ。

 ちなみに以前「C12 167」を静態保存していた兵庫県多可郡多可町という地について、1990年3月まではJR加古川線の西脇市(旧・野村)から分岐のJR鍛冶屋線の一部が多可町内を通っていましたが(終点駅だった鍛冶屋駅も現在の多可町内にありました)、現在では”鉄道空白地帯”となってしまっています。

 

 もう少し詳しく伝えているのは毎日新聞に掲載の以下の記事・・・

 

若桜鉄道:20周年祝う 里帰りSL、力強く 60年ぶり走行にファン拍手 /鳥取
《毎日新聞Web版(毎日jp)・2007年10月22日付け掲載記事》
◇現役車の運転体験も
 若桜鉄道の開業20周年を祝う祭りが21日、同鉄道若桜駅(若桜町若桜)で開かれた。赤字経営で存廃問題の論議が続く中、約60年ぶりに“里帰り”した蒸気機関車の自走する雄姿が一般向けに初公開され、全国から集まった鉄道ファンや地元客ら約1500人が楽しんでいた。
 
 若桜鉄道は国鉄民営化後の1987年10月14日、廃止が検討されていた旧国鉄若桜線を県や若桜町などが出資する第三セクターが引き継いで開業した。06年度の利用者は約52万人とピーク時の88年度より約14万人減り、赤字額も5000万円を超え、存廃を巡る議論が続いている。
 一方、地元住民らによる利用促進運動も活発化している。同鉄道運転士の山根徹さん(53)は7年ほど前から休暇などを利用し、住民らと共に同駅構内に残る列車の方向転換用の転車台や給水塔などを整備。今年8月には1946年まで若桜線を走ったこともあるSLを兵庫県多可町から譲り受け、自走に向けての準備を進めていた。
 この日は、同鉄道職員が圧縮した空気の力を使ってSLを起動。「ポォー」と汽笛を鳴らし、煙突から演出用の白い煙を噴出させた。SLは力強く約100メートル自走し、集まった大勢の観客が拍手を送っていた。
 また、SLの運転席の公開や現役のディーゼル車の運転体験も実施。SLの汽笛を鳴らした若桜町の上川直生君(6)と弟の周平君(4)は「音が大きくてびっくりしたけれど、楽しかった」と満足そう。山根さんは「長い間の夢が実現できた。SLや転車台など身近な“文化財”の大切さに気付いてもらいたい」と感慨深げに話していた。【田辺佑介】

 

 煙もやはり擬似的に吐かせたんですね・・・となると煙の正体はドライアイス?はたまた煙幕?《恐っ》

 なお、この煙を巡っては「コンプレッサーで動かす"蒸気機関車"を報じる新聞記事のナゾ」という記事にて、半ば毒づき気味に、語られています《実は産経新聞の記者は現場に行っていなかった!?》。

 

 もう一つ、朝日新聞が報じた記事も・・・

 

SL走り歓声 若桜鉄道20周年
《朝日新聞Web版(asahi.com)・2007年10月22日付け掲載記事》
 第三セクター「若桜鉄道」の開業20周年を記念した催しが21日、若桜町若桜の若桜駅で開かれた。鉄道ファンや家族連れら約1200人が蒸気機関車(SL)の走行やミニSLの乗車体験などを楽しんだ。
 
 87年開業の同鉄道は、沿線人口の減少や車社会の進展で、利用者は88年度の66万人をピークに昨年度は52万人まで減少。開業当初から赤字続きで、同町は今年8月、観光客や利用者の呼び込みを目指し、かつて同線を走っていたSLと同型で、兵庫県多可町に保存されていた「C12型167号機」を移設した。
 20周年記念イベントでは、駅構内でSLの走行を初めて公開。汽笛の音が響く中、大勢の人たちがカメラのシャッターを盛んに切っていた。同町の井上陽名太(ひ・な・た)ちゃん(3)はSLを見て興奮気味。母の紀子さん(36)は「列車がとても好きなようなので、来るのを楽しみにしていました」。
 同駅には、1930年の国鉄若桜線開業時につくられたSL用の手動式転車台や給水塔が残り、これまでも見学ツアーが開かれてきた。SLの具体的な活用方法は未定だが、若桜鉄道利用促進実行委員会の小林誠事務局長(59)は「SLによって鉄道と町を活性化できれば」と期待している。

 

 言葉にする程のことでもありませんが、子供たちはSLの出で立ちに嬉しそうな表情を浮かべ、大人たちはこのSLが地域振興の核になってもらえれば、ということなのかも知れませんネ。

 

 

◎ SLが若桜鉄道にやって来るまで・・・

 若桜鉄道にやって来たSL「C12 167」でありますが、このSL本体、前項で披露した新聞記事たちが伝えていますように、元々兵庫県多可郡多可町にある加美地域局(旧加美町役場)の敷地内に静態保存されていたものでした。

 鳥取の地元紙・日本海新聞は約1年半前からこの「C12 167」を、多可町の旧町役場敷地内から最終的に若桜鉄道の若桜駅構内に移送されるまで断続的に追い続け、以下のように順次伝えてきています。

 

SL時代の「転車台」 若桜駅によみがえる
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2006年4月4日付け掲載記事》
 第三セクター若桜鉄道(郡家-若桜)の終点・若桜駅に残る蒸気機関車などを方向転換させる「転車台」を同鉄道の運転士が四年半かけて修復した。懐かしいSL時代の装置が鮮やかによみがえり、鉄道ファンの隠れた名所となりそうだ。
 
 転車台を修復したのは運転士、山根徹さん(51)=八頭町西谷=。
 転車台は、終点駅で蒸気機関車やラッセル車などを方向転換させる装置。若桜駅には深さ一・八メートルの円形プール状の構造物の中心に、直径十五・二メートルのレール付き橋りょうが備え付けられている。
 橋りょうの上に車両を乗せ、ハンドルを人が押して手動で先頭車両の向きを変える仕組み。同駅の転車台は、一九三〇年の旧国鉄若桜線の若桜駅開業と同時に設置。戦後は使われることがなく、本線と転車台をつないでいた線路も切り離された。
 山根さんはJR貨物関東支社に勤務していた二〇〇一年から休暇を利用して、若桜駅に通い、修復作業を開始。六十年以上放置されていた転車台の周辺は草木が生い茂り、枕木も風雨で朽ち果ててぼろぼろ、積もった土は二十センチ以上だった。
 山根さんはそれらを全て取り除き、JR青梅線拝島駅から使わなくなった枕木を運び込んで交換した。
 二〇〇四年八月、JRを退社して、実家の八頭町に帰郷。若桜鉄道に入社し、こつこつと作業を続け、最後の仕上げとなる緑色のペンキ塗りを終えて、昨年十二月に修復を完了した。
 転車台の脇には、給水塔のほか、蒸気機関車が石炭の燃え殻を落としていた線路下の溝「排炭ピット」や、積み込む新しい石炭を載せて待機していた「炭台」など、終着駅ならではの設備が残っている。
 二〇〇三年には蒸気機関車を走らせていることで有名な静岡県の大井川鉄道から「修復中の転車台を譲ってほしい」との申し出があったが、山根さんは丁重に断った。「SLの遺物かもしれないが、昔の汽車を走らせることのすごさが伝われば」と夢を語る。

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若桜駅にSLを 兵庫から移設、一般公開へ
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2006年10月24日付け掲載記事》
 第三セクター若桜鉄道の若桜駅(鳥取県若桜町若桜)の構内に残る蒸気機関車(SL)用設備に、旧国鉄若桜線(同鉄道の前身)などを走っていたSLを設置する計画が進んでいる。二十四日には「若桜駅に蒸気機関車を持って来るプロジェクト」が立ち上がり、兵庫県内で展示しているSLを移設して、往年の姿を一般に公開する計画。終戦前後の終着駅での日常の一こまが二十一世紀の若桜で再現される。
 
 若桜駅構内の転車台や給水塔などのSL用設備は一九三〇年の開業から約十五年間使われた。その後六十年以上放置されていたが、同鉄道の運転士、山根徹さん(52)=八頭町西谷=が昨年までに四年半かけて修復した。
 その後、転車台の往時の姿を復元しようと、ことし六月にNPO法人「若桜プロジェクト」が有志六人で発足した。兵庫県多可町の加美地域局の敷地内で展示してあるSL「C12・167号機」を見つけ、多可町や所有するJR西日本と交渉。両者とも若桜町内への移設に前向きな姿勢を見せているという。
 同SLはローカル線用の小型機。一九三七年から四六年にかけて県内の機関区に所属し、旧若桜線でも四四年から四六年まで走っていたゆかりのある車両だ。
 二十二日には同プロジェクトによる「若桜駅SL遺産保存活動」が始動。有志十七人が転車台や給水塔周辺で草取りをした。SLの移設が決まれば、自前で転車台への運搬に必要な線路敷設や材料調達の計画も浮上している。
 盛田義仁代表は「SLもほっておけばただの鉄くずになってしまう。自分たちが大切にしたいものを他の人にも楽しんでもらいたい」と話す。
 二十四日に同団体や町などで立ち上げるプロジェクトは、SL移設や維持管理に必要な資金の調達方法を検討する。

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若桜駅にSLを 保存会発足、会員を募集
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2006年11月17日付け掲載記事》
 蒸気機関車(SL)が使われていた時代の設備が残る若桜鉄道・若桜駅(鳥取県若桜町若桜)構内にSLを移設し、往時の姿での保存を目指す「若桜駅SL保存会」(藤原源市会長)が発足した。移設準備や移設後の維持管理に携わる会員を町内外から募集する。来夏のSL移設に向け、移設費用六百万円を目標とした募金活動を来年一月から始める予定。
 
 移設を目指すSL「C12・167号機」は現在、兵庫県多可町内に置かれており、大規模な運搬作業と若桜駅構内の整備が必要。また、SLは製造されて約七十年経ち劣化が激しいため、修復作業と定期的な維持作業が不可欠になる。
 保存会は転車台などの修復作業に取り組んできた住民有志や若桜町内の産業、行政関係者十九人で結成。十三日夜、若桜町役場での設立総会では、募金協力者の名前をSL内に銘板に刻む構想や、鉄道文化財講演会を来年二月に行う計画が示された。
 会員の年会費は千円。入会方法や活動内容などの問い合わせは0858(82)1584、若桜町公民館内同事務局へ。

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「SL設置」に黄信号 現有地、移設に反対
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年3月15日付け掲載記事》
 鳥取県若桜町内で、若桜鉄道・若桜駅構内に蒸気機関車(SL)を移設、保存するプロジェクトが進んでいるが、ここにきて、現在SLが置かれ、当初移設を容認していた兵庫県多可町内で反対意見が噴出。若桜駅SL保存会が今年一月を期限に求めていた移設可否の正式回答が先延ばしされるなど、計画に黄信号が点灯している。周辺施設の建設問題から七月には移設を完了させなければならず、関係者は気をもんでいる。
 このSL「C12・167号機」は旧国鉄若桜線(現若桜鉄道)や兵庫県内の鍛冶屋線(廃線)を走行していた車両。町内に鉄道がなかった同県旧加美町(現多可町)が、SLが廃車となった一九七四年に国鉄から貸与を受けた。現在も多可町加美地域局の敷地内に展示している。
 
複雑な住民感情
 旧若桜線開業当時の姿のまま残っている若桜駅構内の転車台や給水塔などのSL用設備の修復が進む中、若桜鉄道沿線の住民有志からSLが走っていた当時の姿を復元しようという機運が高まった。同機を見つけた有志らは昨秋、多可町と国鉄から所有権を引き継いだJR西日本に移設を打診。多可町の戸田善規町長もJR神戸支社も前向きな返事をしていた。
 その後、若桜町の小林昌司町長を通して多可町側に移設を正式に打診。しかし、一月に旧加美町地域の地域協議会で委員十五人中十二人が移設に反対したため計画が宙に浮いてしまった。戸田町長は「SLが一番日が当たる場所にあればいいと思っている。しかし、一昨年の合併で旧町域からいろいろな施設がなくなっており、住民感情は複雑。もう少し待ってほしい」と理解を求める。
 
資金面にも暗雲
 しかし、同町内の意見や認識の違いは大きい。戸田町長が「今月中には地域協議会の意見を集約し、来月初めにも回答したい」と話す一方で、地域協議会をまとめる木原喜晴加美地域局長は「一月の話も正式な議題ではなく、余談程度の認識だった。意見集約の話を聞いておらず、それを行う予定を立てていない」と困惑気味。移設反対の立場を取る委員の一人も「これまで正式な形で意見を求められたことはなく、仮に移設するにしても急な話。住民からの意見を聞く時間すらない」と戸惑いを隠さない。
 若桜駅の転車台に隣接する土地で「道の駅」建設工事が始まると、設置作業が事実上不可能となるため移設は今年七月が最終期限。移設費用約六百万円の大半を市民からの募金でまかなう計画だが、移設が正式決定するまでは開始できず、資金面でも暗雲が立ち込めているのが実情だ。
 同事務局では「今月下旬に多可町で行われるという地域協議会での説明などを含めて、移設に向けて全力で努力したい」と話している。

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「鉄道大好き倶楽部」 若桜鉄道を満喫
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年6月4日付け掲載記事》
 関東地区の鉄道マニアの一行が三日、第三セクターの若桜鉄道で鳥取県若桜町を訪問、珍しい手動式の転車台を動かしたり、蒸気機関車の給水塔を見学するなどした。鳥取県観光課が鉄道をキーワードに鉄道マニアのクラブを持つ東京の旅行会社に提案して初めて実現したもので、参加者らは情緒あふれる若桜鉄道の旅などを堪能していた。
 
 一行は、東京の旅行会社「クラブツーリズム」が設けている「鉄道大好き倶楽部」のメンバー十三人。二泊三日の日程で、一日にスーパーやくもで米子市に到着、同市内のJR後藤総合車両所や境港市の水木しげるロードを、翌日は倉吉市の白壁土蔵群などを見学した。
 ツアー最終日のこの日は、倉吉市からスーパーまつかぜなどを乗り継ぎ、郡家駅から若桜鉄道で若桜駅に到着。同鉄道職員の川戸稔功さん(64)の説明で駅構内にある手動式転車台や給水塔を見学、実際に転車台を動かすなどしたほか、同鉄道から全国的に珍しくなっている若桜鉄道の硬券キップをプレゼントされた。
 弟と二人で参加したという東京都杉並区の会社員、橋本美紀さん(34)は「鳥取県は初めて。緑が豊かで人も温かい。特に若桜鉄道は沿線の風情がすばらしい。転車台は思ったより軽く動いてびっくりした。ぜひ、もう一度鳥取に来てみたい」と話していた。

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SL移設OK 60年ぶり若桜駅に"帰還"
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年6月13日付け掲載記事》
 約六十年前に旧国鉄若桜線を走っていた蒸気機関車が、鳥取県若桜町の若桜鉄道若桜駅構内に設置されることが十二日、分かった。兵庫県多可町に展示されているのを譲り受けて移設する取り組みで、反対意見により計画が危ぶまれた時期もあったが、粘り強い交渉が実った。若桜町などは七月末には設置を完了させたい考えで、新たな観光スポットが誕生する。
 
 移設が決まった蒸気機関車は「C12・167号機」。一九三七年から四六年にかけて県内の機関区に所属し、旧若桜線でも四四-四六年に運転された。
 若桜駅構内に残る転車台や給水塔などの復元に取り組む有志が、多可町内に常設されている同機関車を見つけたのをきっかけに、若桜駅SL保存会(藤原源市代表)や町などが、所有するJR西日本神戸支社、多可町と譲渡交渉を進めていた。
 しかし、多可町では合併によって、さまざまな施設が相次ぎなくなっていたこともあって、住民の中には移設に反対する声も少なくなかった。このため、両首長を中心とした交渉、説明会などが繰り返し行われてきた。
 こうした中、十二日朝、戸田善規多可町長から小林昌司若桜町長に電話で「JRとの貸借関係を解除して若桜町に譲る」との結論が伝えられた。十四日には多可町の関係者が若桜町を訪れ、文書で正式に回答する予定。
 各種団体や地元との説明会を開くなどして住民の総意をまとめた多可町の関係者は「若桜の行動力と熱意に感服した。寂しくなるが、譲渡をきっかけに両町の新たな交流が生まれることを期待している」と話している。
 小林若桜町長は「保存会をはじめ皆さんのおかげで蒸気機関車が帰ってくる。関係機関と契約を結ぶなど協力し、町づくりに役立てたい。今後、多可町との交流も積極的に考えたい」と歓迎。藤原代表は「OKという返事を聞き感激している。関係者や住民に知らせ、募金活動などに取り組みたい」と喜んでいる。

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蒸気機関車移設地を整地 若桜駅SL保存会
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年7月17日付け掲載記事》
 旧国鉄若桜線を走っていた蒸気機関車が兵庫県多可町から若桜鉄道若桜駅(鳥取県若桜町若桜)に移設されるのを控え、若桜駅SL保存会(藤原源市会長)は十六日、同駅構内にある移設地の草刈りや整地作業を行い、受け入れ準備を整えた。機関車は、八月八日に運ばれる予定。
 
 移設される機関車は、約六十年前に旧若桜線で運行されていた「C12・167号機」。同保存会や若桜町などが、多可町や旧国鉄大阪鉄道管理局と譲渡交渉を進めてきた。
 あいにくの雨模様の中、作業には同保存会の会員やボランティアら十五人が参加。若桜鉄道運転士の山根徹さん(53)の指導を受け、約三十メートルの線路脇の草刈りやごみ拾いのほか、余分な土を運び出すなどして路面を水平にする整地作業を行った。
 同保存会は、機関車が移設される八月八日までに枕木やレールを敷いて受け入れに備える。藤原会長は「金銭的、技術的な問題はあるが、ようやくここまで来た。若桜鉄道の存続を前提として、沿線の皆さんと今後の方向性を決めていきたい」と話していた。

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SL"歓迎"へ準備 若桜駅に展示用線路
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年7月25日付け掲載記事》
 旧国鉄若桜線を走っていた蒸気機関車「C12形167号機」が来月、鳥取県若桜町に移設されるのに備え、若桜駅SL保存会(藤原源市会長)は二十四日、同町の若桜鉄道若桜駅構内で、展示用線路の敷設作業を行った。同鉄道職員や応援に駆けつけた智頭急行の職員らが、人海戦術で枕木を設置するなどして三十メートルの線路を完成させた。
 
 線路の敷設作業は専門的な技術と知識が必要。敷設計画を知った智頭急行の遠藤教友運輸部次長の呼び掛けで、同社の若手職員と保線作業に携わる民間業者の従業員らが、研修と応援を兼ねて協力。いずれも鉄道のプロとあって、手際よく作業が進められた。
 線路は当面、展示用として三十メートルを敷設。参加者は重機で整地をした後、枕木を並べ、一本四十キロもあるレールを慎重に敷いていった。
 同保存会では八月八日の移設までに線路を転車台につなぐため、さらに百五十メートル延長する。最終的には全長二百五十メートルの線路を整備して、構内を走らせる計画だ。
 藤原会長は「皆さんの協力で着々と計画が進んでいる。若桜鉄道のPR、地域の活性化につなげたい」と話している。

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多可町からSL到着 古里・若桜にお帰りなさい
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007年8月9日付け掲載記事》
 鳥取県若桜町に蒸気機関車(SL)が帰ってきた-。今秋、開業二十年を迎える若桜鉄道(社長・小林昌司若桜町長)の若桜駅に八日、兵庫県多可町からSL(C12形167)が到着した。移設作業が行われ、大勢の鉄道ファンが、大型クレーン車を使った設置作業を見学。中には風船や紙旗を振って歓迎する熱心な愛好者の姿も見られた。SLは駅構内に常設され、町活性化などにつながる“観光の目玉”として、大きな期待が寄せられている。
 
 SLは長年、多可町に展示されていたが、若桜駅構内に残る旧国鉄時代の転車台や給水塔などの保存整備に取り組む若桜駅SL保存会(藤原源市会長)と町が、多可町と所有者のJRに働き掛けて譲渡が実現。保存会などはボランティアらによる展示用線路の設置や敷地整備などを進める一方、移設費用の募金を呼び掛けるなどして準備を進めてきた。
 かつて旧若桜線を走っていたSLは七日夜、大型トレーラーで多可町を出発。国道29号を経て八日早朝に若桜町に到着した。作業は大型クレーン車二台を使って慎重に行われ、町内をはじめ鳥取、津山、岡山市などから訪れた鉄道ファンや家族連れ、写真愛好者ら約四百人が見守った。
 重量約四十トンもあるSLが大型クレーン車でゆっくりと台車から離され、展示用線路に降ろされると、見学者から喜びの声が上がった。この日は若桜鉄道を使った見学ツアーも組まれ、駅構内は雄姿をカメラに収めたり、一緒に記念撮影をする人たちで同鉄道開業以来のにぎわいとなった。
 熱心にカメラを構えていた鳥取市東今在家の中尾英男さん(65)は「機関士をしていたおじさんに送る写真を撮りました。動くと楽しいですね」と夢を膨らませていた。
 若桜町と多可町は、SL移設をきっかけに相互交流宣言を交わし、今後、多面的な交流を積極的に進めていく。
 藤原会長は「町民、沿線になじみのあるSLが帰ってきてほっとしている。線路を延長するなど整備を行って輝くスポットにしたい。十月の二十周年事業でPRし、活性化につなげたい」と夢を膨らませていた。

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蒸気機関車走行へ点検診断 若桜鉄道の目玉に
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007/09/03付け掲載記事》
 若桜鉄道の若桜駅に移設展示された、C12形167号機蒸気機関車(SL)を動かすための点検診断が、鳥取県若桜町の若桜駅構内で行われた。大きな損傷はなく、ボイラーが圧力に耐える強度がないため、シリンダーに圧縮空気を送るようにすれば、現役時代同様に動かせることが分かった。今後、整備方法などについて具体的に協議し、整備後はイベントなどで構内を走らせ、同鉄道の目玉として活用する。
 
 かつて若桜鉄道を走ったこともあるこのSLは、第一線を退いた後、兵庫県多可町に展示されていたが、若桜駅SL保存会(藤原源市会長)や町が譲渡を働きかけて移設が実現した。移設当日は、大勢の町民や鉄道ファンが訪れ、作業を見守った。
 点検、診断には、町と保存会の要請で八月二十七、二十八の両日、群馬県川場村のホテルでD51蒸気機関車を圧縮空気で動くよう再生して管理、運行している常松孝仁さん(52)が来町。SLの心臓部分に当たる蒸気をシリンダーに送る加減弁やピストン、ピストン弁、ボイラーなどを中心に入念に点検した。
 この結果、全体的に大きな損傷はなく、常松さんは、さびの部分は修理できるがボイラーは熱膨張に耐える強度がないと診断。このため、「熱を加えない圧縮空気で動かすのがベスト」と整備方法をアドバイスした。
 動かせる状態での展示に向けて朗報が得られ、藤原会長は「診断結果をもとに補修体制などを協議し、動くように整備したい」と話している。

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蒸気機関車お披露目試運転 若桜鉄道
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007/10/16付け掲載記事》
 六十年ぶりに蒸気機関車(SL)が走った-。鳥取県若桜町の若桜駅構内に展示されているSLが十四日、大勢の鉄道ファンらが見守る中、汽笛を鳴らしながらゆっくりと動いた。圧縮空気を使ったため、煙や蒸気は出なかったが、よみがえった雄姿に構内を埋めた見物客から歓声が上がった。二十一日には若桜鉄道開業二十周年イベントが開かれ、午前十時四十分と午後零時半の二回、同駅構内でSLが運行される。
 
 SLは兵庫県多可町から若桜町に移設展示したもの。若桜駅SL保存会や関係者らが点検整備を進める中、「動かしてみたい」という声が強まっていた。検討した結果、圧縮空気で動かせることが分かり、本格的な整備を行ってきた。
 この日は多可町の戸田善規町長、小林治町議会議長、自治会長らを招待。車体は化粧直しされ、元国鉄機関士で若桜鉄道運輸課長の原卓也さんが汽笛を鳴らし、構内に特別に敷設されたレールの上を約百メートル走行した。
 お披露目走行とあって、ゆっくりとした動きだったが、見学に訪れたツアー客や住民はカメラを向けるなどして、重量感あふれるSLに感動していた。
 SLはかつて若桜線を走ったことがあるC12形167号機。一九三八年に製造され、四四-四六年に鳥取機関区で活躍。七四年に南九州を最後に引退した。

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SLの雄姿、再び 若桜鉄道開業20周年祝い走行
《日本海新聞Web版(NetNihonkai)・2007/10/22付け掲載記事》
 かつての雄姿、再びー。若桜町若桜の若桜鉄道若桜駅に展示されている蒸気機関車(SL)が二十一日、駅構内で走行した。目の前でゆっくりとSLが動き始めると、詰め掛けた鉄道ファンや親子連れから歓声が上がり、懐かしさいっぱいの汽笛の音が山沿いの町にこだました。
 
 かつて若桜鉄道を走ったこともあるSL(C12形167号)は、兵庫県多可町に展示されていたが、駅構内に残る旧国鉄時代の転車台や給水塔などの保存整備に取り組んでいた若桜駅SL保存会などが譲渡を働きかけ、今年八月に移設。SLを観光の目玉にした取り組みが進められている。
 SL走行は若桜鉄道開業二十周年を祝って開かれた「鉄道まつりin若鉄」のメーンイベントとして実施。午前と午後の二回、構内のSL専用線路約二百五十メートルで圧縮空気を動力に走行した。
 職員が運転席に乗り込んでゆっくりと走らせると、来場者は「本当に動いた」「信じられない」と感動した表情。鉄道ファンらは興奮気味にSLの姿を写真やビデオに収めていた。また転車台まで走ってきたSLを大人五-六人で転車台を動かして方向転換。子どもたちも目の前を通り過ぎる巨大な蒸気機関車に目を丸くさせていた。
 姫路市から訪れた広岡荘三郎さん(65)は「各地の蒸気機関車を見てきたけど動いた姿を見られて最高。信じられない」と笑顔で話していた。

 

 若桜駅構内に残る転車台の修復から始まり、昨年10月の静態保存蒸気機関車(SL)との出会い、そして交渉・・・一時地元からの反対に遭いながらも、最終的には約60年前に実際に走っていた若桜線(現在の若桜鉄道)への里帰りを果たした、というわけですネ。
 昨年11月に「若桜駅SL保存会」が設立され、今年に入ってから、SL移設費用(600万円)を賄うことを目的として、募金活動を開始し、8月までに無事目標額到達を果たすことが出来たことも里帰り実現への追い風となったことでしょう。

 ところで、以上一連の日本海新聞掲載記事たちによる報道内容を圧縮して一つの記事にしたような感じの記事が『産経イザ!』に掲載されていますが(→「マイレール運動成果…若桜鉄道に40年ぶりSL到着」)、以上列挙した日本海新聞の記事たちの中では「約60年ぶりに”帰還”」等と報じているのに対し、『イザ!』では「40年ぶり」と報じています。
 上記日本海新聞記事並びに毎日新聞による報道では、今回若桜鉄道にやって来た「C12 167」(1938年製)は1974年に廃車となり、その後当時の兵庫県加美町(現多可町加美区)出身の国鉄関係者らが「子どもたちに機関車を見せてあげたい」と要望したことから国鉄と貸借契約を締結、同町に移設・保存されることとなったとのことですので、そこから数えるのかなと思ったのですが、33年しか経っていない・・・「マイレール運動成果…若桜鉄道に40年ぶりSL到着」という記事本文中に「(若桜駅構内にあるSLが活躍していた時代の設備は)昭和40年ごろに役目を終えた後は放置され、長く草に埋もれて荒れ放題だった」といったくだりがあり、どうやらそこから数えることにより「40年ぶり」としたようですが、どうもあやふやな感じが否めないところですネ。

 それはともかく、あと「C12 167」について、最終的にコンプレッサー(圧縮空気)で動かすこととしたのは、移設後行った点検で、全体としての損傷はそう大きくはないとしながらも、ボイラーの強度の問題から「熱を加えない圧縮空気で動かすのがベスト」という結論に達したとのことですが、このコンプレッサーで蒸気機関車を動かす試みについて、「C12 167復活!」等によると、この他にも「D51 787」(御代田)「D51 561」(川場村)も同じく空気圧縮により動かすことに成功させているとのことですが、御代田にある「D51 787」を復元させた人が川場村にある「D51 561」の復元にも関わり、更に今回若桜駅にやって来た「C12 167」の復元に際しても助言を与える等していたとか。

 本題部分の初めのところで「石炭が用意できないから」とか「擬似的にでも動かして」と書いてみたわけですが、復元対象のSLのボイラーの状態如何によっては、熱膨張を伴わない圧縮空気で動かすという手法を使わざるを得ないこともある、ということでしょうネ。

 また演出用に吐き出す煙についても初めのほうで”ドライアイス”や”煙幕”ではないかと書いてみたのですが、「D51 787」の場合、重油だったり(→「D51787 2005年度展示開始」)、或いは薪等だったり(→「写真帳4静態保存機☆D51787」)しますので、もしかすると若桜駅の「C12 167」が吐き出す模擬煙もこれらの物資の何れかが使われた可能性が高そうですネ《尤も煙を吐き出す際に使った材料が公表されているわけではないのでわかりませんが…》。

 

 若桜鉄道で整備された蒸気機関車「C12 167」のこれからの活躍が楽しみになってきましたネ。

 

 

 次の項に移りたいところですが、ここまでだいぶ長くなってしまいましたので、続きは次回ということで・・・

 

 

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