大阪厚生年金会館、存廃の危機(5)・・・他地域のホール併設型厚生年金会館も危機に~北海道厚生年金会館編
私の住む地元(大阪府)に建つ大阪厚生年金会館が来年(2008年)の9月に廃止・売却となるニュースに接し、驚きのあまり、本ブログに記事を起こしたのが去る10月23日のことで、そこから厚生年金会館に関する記事シリーズが開始となり、2回目からは、全国に点在するホール併設型厚生年金会館(全7館)のうち、市民をも巻き込んだ存続運動が展開されているとみられる5館(北海道・愛知・大阪・広島・九州)をピックアップ、既に記事にしていた大阪を除く4館について順次書いてきました。
その過程で、愛知と広島の両厚生年金会館については、ネット上を眺めていても、署名活動が行われていたこと等が確認出来るのですが、前回取り上げました九州厚生年金会館についてはネット上では署名活動の有無を確認することが出来ませんでした。
勿論、九州厚生年金会館についても他のホール併設型厚生年金会館と同様に存続を要望する意見書の採択等が見られますし、ネット上でもブログ内記事2本にて九州厚生年金会館存続を訴える文言を確認出来ましたが、その記事2本も含めて、ホール存続を求める署名活動をしていることを示す文章等については何処にも見られませんでした。
実は愛知厚生年金会館を取り上げた記事の中で紹介した読売新聞記事の中で、その記事でメインに取り上げられた愛知厚生年金会館を除いた全国6カ所のホール併設型厚生年金会館の存続運動等の模様をまとめた『厚生年金会館の存続をめぐる各地の取り組み』というタイトルの一覧表が画像の形で掲載されていて、この中で、九州厚生年金会館に関しては「昨年(2005年)6月、会館の関係業者による」存続運動がスタートし、後に”存続を求める会”に衣替え。昨年末、市(北九州市)議会が存続意見書を全会一致で採択。今年(2006年)に入って県(福岡県)、国にも提出した。固定資産税の減免措置などを求めて運動中」とあり、一応は存続運動が起こっていたようでありますが、署名活動には発展していなかった模様です《尤も読売新聞の記者が把握していなかっただけという可能性も否定出来ませんが…》。
私自身の早とちりでした。ここに深くお詫び申し上げます。
さて、前置きにもありましたが、愛知・広島・九州と、全国のホール併設型厚生年金会館の中で一般市民をも巻き込んだ存続運動が展開されているとみられるところを順次取り上げてきましたが、最終回となる今回は最果ての地にある北海道厚生年金会館について取り上げることにします。
◎ 北海道厚生年金会館を巡って・・・
実はこの北海道厚生年金会館については、他のホール併設型厚生年金会館と比べて、存続への取り組みに関して一歩リードしています。
というのも、あとで紹介する新聞記事の本文中でも出てきますが、北海道厚生年金会館については、他の厚生年金会館と同じく廃止・売却の対象となっている点では変わりありませんが、「同一都道府県内に代替施設がないことからその中心的な機能を維持することが必要な施設」と認定され、入札に際して「一定期間施設の中心的な機能を維持すること」という条件が付けられている点が他のホール併設型厚生年金会館と異なっています。
現在、札幌市とその周辺に所在する一般的な文化ホールと言える施設といえば(クラシック音楽仕様のホールも含む)・・・
札幌市教育文化会館(札幌市)
《大ホール1,100他;Wiki》
札幌コンサートホールKitara(札幌市)
《大ホール2,008他;1・2・3(A・B・C)》
札幌芸術の森(札幌市)
《アリーナ最大716、野外S最大5,000;1・2・3・4》
札幌市生涯学習センター(札幌市)《ホール436》
道新ホール(札幌市)《700;1・2》
北海道青少年会館(札幌市)《652;◆》
札幌サンプラザホール(札幌市)《506》
江別市民会館(江別市)
《大ホール1,005他;1・2》
江別市民文化ホール(えぼあホール)
(江別市)《453;1・2》
岩見沢市民会館(まなみーる)〔岩見沢市〕
《大ホール1,183・中ホール514;1・2》
いわみざわ公園野外音楽堂「キタオン」(岩見沢市)
《最大20,000;1・2(A・B)》
小樽市民会館(小樽市)《1,216》
小樽市民センター(小樽市)《マリンホール453》
千歳市民文化センター(千歳市)《大ホール1,275他》
北広島市芸術文化ホール(花ホール)
(北広島市)《597;1・2》
恵庭市民会館(恵庭市)《816;◆》
苫小牧市民会館(苫小牧市)《大ホール1,630他》
苫小牧市文化会館(苫小牧市)《500;1・2》
苫小牧市文化交流センター(アイビー・プラザ)
(苫小牧市)《多目的ホール360;◆》
このほか、特殊なものとしては札幌市内にある「札幌コンベンションセンター」(1・2)がありますが、こちらの大ホール(最大2,500)は完全に”コンベンション(会議・展示!?)仕様”という印象を禁じ得ない一方で、小ホール(191)は劇場風の造りになっています。
そしてこの「札幌コンベンションセンター」、稀ですがピアノ発表会等のコンサート用途にも使われているようで、例えばピアノ発表会の類なんかの場合は恐らく小ホールを使うかも知れませんね《なお札幌コンベンションセンターWebサイトに掲載の『イベント一覧』には会場表記のない場合が多いです(どうやら幾つかある会議室を会場として使う場合のみ表記されるみたい…)》
そして、以上列挙した文化ホール以外に、実は今年の3月いっぱいまでは札幌市民会館〔大ホール1,592;1・2・3〕もありましたが、老朽化と耐震性の問題等から閉鎖され(但しホールは1月いっぱいで閉鎖;札幌市は後継施設建設に最低7~8年かかると表明しています)、現在は取り壊されています。
以上列挙した札幌市とその周辺に所在する文化ホールの類に対して、今回廃止・売却が取りざたされている北海道厚生年金会館大ホールの客席数は2,300。
ハコの数自体はそれほど少ないと感じられないところですが、北海道厚生年金会館を除けば、クラシック特化型の「札幌コンサートホールKitara」が2,000を僅かに超えているくらいで、あとは軒並み1,000台以下、それと野外劇場形式の「札幌芸術の森野外ステージ」・「いわみざわ公園野外音楽堂”キタオン”」が存在するという具合で、規模面に於いて中途半端な印象を禁じ得ないところがあります。
更に、札幌とその周辺以外の北海道内のホールについても、「全国劇場&ホール一覧~北海道」で眺める限りは、道内に於ける一般的な文化ホールの類の中で2,000以上の客席数を擁する施設は一つも見あたらず、少し規模の大きなステージを要する催しを行おうとすれば、北海道厚生年金会館を除けば、道内に於ける文化ホールにその場を求めるのは困難であることが推察出来るところです。
そういうこともあって、北海道厚生年金会館の存続運動には地元民は勿論のこと、地元財界までをも巻き込む形で展開され、その結果、国をも動かすことが出来たというわけです。
で、その北海道厚生年金会館の存続への闘い等についてはスポーツ紙を中心に報じられてきていまして、まずは”道産子”歌手によるメッセージ全文を載せる形で報じられている以下のスポーツ紙掲載記事・・・
「大黒摩季、売却決まった厚生年金会館存続願う」 《日刊スポーツWeb版・2006年4月17日付け掲載記事》 |
文化の殿堂を守れ-。国が売却を決めた札幌・北海道厚生年金会館を存続させようと、音楽関係者が立ち上がった。すでに3月からチャリティー公演が実施されており、明日18日、来月11日にも同様の公演を開催と、存続運動が活発になっている。多くのアーティストの足跡が残る同会館の舞台について、北海道出身の歌手、大黒摩季(36)がその思い出を語った。 厚生年金会館は私にとって小さなころから「スターが集う場所」でした。今は「スター」という言葉自体が死語のような気がしますが。生まれて初めて見たコンサートのクラシックピアノ界のスター、ヴァン・クライバーンや札響、松山千春さん、(松田)聖子ちゃん、ジャニーズ、美空ひばりさんなど。私が上京するまでドームもアリーナも無い時代に、たくさんのスターを生で見られるのは、いつも厚生年金会館でした。 音楽で生きていくことを幼少のころより決めていた私は、客席に着くたび、いつかあの舞台に立つんだと熱いまなざしで見ていました。たった1人で上京し、ゼロから始めて10年後、その舞台に初めて立った時、あこがれの裏口から楽屋に入った時の喜びと感動は一生忘れないことでしょう。それはドラマチックで、夢のような思い、そして生まれて初めて自分を認められた瞬間でした。 アリーナをやろうと、スタジアムで走ろうと、子どものころに夢見た地は変わらず厚生年金会館だったのです。去年のツアーは、その初心からファイナルを厚生年金にしました。私にとって夢見た場所、夢をかなえた場所、また新たな夢を誓った場所は勝手な願いですが、いつまでも変わらずあって欲しいのです。 芸術や文化などは生きることに直接かかわらないので時代や社会の変化とともに、いつも1番に削られてしまいがちです。しかし芸術や文化は人の心を癒やし、力づけ夢を見せられる。新たな時代へのきっかけや原動力になると思います。膨れ上がった物質社会において削るもの、残すべきものを、いま1度考える時ではないでしょうか。 札幌市民会館も無くなる今、厚生年金会館が北海道の人たちに振りまく文化と芸術、夢の種を絶やしてはいけないと心から願います。5月のコンサートでは来られる皆さん、スタッフ、すべての心が一つになり、社会や時代、さまざまな事情を超えたPureな気持ちになれるよう、今、私にあるありったけのPeaceを込めて歌いたいと思います。何かを動かす原動力はいつも“たった一つの願い”だと思うので-。 ◆厚生年金会館問題とは 国は昨春、年金保険料の無駄遣いが批判された社会保険庁改革の一環として、年金資金で整備された全国の厚生年金会館などの施設を5年以内に売却、廃止する方針を打ち出した。その中に北海道厚生年金会館も含まれていた。ただ、老朽化が激しい札幌市民会館の取り壊しが決定するなど、道内に文化施設が少ないことから、売却の条件に大ホールの存続が付け加えられた。 しかし、同会館は04年度に収入14億円、経常利益2000万円をあげているが、約1億円とみられる固定資産税が免除されており、実質は赤字。財政難の同会館を札幌市や北海道だけで買い取るのは難しく、入札業者によっては存続も危うい状況となる。そのため、昨年7月には文化団体、イベント会社などが参加し「存続を願う会」が発足。チャリティー公演、募金活動などの存続運動を行ってきた。 ◆北海道厚生年金会館 72年札幌五輪の国際オリンピック委員会総会を行うため、71年9月に完成した。道内最大級の2300の客席数を誇るホールと、120室を保有するホテルからなる。年間87万人が来場し、現在は政府の特殊法人「厚生年金事業振興団」が所有している。大ホールはオーケストラ・ピットを備え、コンサートだけでなくオペラやバレエにも活用。これまで舞台に立ったのは6000組以上。 |
北海道厚生年金会館は北海道内に於ける数少ない”スターの集う場所”だったと、道産子歌手はいみじくも語っていたそうで・・・
ところで、この北海道厚生年金会館の存続に関し、『北海道厚生年金会館存続にPPP が活用できないか』という文書は、全国の年金福祉施設の整理・売却を目的に年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)が発足した2005年、利用団体などを中心とした「北海道厚生年金会館の存続を願う会」が設立され、官民を上げての存続運動を展開、厚生労働大臣への陳情、シンポジウム、市民資金の提供を呼びかけるチャリティコンサートの継続的開催等を実施、と早くから存続運動に取り組んできていることを述べています。
このRFO発足の年には大阪厚生年金会館の建つ大阪市内に於いても地元民有志が立ち上がって”存続を願う会”を発足させ、署名活動を展開させてきたわけですが、大阪の場合は一般市民や各種文化団体のみで存続運動を進めていったような感がありますネ。
更に『北海道厚生年金会館存続にPPP が活用できないか』は具体的な存続のカタチについても言及しており、この中では・・・
◆ 厳しい財政事情や類似施設の状況等を考えれば、道や市に対する単なる存続運動は実効性を持ち得ない
◆ 行政の関与については、市の類似施設全体の効率的運用等の観点から、老朽化した市民会館の閉鎖とセットで一定の関与を求める
◆ ホール運営に係る一定の行政関与を前提に、ホテル運営の効率化や低稼働施設の積極活用(駐車場部分)、ネーミングライツ(命名権)の売却等、様々な可能性を探る
◆ 地元自治体が中心となって設立する第3セクターが施設を保有し、民間が運営に当たる形とする《いわゆる”中野サンプラザ方式”;鉄道界でいうところの”上下分離方式”か》
等と提言を行っています。
そして、実際に売却の段を迎えた時には自治体又は自治体主導で立ち上げる第3セクターが施設を買い取り、民間団体が実際の運営にあたること等を今後の課題として挙げています《『北海道厚生年金会館存続にPPP が活用できないか』の著者が同時に2005年9月25日付北海道新聞への掲載のために著した『提言ほっかいどう経済「厚生年金会館の存続官民連携の契機に」』の中で、国が財政的に危機的な状況に立つ中で北海道はますます自立に向けて自らの足で第一歩を踏み出すことができるかどうかが問われている。官の効率化と併せて民間活力の育成が必要だ、とも訴えています》。
なお、「北海道的・民の力」に於いても上記と似たような提言を行っています。
その売却についてですが、北海道の地元建設業界の専門紙のWeb版に掲載された以下の記事・・・
「道厚生年金会館、民間事業者の関心高く08年度にも売却」 《北海道建設新聞社Web版・2007年10月25日付け掲載記事》 |
札幌市議会決算特別委員会は25日、第1部で市民まちづくり局関係を審議し、北海道厚生年金会館の売却時期について市が「2008年度中に売却となる可能性が高い」との見通しを示した。 藤川雅司氏(民主)の質問に秋元克広企画部長が答えたもの。道厚生年金会館の存続に関して市では、6月に調査業務を日本経済研究所に委託しており、秋元部長はこれまで、運営の担い手と想定される民間事業者20社にヒアリング調査を行った結果、「会館取得に対する民間事業者の関心は高い」と説明。今後は民間事業者の選定方法や金額、負担割合などの検討を進め、本年度中に官民協働のスキームを構築すると表明した。 年金・健康保険福祉施設整理機構が所有する道厚生年金会館の売却時期についての質問に秋元部長は「同機構の存続時期が10年9月までであり、入札公告の手続きなどには1年近くかかるとともに、残務処理などにも約1年を要すとみており、08年度中に売却となる可能性が高いのでは」との見通しを示した。 また、同機構が行った耐震診断調査の結果については「同機構に問い合わせたところ、結果をとりまとめ中」、ホールなどのアスベスト除去工事については「08年夏から5カ月間休館し、工事を進める」という回答を得たと報告した。 |
「一定期間施設の中心的な機能を維持すること」という入札条件が付加されているものの、売却される北海道厚生年金会館に対する民間の関心は高いとのことですが、買収後も確固たる意志を持ってホールを運営してくれるところの手に渡っていってもらいたいところですネ。
◎ さようなら、札幌市民会館
前項の中でも少し触れていますように、札幌市内にあり、かつてジャンルを問わず発表等の場として幅広く愛されてきた札幌市民会館が、老朽化が進んでいることと耐震性に問題有りとされたことから、まずホールが今年1月いっぱいで、そして残りの施設も今年3月いっぱいで、それぞれ閉鎖となり、現在は取り壊しが進んでいます。
この”札幌市民会館の最期”のことについては、スポーツ紙や一般紙の各地方版に於いて、しばしば報じられていた模様です。
● 大ホール営業最終日当日・・・
まずは別れを惜しむ現場から報じたスポーツ紙掲載記事から・・・
「札幌市民会館で31日ラストコンサート開催」 《日刊スポーツWeb版・2007年1月6日付け掲載記事》 |
北海道の音楽シーンを支えてきた札幌市民会館「最後のコンサート」に、多くのミュージシャンが駆けつける。3月末で閉館する同会館は、取り壊し準備のため大ホール(収容人員1600人)は今月31日が最後の利用日になる。「札幌市民会館 最後の日」と題した同日のコンサートに、すでに発表されていた奥田民生らに加え、佐野元春、山崎まさよしの参加が決まった。7日からチケットが発売される。 31日の出演者には、奥田のほかchara+土屋公平(元ストリートスライダース)、仲井戸“CHABO”麗市(元RCサクセション)らが決まっていたが、年が明けて佐野、山崎が追加発表された。主催するウエスでは「まだ返事待ちのアーティストもいるので、もう少し増える可能性も」としている。同会館に「ありがとう」という気持ちを持つミュージシャンが駆けつけるという。 同会館は58年に建設された。大ホール、9会議室の利用状況は平均90%前後。公共施設ということで割安感があり、中学校の吹奏楽の発表会から札響の演奏会、能や落語まで、さまざまな利用があった。同会館の五十川純管理係長は「本当にいろいろな方々に利用していただいた思い出があります」と振り返る。 今月中にはほかに、7日の札幌開成高吹奏楽部OB会「ありがとう!市民会館!」、19日の札響特別演奏会「さよならコンサート」、26日の道内在住フォークシンガーらによる「メモリアル・コンサート」など、“感謝コンサート”が7回も企画されている。「最後の日」では収益金の一部を北海道厚生年金会館存続チャリティーに寄付するなど、北海道の音楽活動の場を守る活動も予定されている。 ◆札幌市民会館 最後の日 31日午後6時開場、同7時開演。当日はさまざまなアーティストのバックを、全国から駆けつけた「HALL AID BAND」が務める。チケットは7日発売開始で全席指定7350円。問い合わせはウエス=電話011・614・9999へ。 ◆札幌市民会館 3月いっぱいで閉館となる。新たな会館について、札幌市では「再開発地区内の北1西1にオフィスビルなど民間機能も持つ複合施設として建設予定」とするが、完成までは7、8年かかる見込み。現会館跡地に民間企業が建設する暫定ホール(10月着工、08年10月利用開始)は、札幌市が代替施設としてリースで確保する。 |
「清志郎、元春らが札幌市民会館の有終飾る」 《日刊スポーツWeb版・2007年2月1日付け掲載記事》 |
<連載・音楽図鑑「厳選@ライブ」> 札幌市民会館の大ホール(収容人員1600人)が1月31日、48年間の歴史にピリオドを打った。この日のコンサート「札幌市民会館 最後の日」に奥田民生、佐野元春、山崎まさよしら8組の人気アーティストが集結。奥田は「ぼくらにとって、金閣寺より大事なんです」と話し、ほぼ満員のファンから喝さいを浴びた。ステージと客席が一体となり、同会館のフィナーレを飾った。 サプライズゲストは忌野清志郎だった。病気療養から復帰したばかりで急きょ、出演を申し出た。この日、RCサクセション時代の盟友、仲井戸“CHABO”麗市とのセッションで会場を大いに盛り上げた。「今日のぼくたちがあるのは、札幌市民会館のおかげでぇすっ。愛してま~す」と忌野。仲井戸は「最後の日に呼んでもらって、感謝してます」とシャウトした。 この日の売上金の一部は、売却問題で揺れる北海道厚生年金会館の存続チャリティー金として寄付される。「アーティストにとって発表の場が少なくなり、お客さんにとって生のステージを見るチャンスが減るんです」とウエスの井出上哲チーフプロデューサー。58年建設の札幌市民会館は3月末で全館閉館となる。 ◆見学会 札幌市民会館のパネル展、バックステージツアーが10~14日に行われる。パネル展(午前9時~午後4時)は自由閲覧、ツアーは1日2回(午前10時、午後2時)で各40人まで申し込み順。詳細は市民会館管理係=電話011・241・9171へ。 |
この札幌市民会館を公演でよく利用したというアーティストたちが、ホールとしての最終日(今年の1月31日)に一堂に会し、48年間愛され続けてきたステージに精一杯別れを告げていた、ということでしょうネ。
● 札幌市民会館で育った札響も別れを・・・
一方、一般紙では消えゆく札幌市民会館に対する想いを語らせている記事が幾つか掲載されています。
まずは昨年4月(つまり完全閉館の約1年前)に朝日新聞Web版に掲載された、3本立てシリーズ『札幌トレンド ~大変貌の予感』の最終回となった以下の記事・・・
「大変貌の予感(下)「象徴」も再開発の波」 《朝日新聞Web版(asahi.com)・2006年04月03日付け掲載記事》 |
■旧拓銀本店など「また親しまれる場所に」 札幌駅前通と大通の交差点に立つ旧北海道拓殖銀行本店ビル。拓銀破綻(は・たん)後、北洋銀行大通支店になったこのビルが、09年に近代的なオフィスビルに生まれ変わる。 「石造りの外観に回廊のあるロビー。よき時代の銀行そのものだった」 藻岩山のロープウエーなどを管理運営する札幌振興公社の星野尚夫社長(59)は話す。 旧拓銀で市場開発部長、業務企画部長などを務めた。拓銀最後の営業日もこのビルにいた。シャッターが下りる瞬間は、「直視できなかった」と振り返る。 計画では、新しいビルの名は「札幌ビジネスセンタービル」。地上20階地下2階で1、2階は北洋銀行の支店、最上階と地下はレストランやカフェ、その他はオフィスの入居を検討している。 「金融・経済・情報の拠点として、道内経済活性化のシンボルタワーを目指す」(北洋銀行)という。 6階建ての現在のビルは61年の建築。北海道経済の象徴だっただけではない。大理石の壁にはアンモナイトの化石があり、小学生が課外授業に訪れた。「拓銀さん」と呼ばれ、親しまれてきた歴史が刻まれている。 「新しいビルも大通公園の緑と噴水が映え、市民が集まるような建物であり続けて欲しい」と、星野さんは願っている。 旧拓銀本店から東に200メートル余り。大通公園の東端「創世1.1.1区(さんく)」と呼ばれる一帯も、再開発が検討されている。 札幌市民会館、NHK札幌放送局、北海道電力本店ビルなどを移転し、大通公園も東に延ばす。耐震強度に不安がある市民会館は、すでに07年3月の閉鎖が決まった。 「市民会館は札幌の文化の象徴。札幌市が文化に取り組む姿勢を表現する場所だった」 札幌交響楽団の創立メンバーとして、この会館で数多く演奏してきた竹津宜男さん(71)は語る。 建築翌年の59年、東北大学の学者らがまとめた「札幌市民会館の音響特性」と表題がついた報告書には、「我が国有数の音響装置が完成した」と記されている。 竹津さんは札響の最初の定期演奏会にもホルン奏者として参加した。「すばらしいホールにつられ、全員が一生懸命演奏した」 完成から半世紀。プロのオーケストラから、合唱コンクールなどに参加した子どもたちまで、多くの市民がこのホールに立ってきた。 新たな会館の建設について、札幌市は「10年程度の長い目で検討する」。場所も現在地にこだわらない考えで、すべてが白紙の状態だ。 新しいものが誕生する陰で、古いものは表舞台からの退場を余儀なくされる。 「札響の音は市民会館で育まれた。ここは札幌市民のための劇場だった」。竹津さんは、そう振り返っている。(豊岡亮が担当しました) |
道産子プロ・オーケストラである札幌交響楽団の生誕の地でもあったんですね、札幌市民会館。
札幌交響楽団Webサイトによると、初めて定期演奏会を行ったのは1961年9月6日のこと。まだ前身の”札幌市民交響楽団”と名乗っていた頃に、この札幌市民会館のステージで、初代常任指揮者だった荒谷正雄のタクトの下、産声をあげたとのことです。
「【北海道の戦後60年】第6部 札響が生まれて(1)」 《朝日新聞Web版(asahi.com)・2005年11月08日付け掲載記事》 |
うねり結実 熱狂の夜 札幌コンサートホールKitara。10月30日に開かれた札幌交響楽団の第482回定期演奏会に、札響の歴史と共に歩んできた竹津宜男(よしお)さん(70)の姿があった。 「あれからもう44年」。ホルン奏者、楽団事務局長、PMFディレクター、そして、北海道国際音楽交流会副理事長。立場は変わっても、札響の演奏会はほとんど欠かしたことがない。 札響は1961年9月6日、建てられて3年の札幌市民会館で、第1回定期演奏会を開催した。団員55人。地方都市では群馬響、京都市響に次ぐ、全国3番目のオーケストラだった。 26歳の竹津さんはその日、午後3時からの最終リハーサルを前に、昼すぎに会場に入った。楽団の世話役でもあり、舞台を準備するためだ。ところが、奏者の座るいすが舞台裏にない。「普段は講演の場所だから」と会館職員。2階と3階の会議室からパイプいすを借り集めて舞台に運んだ。階段を何度上がり下りしただろう。 午後6時半開演。会場は1600人の市民で埋まった。初代指揮者・荒谷正雄氏(故人)のタクトで、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲からベートーベンの「交響曲第1番」まで4曲を披露。「地元の楽団」に熱い拍手がいつまでも続き、アンコールで更に4曲を演奏した。 演奏会を伝えるテレビニュースを仲間と喫茶店で見た後、帰宅の足は最終バス。乗ろうとしたが、ススキノの酔客ですでに満員だった。ホルンの大きなケースを抱え、ちゅうちょしていると、奥の方から声がした。「おい、札幌オーケストラが来た。空けろ」。座らせてくれた。 竹津さんは前年の60年10月、日本初の本格的オペラ団体「藤原歌劇団」の座付きのホルン奏者として札幌を訪れていた。市民会館での公演の合間、大通公園を西端まで歩いた。振り返ると、低い街並みの向こうに会館が見える。時計台の鐘の音が響いた。広島県の城下町で育った青年には、外国の街のように感じられた。クラシック音楽が似合う街だ。 だから、公演後の懇親会で「札幌にオーケストラがあったら、入りたいです」とあいさつした。 翌年1月。東京の竹津さんに、懇親会で会った人から電話がきた。「ああ言ったんだから、オーディション受けてくれるんでしょうね」と言う。「オケないでしょう」「今年できます。ずっと準備していたんです」 当時、NHKの各放送局が持つ放送管弦楽団などを基盤にオーケストラをつくる動きが、全国各地で起きていた。だが、札響の場合は札幌放送管弦楽団とは一線を画し、新しいオーケストラをつくろうとしていた。 欧州への音楽留学から戻り、若手育成にあたっていた荒谷正雄氏の働きかけに、地元文化人や政財界が賛同して大きなうねりとなり、札幌市も支援に動いたのだ。 東京でのオーディションに合格した竹津青年は7月1日午前、ホルンを抱えて札幌駅に降り立った。「この街に永住する」と心に決めていた。天気晴朗。札響発足の日だった。 札響の草創期を中心に「わがまちのオーケストラ」の歩みをたどる。 札幌交響楽団 61年7月に札幌市民交響楽団として発足。翌年3月に財団法人札幌交響楽団となり、北海道唯一のプロ・オーケストラとして活動してきた。02年に財政危機が表面化したが、事業を見直す抜本改革で立ち直りつつある。現在は、音楽監督・尾高忠明、正指揮者・高関健の下、団員75人が、定期演奏会のほか、ミニコンサートやアマチュアを指導するワークショップにも力を入れる。 |
当時、地方都市を本拠とするプロ・オーケストラとしては3番目の誕生となった札幌交響楽団、当時音響面で高い評価を受けていた札幌市民会館で開かれた第1回定期演奏会では鳴りやまぬ拍手になんと4曲をアンコール演奏していたのだそうで、地元民からの期待も高かったことを窺わせますネ。
で、この項の初めにて、この札幌市民会館のホール利用最終日である1月31日に札幌市民会館をよく利用していたというアーティストたちが集結してお別れのコンサートを開いたことを、日刊スポーツの記事を交えて、お話ししましたが、実は同じようなことをこのホールで育ってきた札幌交響楽団も行っていました。
札幌交響楽団による札幌市民会館とのお別れコンサートが開かれたのは去る1月19日のこと(→「札響をはぐくんだ音楽の殿堂、札幌市民会館さよならコンサート@札幌」)、2004年5月から音楽監督に就任している尾高忠明のタクトの下、このホールで行った第1回定期で演奏していたというモーツァルト、ベートーヴェン、そしてドヴォルザークの各作品計3曲が演奏されたとのことですが、「さよならコンサート」によると、公演の終わりに音楽監督の尾高が「もう触れませんから座席にタッチ して帰ってください」と同会館に別れのあいさつをし、聴衆たちは名残惜しそうに会場を後にしていったのだそうです。
この札響によるお別れコンサートに聴きに行った人たちによるレポートによると、上記の予定演奏曲目を終えた後、アンコールとしてJ.S.バッハの『G線上のアリア』(管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068から第2曲「エア(アリア)」)が演奏されたとのこと。
札幌交響楽団チェロ奏者・荒木均開設のWebサイト『ARAKI(V.c.)'s H.P.』に掲載されている「札幌市民会館さよならコンサート」によると、別れを惜しむ聴衆で超満員となった会場には札響創立当時のメンバー12人も客席最前列で演奏に耳を傾け、終わり際に音楽監督の尾高に促される形で12人は立ち上がり、客席後方に向かって一礼をしたそうで、アンコール曲の『G線上のアリア』の最後の響きが場内で消えた瞬間、市民会館への感謝の気持ちでホールが満たされた、とこのレポートは結んでいます。
また、「News 07-03号 ~札幌市民会館の閉館に思う」は、アンコール曲の「G線上のアリア」演奏後の暫しの沈黙の間、指揮の尾高も感極まっていたことだろう。目頭を押さえた聴衆も少なくなかった、と感慨深げに綴られています。
このお別れコンサートを聴きに来ていた人たちの間からは、ロックのライブとは全然違う緊張感も堪能できたし、何より演奏を楽しむ事ができた、という声や(→「札幌交響楽団 特別演奏会」)、市民会館という母親の元で札幌交響楽団が育てられてきたとの札幌市長の話に納得し、アンコールで演奏されたバッハのアリアにウルウルしたという声(→「札幌市民会館 さよならコンサート」)、最後に演奏されたバッハのアリアがなんとも切なく、穏やかだった会場の空気も少し変わっていた、自分も写メで思い出を残したといった声(→「札幌市民会館」)・・・等が聞かれましたが、やはりこうしたある種特別な場でも、演奏中にケータイ着信音を鳴らす等のマナー知らずは存在するようで《→「お疲れ様でした。」(勿論、着信音を鳴らしたのは当該記事の記者ではありません。念のため…)》・・・
また、このお別れコンサートに出演していた楽団員らの間からは、幾度となく立ったこの札幌市民会館の舞台を懐かしむ声が聞かれました(→「市民会館さよならコンサート 」・「ライフ納車!と・・札幌市民会館さよならコンサート」;「ライフ納車!と・・札幌市民会館さよならコンサート」記事本文中に、お別れコンサート当日の舞台裏等をとらえた写真集へのリンクが張られています)。
● ホール運営等に関わってきた人々の思い・・・
さて、札幌交響楽団による札幌市民会館とのお別れコンサートが開かれた前日の日付で読売新聞に掲載された以下の記事・・・
「感動の一夜」 《読売新聞Web版(YOMIURI ONLINE)「北海道発」・2007年01月18日付け掲載記事》 |
約50年の歴史を持つ札幌市民会館が、老朽化のために3月で取り壊される。音響のよいことで知られる大ホールは今月限りで閉鎖となるそうで、子供のころから何度も足を運んだ者としては、少し寂しい。 座席数約1600の市民会館は、演者と観客の絶妙な距離感が魅力だった。お気に入りのアーティストがこのホールを満員にしただけで、なんだか誇らしい気持ちになれた。逆に空席が目立つとハラハラしたものだが、そんな時でも手を抜かない演奏と、熱く盛り上げるファンの声援が一つになった感動的な夜のことは、忘れられない想(おも)い出だ。 そんないくつもの記憶が残る場所がなくなるのは、確かに残念ではある。でも、そうした“感動の一夜”は、素晴らしいアーティストたちと観客によって、再び新しいステージで作られていくはずだ。その積み重ねこそが歴史となり、市民会館もそうだったように、人々から愛される場所へと育っていくのだろう。 先日、市民会館大ホールで行われた、あるコンサートの裏方を手伝った。その際に、かつてあこがれていたステージに初めて立つことができた。バンドをやっていた若いころは、良い演奏を聴いた帰りに「いつか自分もこのステージで」などと思っていたのだ。 ガランとした客席を見渡していると、一瞬歓声が聞えたような気がした。ライブの熱気の名残か、それともこの空間に満たされた50年分の感動のせいだったのだろうか。 |
人々に愛される場所としてホールは育つ・・・完成は早くても7~8年後といわれる札幌市民会館の後継施設、そしてそれまでの間の繋ぎの役目を務めるべく建設される仮ホールへと感動は継承される、ということでしょうネ《意味を取り違えているかも…》。
また、1月末を以てホールが先に閉鎖されてから1ヶ月少し経過した3月初旬に同じく読売新聞に掲載された以下の記事では、札幌市民会館建設に関わった者の誇りというものを感じさせてくれます。
「【幸せの器】座席に刻んだ父の誇り」 《読売新聞Web版(YOMIURI ONLINE)「北海道発」・2007年3月3日付け掲載記事》 |
大観衆のざわめきに包まれた気がした。舞台に立つと、目の前には1600の座席が広がっている。それにしても、観客との距離はこんなにも近かったのか。拍手を送る一人ひとりの顔が見えたような錯覚に陥った――。1月31日に半世紀の歴史を閉じた札幌市民会館を訪ねたのは、読者の手紙がきっかけだった。差出人は札幌市の長井千恵さん(63)。閉館を知って、父の思い出をつづってくれた。 中学生のころ、大工だった父が「あすから仕事は夜なべになるぞ」とつぶやいた。徹夜の作業は、座席の木製ひじ掛けとベニヤ板のコンクリート枠作り。「ある夜、父は『今の仕事はなぁ、札幌市民会館を作っているんだ』とぽつりと言った。半信半疑の母や私たちの前でそれ以上話もせず、職人特有のボソリボソリの会話でした」。頑固な父だった。 一家は戦前、樺太で暮らしていた。しかし、父は出征し、中国や南方戦線へ。ソ連侵攻時はまだ5歳。母は生まれたばかりの妹と長井さんを連れて逃げた。終戦時、鹿児島にいた父は妻子を助けるため稚内から船で樺太に渡り、再会を果たした。その後、父は札幌の小さな町工場で働く。そして下請けとして会館の建築にかかわったのだ。 完成は1958年。以来、大勢のスターが舞台に立った。美空ひばり、フランク永井、岸洋子……。指揮者のレナード・バーンスタイン、ジャズのソニー・ロリンズも。座席の観客は音響に配慮された大ホールで、歌声や音楽に酔いしれた。母も舞踏会で舞台に上がったことがある。長井さん自身もわらべ歌を歌った。2人の娘さんもミス着物として舞台に立ったという。 父が座席のひじ掛けを作ったという記録はどこにも残っていない。でも、「客になっていすに座るたびに軽く触ったひじ掛け。高校生のころはピカピカだったのにニスがはげ木地がでてきた。今も父が作ったひじ掛けだと思っている」と。 建物正面の壁に掲げられた札幌市民会館の文字。「父はちょっぴり自慢げに話していた。その字のコンクリート枠を作ったのは『おれだ』と。大きな枠作りだと言っていたが、仕上がった時に見に行って、『チッチャイナー』とひと言つぶやいた。しっかり正面の壁に輝いていると心がわくわくした、と無口な父が話していたのを思い出す」 会館が取り壊される日、父と母の遺影を持って、遠くから見守りたい、と手紙は結ばれていた。 |
頼りを寄せた人の父親も建設に関わったという、当時音響面で随一の評判だった札幌市民会館のステージをあらゆるジャンルのアーティストたちが駆け抜けていき、その度に酔いしれていった聴衆たち・・・目に見える形では示されていないものの、随所で建設に関わったその父親の面影を残していた市民会館、様々な思いを交錯させながら解体の様子を見守っていることかと思います。
そして3月末を以て札幌市民会館は完全に閉鎖され、ついに取り壊しが始まったわけですが、その最中に読売新聞に掲載された、この小項の最初に取り上げた「感動の一夜」という記事を書いた記者の手による以下の記事・・・
「札幌の青空」 《読売新聞Web版(YOMIURI ONLINE)「北海道発」・2007年06月28日付け掲載記事》 |
JRタワーの出現以降、札幌の景色は随分変わったように思う。長年暮らしていると、細かい変化には無頓着になるせいか、気がつけば新しいマンションやビルが建っていることはしょっちゅうある。以前、そこに何があったのか思い出せないことも日常茶飯事だ。 しかし、旧拓銀本店ビルがなくなり、市民会館の取り壊し作業が始まった大通周辺を歩くと、さすがに感慨深い。子供のころから当たり前のように思っていた街の姿が、大きく変わりつつあることを実感させられるとともに、自分自身の生活が変わっていくような錯覚すら覚えてしまう。 そんなことを考えながら、大通公園のベンチに座り、しばし一服。晴天の初夏、広がる青空には雲ひとつない。おそらく、日本の大都市といわれる街の中心部で、こんなにも大きくて気持ちの良い青空を見ることができるのは、札幌くらいじゃないかと僕は思う。 公園からはどの方角を見渡しても、街の喧騒(けんそう)をスッポリと包み込むように広がるのどかな青空が、視界のほとんどを占領する。そのあまりにも“あっけらかん”とした風情に、これこそが札幌の風景なんだろうなと感じた。 時代とともに古いものが消え、そこに新しいものが生まれるのは都会の常である。でも札幌の青空は、そうした慌ただしい動きが、人のささやかな営みに過ぎないことを気づかせてくれる。そんな青空の大きさだけは、いつまでも身近に感じられる街であってほしい。 |
かつてその場所にあって当たり前の存在だったものが次々と姿を消していくという気忙しさや都会の喧噪を、札幌の大通公園の真上に大きく広がる青空はお構いなしに包み込む・・・小忙しく変化する下界と相も変わらずゆっくり漂う頭上の青空の対比というのも面白いところですネ(う~ん)。
余談になりますが、ホール閉鎖後、完全閉鎖となる前に札幌市民会館内にあるギャラリーで展示会が行われたみたいで、「札幌市民会館、さようなら」にてその模様が公開されているのですが、いわば「死」を待つばかりの施設の”最期の華”となっていた感じですネ。
何とも切ない・・・
北海道厚生年金会館より先に閉鎖・取り壊しとなり、消滅しつつある札幌市民会館の話でえらく長くなってしまいましたが、北海道厚生年金会館とともに札幌市民会館も北海道内に於ける文化の大きな拠り所であったことを改めて認識させられた思いがします。
地元財界等をも巻き込んだ存続運動の結果、北海道厚生年金会館は、少なくとも一定期間、ホール等の機能は売却後も保持出来ることが事実上決まった形となったわけですが、これからも末永く文化の拠り所として生き残っていくため、ホール運営に長けた民間団体に運営を任せたり、或いは広島の旧広島郵便貯金会館で見られたような、ホール名称のみを一定期間民間企業等に権利として販売(ネーミングライツ)する等、財政負担を分散させつつホールの中身(ソフト面)を活性化させる取り組みが必要となってくると考えています。
以上、ここまで4回にわたって愛知・広島・九州・北海道の各厚生年金会館に於ける存続の動き等についてお伝えしてきました。
次回はいよいよ本当の最終回で、視点を再び大阪に戻す一方で、全国に点在するホール併設型厚生年金会館についての総括的な話や解決策となりそうな(?)話等をしていこうかな、と思っています。
P.S.(追記)
「さようなら、札幌市民会館」の項の最初のところで、札幌市民会館のホールとしての営業最終日にポピュラー音楽系統のアーティストが一堂に会して催されたさよならコンサートを主催した地元札幌に本拠を構える音楽プロモーター、ウエス(WESS)の代表が、存廃問題に揺れる北海道厚生年金会館について、日刊スポーツに以下のようなコメントを寄せています
「北海道厚生年金会館は道民に必要な文化」 《日刊スポーツWeb番・2007年3月1日付け掲載記事》 |
失って初めて分かる。なくなってから、それがとても大切だったと気付く。よくあることですが、1度失ったものを取り戻すことは、とても難しい。これも当然のこと。だから言いたい。札幌にある北海道厚生年金会館は、道民にとってとても大切なものです、と。 座席数2000。これが、音楽でも芝居でも、どんなイベントでも、基準となる数字です。同会館は2300席。200万人都市になろうかという札幌ですが、代替できる施設はありません。もし同会館がなくなったら、北海道にやってくる“文化”は、とても少なくなってしまいます。 「集客の見込める札幌で利益を出す。旭川や函館といった地方都市はトントンでもいい」。興行は赤字では成り立ちません。ですが、普及という側面も含め、北海道は札幌+地方都市と考えるのが常識になっています。同会館の存続問題は、札幌市民だけの問題ではなく、北海道に住むすべての人にかかわってくる問題なんです。 LIFE&LIVE Projectチャリティ実行委員会は、一般競争入札が予定されている同会館の入札原資を集める、というのが趣旨。多くの方からご協力、浄財をいただきましたが、まだ足りません。現在「Yahoo!チャリティーオークション」を実施中です。賛同してくれたミュージシャンにご提供いただいた品を、1度のぞいてみてください。 ある人に教えていただいたことがあります。ドイツの戦後復興は、病院とホールの再建から始まった-。病院は当然。ですが、ホールは日本人のメンタリティーにはないかも知れません。「苦しいとき、つらいときにこそ、心を潤す文化が必要である」。わたしは、賛成です。(ウエス代表取締役・小島紳次郎) ◆寄付するには ▽北洋銀行東屯田支店(普通3516598、名義LLP募金口)▽郵便(02720-9-42571、口座名称L.L.Pチャリティ実行委員会)▽寄付金額525万6400円(16日現在)▽問い合わせは同実行委員会=電話011・611・1288、またはホームページはhttp://www.life-and-live.jp/ |
ここで、上記記事本文の終わり近くに記されている・・・
ある人に教えていただいたことがあります。ドイツの戦後復興は、病院とホールの再建から始まった-。病院は当然。ですが、ホールは日本人のメンタリティーにはないかも知れません。「苦しいとき、つらいときにこそ、心を潤す文化が必要である」。わたしは、賛成です。 |
この言葉は私の心にも響きました。病院は人々の病を治す場であり、劇場やホール等の文化施設は人々の心を癒やす場である・・・
確かに音楽等を聴いて楽しむだけならば自宅にラジカセ等のオーディオ機器が備わっていれば済む話ですし(或いはパソコンにインストールされているメディアプレーヤーを使って楽しむという手もありですね)、事実それなりに楽しめるわけですが、所詮自宅は自宅。スピーカーからオーケストラ演奏の音が流れても周囲は普段の生活空間そのままであるため、裕福な家とかに備わっているような専用のオーディオ・ルームならいざ知らず、耳では楽しめても五体全体で楽しめているかというと必ずしもそうとは言い切れないところがあると感じます。あくまでもスピーカーから流れる音を耳で聴いて楽しむだけなのですから・・・
これに対して劇場やホールに於いては、変な話、空間全体が音楽や演劇等の各種芸術で満たされる格好となるわけで、ただ耳で聞くだけにとどまらず、振動とかもホールの空間や壁全体を通じて体中に伝わり、更に舞台にて現実に繰り広げられている各種の演技(芸術的表現)が視界となって目の中に飛び込んでくる・・・
つまり、目の前で繰り広げられている各種演技を見聴きすることに専念出来、その各種演技によって支配される劇場(ホール)内空間の中に自らの身体を置いていることで耳からだけでなく五体全体から感覚としてとり入れることが可能となり、結果心の癒し等につなっていくことになるわけで、これは音楽から離れますが、最近になって、お笑い(漫才とか)が糖尿病の治癒に一役買っているとの研究報告がなされる等、ホール等の文化施設は使いようによっては無駄なハコものとは決してならないわけですね《この「使いよう」、即ちソフト面の充実も継続的なホール運営には欠かすことの出来ない要素といわれます》。
このことはなにも北海道厚生年金会館、そして北海道の文化施設に限ったことではなく、日本全国にある全ての文化施設にあてはまる話であり、各々の地域に於ける文化発信基地の役割を果たしているであろう全国7箇所のホール併設型厚生年金会館を、ただ年金福祉施設という理由だけで、既に売却済みの「グリーンピア」等と同一視し、一律に廃止・売却してしまうのは如何なものか・・・疑念を抱かずにはいられない心境にあります。
【関連記事(大阪厚生年金会館、存廃の危機)】
「(1)文化発信拠点の売却、その背景とは、そしてそこに集う人々の想いは・・・」
「(2)他地域のホール併設型厚生年金会館も危機に~愛知厚生年金会館編」
「(3)他地域のホール併設型厚生年金会館も危機に~広島厚生年金会館編」
「(4)他地域のホール併設型厚生年金会館も危機に~九州厚生年金会館編 」
「(6)総括として〔ホール存続のための私なりの意見(!?)も添えて〕」
「〔余録〕フェスティバルホールと大阪国際会議場(グランキューブ大阪)のこと」
【関連記事(その他”厚生年金会館”のこと)】
「全国の厚生年金会館(ホール併設型)のいま・・・ひとまず安泰の石川・大阪・九州と、風前の灯火の愛知」
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