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ベートーヴェン「第九」がもたらす地方のイイ話・・・・・・広島市、北海道夕張市

 昨日(12月2日)、こちらの地元・大阪では「1万人の第九」第25回公演が無事に終了し、「1万人の第九」公式サイト内設置の『2007 佐渡裕と1万人の交換絵日記』には合唱参加者等からの感想メッセージや終演直後の出演者たちをとらえた写真等が掲載され、レッスンを含めて3ヶ月余りもの間続いてきた今冬の「1万人の第九」の終了に対する一抹の寂しさ等が伝えられていました。

 一方、大阪の「1万人の第九」が終わったことにより、広島の「第九ひろしま」の公演本番まで残り2週間を切る形となったわけですが、「第九ひろしま」の企画・運営を担当する中国放送(RCC)事業センターのスタッフブログ『ブーフーウー広島イベント日誌』に掲載の「江原啓之さんと歌いましょう」によると、今冬の「第九ひろしま」に於いても、「1万人の第九」と同様に、第1部に於いてゲスト出演者(江原啓之)が歌唱を予定している曲の中に合唱団も演奏参加する作品が含まれている模様で〔ちなみに合唱団参加曲はボロディンの『イーゴリ公』から「だったん人の踊り」の模様〕、主催者側で合唱団向けの楽譜が準備され、広島県内設置のレッスン会場にて配布となっていますので、遠隔地からの参加の場合は、もしかすると、公演会場である広島サンプラザホールに於ける配布を受けることになるかもしれません《ただ、広島県外向け合唱団員募集に応募された方については広島に向かうバス車内に於いて配布される可能性がありますね》。

 

 

 ところで、「1万人の第九」総合リハーサルの前日に掲載した記事を書く過程に於いて、地方に於けるベートーヴェン第九」に纏わる話を2つ見つけることが出来ましたので、今回はそれを紹介していきたいと思います。

 実はこの2つの話のうちの1つが「第九ひろしま」の行われる広島に於けるベートーヴェン「第九」に纏わる話で、なんでも原爆が投下され、終戦直後のまだ放射能が多く漂っていたであろう広島の地でなんとベートーヴェン「第九」が復興への原動力となったらしいのですが・・・

 

 

 広島に於けるベートーヴェン「第九」に纏わる話については後ほど紹介することにして、先にもう一つの「第九」話を紹介することにします。

 それは北海道の夕張市に於けるベートーヴェン「第九」話。

 とり上げるのは夕張市内を活動の本拠としているレコード愛好家の集まりが毎年暮れに開いているベートーヴェン「第九」のレコードコンサートで、昨年の暮れに読売新聞がその模様を記事として掲載しています《尤も「レコードコンサート」とは言っても実際にプレーヤーにかけられたのはDVDだった模様ですが…》。

 このレコード愛好家の集まりが活動の拠点としているのは夕張市民会館でありますが、今年3月の「財政再建団体」への移行を受ける形で、閉鎖に追い込まれてしまいました。
 しかし、映画を糸口にして復興を図っている市民グループの手により復活を遂げることとなります。

 

◎ 北海道・夕張の”「第九」コンサート”

 その、昨年暮れに読売新聞に掲載された、夕張市に於けるベートーヴェン「第九」レコード(DVD)コンサートの話題を扱った新聞記事を紹介しますと・・・

 

夕張レコード愛好会(夕張市)
《読売新聞Web版(YOMIURI ONLINE)・2006/12/13付け掲載記事》
「第九」の親睦 来年も
 年の瀬が近づき、「第九」の季節がやってきた。夕張市の夕張市民会館でも9日、夕張レコード愛好会による鑑賞会「第九を聴く会」が行われ、会員がベートーベンの傑作に酔いしれた。愛好会が活動拠点にしている会館は市の経費見直しにより2007年3月で閉鎖の方向。会員は「市民会館での鑑賞会はこれで最後になるかもしれないが、活動はずっと続ける」と誓っている。(桜井考二)
 
 「交響曲第9番は、ベートーベンが思い立ってから完成まで30年余かかった曲です」。市民会館の4階会議室で、会友の伊藤太郎さん(70)の解説に、約15人の参加者はじっと耳を傾ける。そして、いよいよDVDによる第九の始まり。約80分の演奏が終わった後、会員の間から自然に拍手がわき起こった。
 「やっぱり、第九を聴かないと、年を越せないわ」。会員の浦崎勝子さん(65)は満足そうにつぶやいた。
 夕張レコード愛好会の「第九を聴く会」は今年で48回目。つまり、48年目ということで、その歴史は長い。1958年12月11日、市内の喫茶店で第九を聴いた音楽好きの人たちが翌59年1月、夕張レコード愛好会を設立、以来毎月定例の音楽鑑賞会を開いている。発足以来48年間一回も欠かさず定例会を続け、今年の「第九を聴く会」は第576回コンサートも兼ねている。
 「いつだったか、2月の定例会の日に大雪となり、3人しか参加しなかったこともあったよね」。浦崎さんと、事務局長の小松政博さん(51)が笑い合った。会長の滝口光男さん(67)は「定例会を続けることが私たちの誇りなんです」と、先輩の築き上げた“歴史の重み”を語る。
 会が発足した59年の夕張市の人口は約11万6000人。石炭産業がまだ輝いていた時代だ。愛好会の会員も100人近かったという。だが、炭鉱閉山と人口減で会員は減り、現在11人。
 愛好会の第1回からの会員だった後藤和好さん(72)(岩見沢市志文町、現・会友)は「炭鉱事故があって、市の要請で定例会コンサートを自粛したことがありました」と振り返る。81年10月には北炭新鉱でガス突出事故があり、93人が犠牲になった。会は翌11月26日の定例会で、モーツァルトのレクイエムを演奏し、死者の冥福(めいふく)を祈った。
 そして愛好会は現在、市の猛烈な財政見直し計画に直面している。市公民館サークル協議会に加盟する団体は免除されていた市民会館の使用料が10月から有料になった。「有料化は仕方がない。しかし、市民会館そのものがなくなったらどうなるのだろうか。文化サークルの活動の場所を残してほしい」と滝口会長は訴える。
 小松事務局長は「家庭で音楽が気軽に楽しめる時代になり、愛好会の性格も変わってきた。会員相互の親睦(しんぼく)を深める楽しみもある。でも、長続きの秘訣(ひけつ)はやはり、みんな音楽好きということ」と強調する。愛好会はあと2回の第九で50歳を迎える。

 

 炭坑と共に歩んだ夕張市と同じくして…とでもいいますか、夕張レコード愛好会も創立当時には100人近い会員数を集めるも、炭坑が無くなってしまった今(2006年現在)では11人・・・
 ちなみに夕張市の現在の人口(2007年9月30日現在)は12,321人と、愛好会創立当時の約9分の1となっていて、変な話、愛好会自体も同じように会員数規模を縮めてしまっているわけですね。

 それでもその夕張レコード愛好会が主催する昨年暮れに開かれた第48回「第九を聴く会」には会員数を超える人たちが市民会館内の一室に集まり、DVDによるレコードコンサートによりベートーヴェン「第九」を愉しんでいた・・・記事に指揮者等の演奏者データの記載がないため、どのような演奏展開だったかは知る由もありませんが、演奏が終わった後には拍手も起こったとのことで、寒くなる一方の気候の中、会場内は暖かい雰囲気に包まれていたようでしたね。

 

 寒い、といえば、気候もさることながら、この夕張レコード愛好会の活動の本拠としてきたであろう夕張市民会館が、昨年9月末頃の財政再建団体認定への申請の議会可決を受け、閉鎖されることになってしまいました。

 

夕張よ 再建への助走 ~(上)不安 市民報告にも足かせ
《北海道新聞Web版・2006/09/30(土)付け掲載記事》
「自己決定権なくなる」
 九月上旬、夕張市内の居酒屋で五人の男の“送別会”が開かれた。「いままでありがとう。こうなって悔しい」。涙を流して訴える男たちのあいさつに、映画祭などを一緒に支えてきた二十人の市民は目頭を熱くした。
 五人は、今年三月まであった「ゆうばりマウンテンシティ実施機構」(MCP)のメンバーだ。MCPは、「夕張を三百六十五日イベントのある町に」との趣旨で、一九九七年にできた。映画祭をはじめ、各種行事の裏方役を担ってきた。
 イベント担当の市職員の時間外手当が多額になり、外部委託化したことが設立の背景だった。市長が理事長を務める任意団体で身分が不安定なため、今春、第三セクター・石炭の歴史村観光の職員に採用されることとなり、五人はそろって、新設の事業本部に所属していた。
 そこへ、市財政破たんに伴う経費削減の波が襲った。MCP事業は映画祭も含め、軒並み中止となり、事業本部は解散。一人は退職し、古里へ。三人は、三セクが運営するマウントレースイのスキー場とホテル、一人は石炭の歴史村内へ移った。元メンバーの一人は「市が決断しないから、三セクの将来が分からない。飼い殺しみたいな日々ですよ」と、慣れない仕事場でつぶやく。
 
 「何とか、四日に示した『財政再建に取り組む基本的な考え方』で、再建団体申請の議案を通してもらえないか」。二十五日、夕張市議会の会派代表会議に出席した後藤健二市長は、力なく懇願した。第三セクターが運営する観光施設の存廃や、市立総合病院運営主体の具体策を、定例市議会の開会中に示すことを断念する発言だった。
 「国や道と協議中」と繰り返す市長。市議側は「いま否決したら(国や道から)見放される」と、まちの将来像が見えないまま、再建申請議案を可決する方針を認めた。再建方針の主導権はすでに道へ移り、市や議会の手を離れている現状が背景だ。
 このため住民への説明会は、再建団体入りの表明後三カ月以上たった十月四日からにずれ込んだ。二十九日の本会議後、記者会見した市長は、「再建計画の基本的な考え方を決めてから、住民理解を求めようと思った」と釈明した。
 
 しかし市からの情報が極度に少ない分、市民の不安は膨らむ一方だ。市はすでに補助金カットなどの経費削減策を次々打ち出し、額は九月定例会への提出分だけで一億五千万円に達した。市民会館大ホールの閉鎖、小中学校校舎窓ふきの業者委託の中止-。「鉛筆一本買うにも国の許可がいる」という再建団体の厳しさが、早くも夕張を包んでいる。
 「大ホール閉鎖は夕張文化の喪失だ」。二十五日夜、市民有志による市民会館問題を考える会合が開かれた。文化団体関係者からは「なぜ、市は閉鎖の考えを事前に伝えてくれなかったのか」との不満が出る一方、「市に反対を訴えても仕方ない」との声も目立った。市民は怒りの矛先を向ける相手さえ失っている。(横井正浩)
 
 夕張市議会が二十九日、市の財政再建団体入りを正式に可決したことで、まち再生への助走が始まった。住民生活はどう変わるのか。同様に財政難に苦しむ自治体への影響は。市、道、国それぞれの状況を報告する。

 

 夕張市全体を”寒い雰囲気”が包んだ瞬間でもありました。

 「財政再建団体」になるということは、言ってみれば一地方自治体が国の管理下に置かれる格好となりますからね・・・

 

 医療施設や文化施設等の閉鎖が相次いで打ち出されていったわけですが、一方で市民レベルではこの夕張の街の復興への動きがくすぶり始めていました。

 上記北海道記事掲載の約3ヶ月後に市民メディアの一つ『OhmyNews(オーマイニュース)』に寄せられた市民記者による以下の記事・・・

 

夕張の立て直し、市民グループが踏ん張る ~文化の力で「少し元気になろう!!」
《『OhmyNews』2006-12-08付け掲載記事》
 市行政、地域経済の先の見えない暗さにため息ばかりが聞こえそうな北海道夕張市だが、市民による明るいニュースも生まれ始めている。ひとつは、いったん廃止が決まった「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の復活の道筋が立ったこと。もうひとつは観光協会の復活だ。いずれの活動も市民が立ち上げたNPO法人が担う。「少し元気になろう!!」。 市民が、夕張再生に向けた希望の灯をともし始めた。
 
◆「街おこし」から映画祭の原点へ
 「もとは行政主導、街おこしのツールとして作られた映画祭だったが、これを機に、映画の質にフォーカスを当てた本来の映画の祭典の姿にしていきたい。その結果として動員がつき、街おこしになればいい」
 「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」復活を目指して、先月20日に立ち上がったNPO法人「ゆうばりファンタ」(申請中)代表理事の澤田直矢さんは、映画祭の“原点回帰”を強調する。
 同市は、炭坑時代から『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)など、市民が全面協力する映画ロケの地として知られてきた。市内にもいくつもの映画館があり、24時間営業で国内外の名作を上映していた。
 炭坑閉山後は人口減少に伴って映画館も閉館されたが、1990年に始まった映画祭は作品の質の高さや市民ボランティアによる温かい雰囲気で、日本を代表する映画祭として地位を確立していった。
 しかし今年7月、財政破綻(たん)を宣言した市から、映画祭の廃止が発表される。1億円超という運営費用がかかっていたことから、小さな町の身の丈に合わない映画祭を続けたことが財政破綻の元凶のように非難する声もあった。
 「だが、実際は費用の大半を文化庁の助成金と企業などからの協賛金で賄っていた。映画祭を削ったところで、市にその分のお金が入るわけではない」と澤田さん。民間主催にして無駄を削れば、同規模の映画祭でも6割程度の費用でできたのではと指摘する。
 例年2月に行われてきた映画祭だが、2007年は暖房代のかからない6月開催を目指す。動員目標数は5000人、予算は3000万円。豪華なゲストは呼べないが、姉妹提携を結んでいる釜山国際ファンタスティック映画祭をはじめ、世界の映画人ネットワークを使って作品を集める考えだ。
 来年2月には 「夕張国際学生映画祭2007」が市内で開催されることになっており、映画祭復活への弾みとなりそうだ。
 
◆閉鎖の観光施設、市民の手で守る
 一方のNPO法人「ゆうばり観光協会」は、市が休廃止とした観光施設のうち、「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」と「北の零年 希望の杜」という、映画のロケセットを保存した2施設の再開を目指す。
 観光協会は、もともと「炭坑から観光」をうたった夕張市が資金を出して作られた任意団体だったが、市の財政破綻のため助成を打ち切られ、解散となった。
 「破綻した市の施策を責めることは簡単。だが、観光がなかったらわれわれも夕張にはいなかったかもしれない。市民として、力を出せるところは出そうと考えた」と理事長の高村健次さんは力を込めて語る。
 市内30カ所以上ある観光施設の中のわずか2施設とはいえ、管理運営を市から受託するとなれば人件費や光熱費、雪かきで年計450万円ほどは必要になる見込みだ。委託料収入は期待できないため、施設入場券や物販、観光ガイドの収入、全国からの寄付金で賄うという。
 「暗いままでいても仕方がない。大人が暗くては子どもたちにも影響する。できることは市民が立ち上がってやっていかなければ」(高村さん)
 
◆草の根パワーで文化守る
 午後6時。50席ほどの夕張市民会館シネサロンに、コートを着たままの市民が集まっていた。「ゆうばりキネマ・クラブ」主催の定例上映会だ。プログラムは『佐賀のがばいばあちゃん』(2006年)。宣伝ポスターには「少し元気になろう!!」というメッセージが臨時で貼られていた。
 キネマ・クラブが結成されたのは、市内最後の常設映画館が閉鎖された3年前。「映画は夕張の街づくりの象徴だ。『映画祭はやっていても映画館がなくなる』という状態は許せなかった」と会長の氏家孝治さんは会設立の経緯を語る。ボランティア運営のため、上映会は年4回が限度だが、市内外からの観客で毎回立ち見が出るほどの人気がある。
 実は、映画祭復活を目指す「ゆうばりファンタ」のメンバーは、ほとんどがキネマ・クラブの会員だ。200人超という映画好きの会員たちが映画祭復活への活動を下支えする。
 「映画祭復活に向けた最初の仕事は会場の確保になる。市の体育館は残るが、学校やその他の集会所も軒並み閉鎖されるから、適当な場所を探さなければ」とは事務局長の小澤美穂子さんだ。
 小澤さんによると、夕張は炭坑の時代から文化活動の盛んな土地だった。「今でも合唱団や民謡のグループがいくつも活発に活動している。市民会館が廃止になれば、映画を観る場所も、みんなが発表会をする場も失われてしまう」。そのため、キネマ・クラブで市民会館の管理・運営を受託する指定管理者となる可能性も模索している。
 この日、追加上映だった『佐賀のがばいばあちゃん』を一緒に鑑賞した。「ケチは最低!節約は天才!」というばあちゃんの切れのある台詞に、観客は声を上げて笑う。母親との再会には涙を流し鼻をすする。エンドロールが上がるときには拍手が沸いた。
 私事で恐縮だが、こんな風に濃密な空間で映画を味わったのは久しぶりだった。都心で量をこなすことが目的のように映画を観ているから、1つの作品との出会いを意識しなくなっていたのだ。
 市の破綻で、すべては手に入らなくなるかもしれない。その代わり、守るべきものは守る。映画を通じた文化の場を守ることが、夕張市民の活力を引き出す磁場になると思う。

 

 かつて映画ロケ撮影地として選定されたことがあり、その上「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」を開いた地ということもあって、映画に復興の糸口を求めた形となったわけですが、それにしても、上記記事を眺めて思ったのは、同じ映画鑑賞でも、夕張に於けるそれはあたかも生身の人間たちがその場で演じている生のお芝居(演劇)を見ているのと同じくらいの感動空間となっていたみたい・・・

 映画を通じて地元民たちは心を一つにしているかの様子でしたネ。

 

 そして今年の8月になって、閉鎖となっていた夕張市民会館に復活の兆しが見えてきました。

 

夕張市民会館、市民で開館・運営へ
《朝日新聞Web版(asahi.com)・2007年08月12日付け掲載記事》
■再生する会、借り受け方針
 夕張市の財政破綻(はたん)で「廃止施設」となっている同市民会館について、地元の文化団体などで作る市民組織「夕張市民会館を再生する会」(小澤美穂子代表)は11日までに、同会の所属団体を受け皿にして施設を借り受け、市民の手で開館、運営していく方針を固めた。17日に開く運営委員会で方針を確認する。同会は市と協力して再開を準備、企業などに対して会館の命名権の買い取り募集も正式に始める。
 
 市側はこれまでに、施設を有効に使いたい団体があれば売却や貸し付けをする方向でガイドラインを作成している。空知支庁に財産評価を依頼しており、評価が固まり次第、売却・貸し付けを公募する考えだが、「買い取り」に関心を示す企業や団体はない。
 こうした中、「再生する会」の中心団体、NPO法人ゆうばりファンタ(澤田直矢代表理事)は、貸し付けを強く希望。同会館がこれまで国際映画祭の会場でもあり、同法人などが来年3月に映画祭を開く準備を進めている。
 「再生する会」はファンタを中心に受け皿の絞り込みに入る考え。その場合に、ファンタが他団体に部屋や会場を貸す使用料をどの程度に設定すれば運営経費をまかなえるのかなどの検討に入っている。
 会館は老朽化が進み、長期間閉鎖していたためかびなどによる傷みも激しい。「再生する会」は26日にボランティアで清掃作業を行う。
 すでに呼びかけが始まっている会館への命名権買い取りには、同会などに数件の問い合わせがきているものの、価格で折り合えていないという。

 

 かつて開催されていた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の復活開催を目指すNPO「ゆうばりファンタ」が閉鎖中の夕張市民会館の運営に名乗りを挙げたことで、市民レベルで夕張市民会館の復活を本格的に目指すことになった模様ですね。

 

旧市民会館の命名権を販売 借り受ける夕張のNPO
《共同通信社『47NEWS』2007/09/29付け掲載記事》
旧市民会館の命名権を販売 借り受ける夕張のNPO
《西日本新聞Web版・2007年10月01日付け掲載記事》
旧夕張市民会館の命名権販売
《日刊スポーツWeb版・2007年10月01日付け掲載記事》
 北海道夕張市が財政破たんした影響で4月から閉鎖されていた旧夕張市民会館が、映画祭を開催する地元の特定非営利活動法人(NPO法人)「ゆうばりファンタ」に貸し出されることになり、同法人の沢田直矢代表理事が29日、市内で記者会見し、同会館の命名権を販売すると発表した。
 
 市民会館は、同法人が来年3月に開催する「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のメーン会場。販売価格は年間300万-500万円、契約期間は3-5年間を希望している。
 沢田氏は会見で「映画祭でメディアへの露出も多く、メリットは大きい」と命名権獲得によるPR効果を強調した。
 同会館をめぐっては、夕張市が今月中旬に売却先を公募したが入札はなく、借り手の公募に切り替えたところ、同法人だけが申し込み。市は28日に無償で貸し出すことを決めた。
 会館の運営には、光熱費や事務職員の人件費などで年間最低約1400万円が必要となるため、同法人は命名権の売却益をそうした運営費に充てるとしている。
赤紫字は日刊スポーツ掲載記事のみに見られる記述部分

 

 ホール運営の名乗りを挙げたNPO「ゆうばりファンタ」では、ホールに係る諸経費を賄うため、ホール名称の権利(ネーミングライツ、命名権)の販売に動き出したわけですが・・・

 

旧夕張市民会館 再開へ韓流俳優も協力
《朝日新聞Web版(asahi.com)・2007年11月14日付け掲載記事》
【注/記事掲載元サイト、掲載期間終了・削除済】
■市民団体、24日に「復活祭」
■舞台あいさつ。主演映画上映
■新名称も募集

 夕張市の財政破綻(はたん)で廃止された旧市民会館を借り受けて運営を担うことになった市民団体「再生する会」は、今月24日に約8カ月ぶりに会館を再開し、同日に「復活祭」を開くことを13日決めた。これに合わせて人気の韓流俳優パク・シニャンさん(39)が主演映画「約束」(98年)を携えて来日し、夕張で日本初公開する。再生する会では会館の新名称も新たに公募する。
 パク・シニャンさんの来日は、市民会館再開を支援している夕張リゾートの西田吏利社長が先月、スキー客誘致のために韓国を訪問、パクさんと会食してもちかけたのがきっかけだった。
 映画関連の事業家でもあるパクさんは、経営者の視点から夕張の財政破綻や国際映画祭に強い関心を持っており、翌日には西田社長に「市民会館の立ち上げにも協力したい」と自ら申し出た。
 パクさんの舞台あいさつと「約束」の上映は復活祭前日の23日午後3時からの「前夜祭」と、24日午後4時からで、ともに無料。また、がんと闘うサーファーとその家族を描いた「Life 天国で君に逢えたら」が24日午後6時からと25~27日の間に計6回上映されるが、こちらはゆうばりキネマクラブの主催で有料となる。
 
 このほか、復活祭では絵画や書道、生け花などの展示や夕張太鼓の演奏なども予定されている。
 同会館は今後、利用料を取って貸し出されるとともに来年3月の国際映画祭の主会場となる。
 再生する会の小澤美穂子代表は13日、会館の命名権の売却交渉が不調で、会館の新名称を一般公募する方針を明らかにした。
 名前を応募する人は同会のファクス0123・56・6012まで。公募は年内で締め切るという。

 

 夕張市民会館の再開時期が11月24日と正式に決まったところまではよかったのですが、先の西日本新聞掲載記事の中で報じられた命名権の売却については思うようにいかなかった様子で、結局は一般公募により新名称を決定することとなったわけですが、その一方で韓国の映画俳優パク・シニャンが夕張市民会館への支援に協力すると表明、そして・・・

 

「夕張応援したい」 韓流スターが手弁当で出演
《『産経イザ!』2007/11/17付け掲載記事》
 北海道夕張市の財政破たんを受けて一度は閉鎖された旧夕張市民会館が再開されるのを記念して23、24の両日に開催されるイベントに、韓国の人気俳優、パク・シニャンさん(39)が出演することになった。
 夕張支援が目的で、ギャラはなく、旅費も自己負担で来訪し、同館で無料上映される主演映画「約束」の舞台あいさつに立つ。藤倉肇市長への表敬訪問なども行う予定。
 パクさんは演技派の俳優として知られ、2004年のドラマ「パリの恋人」は日本でもヒットした。上映される「約束」は韓国国内では大ヒットした日本未公開の1998年の作品。
 夕張市で主な観光施設を運営する「夕張リゾート」によると、夕張問題は韓国でも関心が高く、西田吏利社長が10月中旬に韓国でパクさんと会食した際、パクさんから「夕張を応援したい」と訪問の申し出があった。パクさんはスキーやゴルフで何度か北海道を訪れたことがあるという。
 旧市民会館は3月に閉館したが、地元の民間団体によって今月24日に正式に再開。「復活祭」として23~26日に映画上映会などが行われる。来年3月に計画されている「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」もここが主会場。

 

 北海道には何度か足を運んだことがあるというこの韓国の映画俳優パク・シニャン、引っ提げていく予定にしている彼の主演作『約束』は9年前に封切られて韓国国内では人気作品の一つに数えられているのだそうで、今回の夕張での公開はこの作品にとってのいわば「日本初上陸」、思わぬ形で韓国人気映画作品の日本初上陸を果たすことになったわけですネ。

 

夕張市民会館再開:パク・シニャンさんが前夜祭で激励
《毎日新聞Web版(毎日jp)・2007年11月24日付け掲載記事》
 財政破たんで今春廃止された夕張市民会館が24日に再開するのに先立ち、韓国の人気俳優パク・シニャンさんが参加して、前夜祭が23日、市民会館で開かれた。パクさんは詰めかけたファンら約500人を前に、「財政破綻は新聞で知った。夕張で映画祭が再開されれば必ず来たいと思います。夕張の皆さんがんばってください」と話した。
 
 パクさんが舞台あいさつに立つと、手製の横断幕やうちわを振ったファンが迎えた。朝7時から整理券配布の列に並んだ千葉県の会社員、北詰真弓さん(41)は「シニャンさんが来てくれるなら何度でも夕張に来たい」と笑顔で話した。舞台あいさつの後、パクさんの主演映画「約束」(98年)が無料上映された。
 市民会館は今年4月から閉館状態で、市民団体「旧夕張市民会館を再生する会(小沢美穂子代表)」が同市から無償で借りて運営する。「復活祭」は23日午後3時から、再び『約束』の上映とパクさんのあいさつなどがある。26日まで映画「Life 天国で君に逢えたら」の上映なども行われる。【久野華代】

マチの勇気応援したい 韓国俳優パク・シニャンさん来訪 夕張の「復活祭」にファン500人
《北海道新聞Web版・2007/11/24付け掲載記事》
 【夕張】韓国の人気俳優パク・シニャンさん(39)が二十三日、財政破たんで閉鎖された旧夕張市民会館を再開する「復活祭」で舞台あいさつした。主演映画「約束」の無料上映に合わせた来訪で、「(視察受け入れなどで)破たんの現実をありのままに見せている夕張は勇気がある」などと話した。
 
 NPO法人「ゆうばりファンタ」が施設を修繕、再開させた市民会館大ホールには、道内外からファン約五百人が集まり、ステージにパクさんが現れると大歓声が上がった。パクさんは「韓国で夕張破たんの記事を見て応援したいと思った」と話し、同法人が来年三月に復活開催する「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」について「ぜひ訪れたい」と語った。
 パクさんは石炭の歴史村など市内観光施設も訪ね、道産ワインと料理を味わうイベントなどに参加した。二十四日午後四時からも同映画上映に先立ち舞台あいさつする。

 

 これにより夕張の地に於ける文化発信拠点は、映画を糸口として、地元民や韓国映画俳優の手等により、守ることが出来たわけであり、結果、50年近くの長きにわたって継続してきた夕張レコード愛好会の活動の場も守られる格好となったわけですネ。

 そろそろすれば夕張レコード愛好会による49回目の「第九を聴く会」が催されることになるかと思うのですが、是非とも新聞や市民メディア等を通じて是非ともその活動報告に接してみたい気持ちでいっぱいデス。

 

 

◎ 「第九」が戦後復興の原動力に…広島

 東京の「5000人の第九」が始まった1985年の暮れに同じくスタートを切った「第九ひろしま」が行われる広島の地について、その「第九ひろしま」で毎年歌われているベートーヴェン「第九」こそが、実は終戦直後のまだ原爆投下による放射能がまだ残っていた広島の地の復興の原動力にもなったとの話が、前項の夕張に於ける「第九」話と同様、読売新聞にて記事として紹介されています《以下の記事》。

 

広島に暮らして 街と市民の60年物語 (1)焼け跡の「第九」 心に灯
《読売新聞Web版(YOMIURI ONLINE)・2005年頃掲載記事(掲載日付記載無し)》
 戦争から六十年を迎える新しい年が明けた。広島にとって、この夏は格別の意味を持つ。六十年前のあの朝、原爆のせん光は、最愛の人、日常の暮らし、慣れ親しんだ街並みを奪い去った。しかし、生き残った人たちは惨禍を乗り越え、絶望を振り切って、復興を急いだ。過去から現在、そして未来へ、人々を勇気づけ、喜びや豊かさをもたらした「もの」や「こと」を決して忘れてはならない。広島の六十年を支え続ける存在を、心に刻もう。
 
 ―フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン(喜びよ、美しい神々の光よ)――。
 
 一九四六年十二月三十一日、広島にベートーベンの交響曲第九番「合唱付き」が響いた。バラックが立ち並ぶ猿猴橋町。「純音楽茶房 ムシカ」の店主、梁川義雄さん(九五年死去)が闇市で手に入れた二九年製のレコードだった。
 どこから聞きつけたのか、約三十席の店内は満員になった。店に入れない人はガラスに耳をつけ、白い息を吐きながら聴いた。雪が帽子の上にうっすらと積もるころ、第九は市民の心に温かい灯をともした。
 
 義雄さんは爆心から約一・五キロの広島市南区で被爆。父、妹を失い、妻千代子さん(79)と当時二歳だった長男忠孝さん(61)も被爆し、自宅も全焼、家財を失った。
 一年後の八月十五日、音楽好きの義雄さんは、猿猴橋町にムシカを開く。地元文化人による「広島国際文化協会」の活動に協力するためでもあった。店は売り上げで協会の運営を支え、協会は様々な文化、音楽の催しで市民の心を支えた。
 店には市内の文化関係者のほとんどが出入りした。詩人、峠三吉は毎日四、五時間も滞在。原爆市長と呼ばれた浜井信三市長も常連客だった。芸術家、音楽家、政治家、学生らが名曲を聴きながら、広島のこれからを議論し合った。
 客は暮らしに余裕のある人ばかりではなかった。復員服姿やボロボロの服の人。みな、食べるだけで精いっぱい。それでも、心の慰めを音楽に求めていた。
 払えない客からはコーヒー代を取らなかった。一方で、闇市でレコードが出ていると聞くと、家に食べる物が無くても、着物などを持って交換に行った。第九のレコードもそんな一枚。「苦労したけれど、お客さん本位の店だったから愛されたんでしょうね」。千代子さんは、そう振り返る。
 「ヒロシマを日本のウィーンに」。いつしか合言葉が生まれた。月数回のレコードコンサートの日は、外まで人があふれた。
 
 復興が進むに連れ、四八年には広島音楽学校(現・エリザベト音大)が、四九年に広島音楽高校が相次いで設立され、音楽文化が息を吹き返した。
 その後広島には、中四国唯一のプロである「広島交響楽団」が誕生。音楽家、音楽愛好家の層は厚く、ウィーンで「国連平和コンサート」(九一年)を開くなど、国内外へヒロシマの音楽を広げている。二〇〇四年は、市民の間で、平和記念公園での音楽演奏を通じて「音楽で平和を世界に発信する」動きが本格化。市民が復興の原動力とした音楽は今、平和のメッセージへと役割を変えている。
 大みそかの昨夜。南区西蟹屋に移ったムシカ店内では、二代目店主の忠孝さんがいつも通り、あのレコードをかけた。市民の心を支えた「歓喜の歌」とともに、広島は新年を迎えた。(阿利 明美)

 

 「Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium ~」
 終戦から1年少し経過した広島市内ではまだ瓦礫が所々に残っていたことでしょうし、かつ原爆投下による放射能も残留していたことかと思うのですが、そのような状況下でも「歓喜の歌」のメロディーが鳴り響いていた・・・寡聞にして知りませんでした。

 記事には指揮者の名前等の記載がありませんが、「闇市で手に入れた二九年製のレコード」という記述から、可能性がある指揮者の名前としてはフルトヴェングラートスカニーニメンゲルベルクワインガルトナーワルターE.クライバーあたりが思い浮かぶところですが・・・まあ何れにしても「第九」のメロディーが当時の広島の人々の心を満たしていたことは間違いのないところでしょうネ。

 

 この終戦直後の広島の街にベートーヴェン「第九」の音楽が鳴り響いたという話に接した私自身、かつて民放ラジオで放送されて、ラジカセのエアチェックで録っておいて何度も耳にしたことのある朝比奈隆ドキュメンタリーの中で、終戦間もない時期の大阪の街に交響曲が鳴り響いていた、それは焼け残った大阪朝日会館に於ける朝比奈隆指揮関西交響楽団によるドヴォルザークの「新世界から」だった・・・といったようなことが番組の最後のほうで語られていたことを思い出しました。

 終戦から2年が経過した1947年(昭和22年)に発足した大阪フィルの前身・関西交響楽団が同年4月に、幸いにも焼け残った大阪朝日会館に於いて、行われた第1回定期演奏会で、ワーグナーのオペラからの小品3曲等と共に、ドヴォルザークの『交響曲第9番ホ短調「新世界から」』が、関西交響楽団の発起人である朝比奈隆の指揮により、演奏されたとの記録が残っているのですが、作曲家の違いこそあるものの、こちらも”第9”のメロディーがまだ瓦礫が所々残っていたであろう大阪の街を駆け巡っていたわけですネ。
 このことから、「大阪市庁舎に響き渡る「新世界より」〜大阪クラシック最終日」では、このドヴォルザークの”第9”は大阪フィルにとって特別なシンフォニーである、と紹介しています。

 そして、このドヴォルザーク『”新世界”交響曲』でスタートを切った関西交響楽団は、翌年(1948年、昭和23年)の1月23日からの連続3日間で行われた第7回定期演奏会で、同楽団初のベートーヴェンの「第九」の演奏を行っています。
 上記読売新聞記事で紹介されている、広島の街に「第九」のメロディーが流れた時期〔1946年(昭和21年)の大晦日〕と1年1ヶ月足らずのズレがありますが、終戦直後の大阪の街にも、先のドヴォルザークの”第9”と共に、ベートーヴェン「第九」のメロディーも流れていたわけですネ。

 それにしても、大阪と広島、これら2つの街に於いて”第9”のメロディーが敗戦で打ちひしがれた人々の心にある種の潤いを与えてくれていた・・・まあ偶然といえば偶然かも知れませんが、何れにしても音楽が戦後復興への原動力となったことを改めて確認させてくれたような気がしました。

 

 ところで、12月に入り、日本国内ではいよいよベートーヴェン「第九」の”演奏繁忙期”にさしかかったわけですが、ちょっと余談っぽくなってきますが、広島県の東隣に位置する岡山県に於けるベートーヴェン「第九」に纏わる話題を、岡山の地元紙・山陽新聞が書いています《以下に示す記事2本》。

 

滴一滴(2007年12月1日掲載)
《山陽新聞Web版・2007年12月1日付け掲載記事》
 きょうから師走。年の瀬の風物詩ともいえるベートーベンの「交響曲第九番」、世に言う「第九」の季節がやってきた。
 
 全国各地で例年、十二月には百数十回の公演があるという。合唱パートを市民が担うのが定番。「聴く第九」から自ら参加する「歌う第九」として定着してきた。岡山県内では二日の津山市を皮切りに、九日に岡山市、二十三日に真庭市、二十四日に笠岡市と続く。
 第九が日本で初演されたのは一九一八年。徳島県鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所でドイツ人捕虜たちによって披露された。日独の交流を描いた昨夏公開の映画「バルトの楽園」でもおなじみだ。
 年末に第九を演奏する慣習は世界でも日本だけという。恒例行事化した理由は、楽団が正月のもち代(ボーナス)稼ぎをするため、と聞いたことがある。きっかけはともあれ、人類愛を謳歌(おうか)したこの大曲が一年の区切りをつけ新年を迎えたいという日本人特有の感覚に合致したのが、やはり大きいような気がする。
 指揮者の金聖響氏は「ベートーヴェンの交響曲」の中で「第九には宗教的な悟りのようなものが強く感じられる」「孤独を救済してくれる崇高な音楽」と、その魅力を書いている。
 殺伐とした事件が続き、偽装に揺れるなど暗いムードに覆われたこの一年。「来年こそは」の思いを託しながら、「歓喜の歌」を高らかに響かせてほしい。
↓ ↓ ↓
第九の季節到来 津山で演奏会 歓喜の歌熱唱 聴衆650人魅了
《山陽新聞Web版・2007年12月3日付け掲載記事》
 師走の風物詩「第25回津山第九演奏会」が2日、津山市山下の津山文化センターであり、市民合唱団が高らかに「歓喜の歌」を歌い上げた。
 
 東京オペラ・プロデュースの松岡究(はかる)氏の指揮で、4人のソリストと、アマチュア演奏家でつくる津山第九オーケストラ、地元の高校生から70代の合唱団105人が共演した。
 ベルディのオペラ「ナブッコ」の「行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って」の勇壮な演奏に続いて、ベートーベン「交響曲第9番」を披露。第四楽章では、合唱団が美しいハーモニーで人類愛をたたえる活力に満ちた歌声を響かせ、約650人の聴衆を魅了した。
 妻と訪れた同市二宮、医師河原大輔さん(78)は「4度目だが、何度聴いても生の迫力に感動させられる。12月にふさわしい演奏会で、年々、合唱のレベルが上がっていますね」と話していた。

 

 「第九には宗教的な悟りのようなものが強く感じられる」、「孤独を救済してくれる崇高な音楽」・・・これらの金聖響語録は恐らくベートーヴェン「第九」のメロディーを指して記されたものと思われますネ《歌詞も含めて考えるとなるとちょっと混乱しそう(私のアタマがダメなだけだったりして)・・・》。

 また、上記記事2本目で伝えている「津山第九演奏会」が開かれた12月2日は、大阪では「1万人の第九」が開かれていて、しかも「津山第九演奏会」・「1万人の第九」共に今年で25回目という節目を迎えていることでも一致していて、先ほどお話しした終戦直後に於ける広島と大阪両都市に於ける”第9”の曲名一致の話と同じく、こちらでも「第九」関連で2つの都市の間で一致を見たわけですネ・・・

 

 話がそれましたが、公演本番まで残り2週間を切った今冬の「第九ひろしま」、その「第九ひろしま」が毎年開かれている広島で、ベートーヴェン「第九」のメロディーが戦後復興の原動力となったという話は私自身今まで知らなかったことであり、心中驚いたものでしたが、もしかしたらこのことが「第九ひろしま」が誕生した遠因となっているのではないだろうか、なんて思うようにもなりました《ちょっと強引かなぁ…》。

 

 広島は、平和都市であると同時に、「フロイデ(Freude)」そしてベートーヴェン「第九」が似合う街の一つでもあるということなんでしょうネ・・・

 

 

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