宇野功芳”歌劇的「第九」”と、電子音楽的「第九」・・・ベートーヴェン「第九」、フルトヴェングラー放送局音源発見も
ベートーヴェン「第九」(交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」)の公演ラッシュですね。
今は全国各地で活動しているアマチュア合唱団体が各々主体となって行う「第九」公演が中心となっているような感じですが、広島の「第九ひろしま」(12月16日)が終わり、下旬にさしかかってくると、今度は、大晦日にかけて、プロ・オーケストラが主催して行う形の「第九」公演が中心になってくるような感じですね。
そのような状況の中で、NHK交響楽団による”ベートーヴェン「第9」演奏会”が今年は23・24・26・27各日に行われることになっていて、毎年1回目あたりがFM生放送されてきているように記憶しているので(自信は無いけれども…)、23日か24日の公演あたりがNHK-FMで生放送されることと思います《尤も、公式な発表がまだ無いので、今は推測の域を出ないところですが…》。
今からそのN響「第九」ライヴ中継を心待ちにしている私・・・
今回は大阪のいずみホールで開かれた、某音楽評論家のプロデュースによるベートーヴェン「第九」演奏会を中心に話していきたいと思っています。
◎ 市民メディアで伝える「第九」
本題に入る前に、市民メディア・サイトの一つ『JANJAN』に掲載されたベートーヴェン「第九」に纏わる記事を紹介したいと思います。
約2年前の2005年12月上旬の日付で掲載された以下の記事です。
「万人のための音楽――ベートーヴェン第九をきいて元気になろう」 《『JANJAN』2005/12/07付け掲載記事》 |
貴族とまぎらわしい名前をわざと使ってみたり、ナポレオンに期待しすぎて激しく失望したり、見込みの薄い片思いで失恋を繰り返したりと、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの人生には面白い一面もあります。音楽室に飾られていた、うやうやしい肖像画が災いの種となり、ベートーヴェンの音楽やいわゆるクラシック音楽(西欧近代純音楽)をきらう日本人も少なくありませんが、僕は年の瀬になるとやはり「第九」が聴きたくなります。 万人のための音楽 18世紀末から19世紀はじめにかけて栄えたウィーンの音楽、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの最大の特徴は、いわば「和音の音楽」を確立したところにあります。現代、私たちが普通に音楽と考えているものは、クラシックでもジャズでもポピュラーでもロックでも、ハリウッドに代表される映画音楽でも「和音の音楽」です。 「和音の音楽」の特徴は、偉大なビートルズでもそうですが、きいていて曲の伝える喜怒哀楽などがわかりやすいのです。すこし聴きなれればすぐに、英語の歌詞でもドイツ語の歌詞でも、曲のいわんとすることが何となくわかってしまうのです。たとえばモーツァルトのオペラでは、イタリヤ語に不得手な人間でも、登場人物の感情などが聴いていてとてもわかりやすいのです。 ハイドンやモーツァルトらは、その作品で言おうとしたことが、人の喜怒哀楽といったごくありふれた身近な事柄に限られていました。ところが、ベートーヴェンになると、歌詞なしで、自由・平等・博愛といった小難しい概念まで音楽で伝えようとするようになります。 自由・平等・博愛 ベートーヴェンは劇的な物語性を交響曲に持たせることにも成功し、「苦悩から突き抜けて歓喜へ至る」(第5交響曲「運命」)というようなメッセージを、器楽曲にも持たせることに成功しました。その「最後に愛は勝つ」といわんばかりのメッセージ性は、時におしつけがましいので、ベートーヴェンは嫌いという人の気持ちはわからなくありません。しかし、自由・平等・博愛といった崇高な理念まで音楽で伝えることに成功したベートーヴェンは、やはり偉大なのでしょう。 第9交響曲でベートーヴェンは、混沌とした世界の中から希望を見出し、複雑な紆余曲折を経て、共和制の社会や平和を望むような最終楽章では「歓喜の歌」まで添えます。トルコ軍楽調の調べを(市民革命の)「解放軍の行進」のように扱っている部分などは、現代人が聴いていると疑問も感じてしまいますが(それともベートーヴェンは、はるか200年も前に、キリスト教的なヨーロッパとアラブ社会が、お互いを尊重しながら融合することを願っていたのでしょうか?)、自由・平等・博愛を希求したかのような趣きの第九交響曲を、僕は年末になると、やはり耳にしたくなるのです。 ちなみに僕の大好きな演奏は、ロジャー・ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズを指揮して、ベートーヴェンと同時代の楽器を用いた演奏です。ホルンや打楽器の響きが荒々しく、第九交響曲でベートーヴェンが希求した「市民革命的な何か」が手に取るようにわかるような気がします。 世の中が騒がしかった今年の暮れはとりわけ、第九をきいて元気になろうと思うのです。(西山聡) |
交響曲第3番「英雄」の裏話、「不滅の恋」に纏わる話・・・のようですね、書き出しの部分は。
大分前の話になりますが、NHKの深夜番組でベートーヴェンを特集したものが放送されたことがありました。
その深夜番組では、従来からのベートーヴェンに対するイメージを覆しかねないような新事実が次々と明らかになってきていることが紹介され、当時私も面白さのあまり何度も繰り返し見たものでした《時期的には映画『不滅の恋~ベートーヴェン』が封切られて間もない頃だったかなぁ》。
生憎現在ではその深夜番組で放送された内容の大半を忘れてしまっているのですが、ベートーヴェンは実はお金の運用に長けていたとか、ベートーヴェンが生きていた時代は現在のメトロノームの1往復分を1拍としていたとか・・・等々、当時目の当たりにした私自身、新鮮な驚きに満ちたものでした《ちなみに「現在のメトロノームの1往復分を1拍としていた」ことを現在でも実際の演奏の形で実践している一例としてこちらのベートーヴェン「第九」演奏を挙げることが出来ます》。
ま、それはさておいて、ベートーヴェンは音楽作品の中に劇的な物語性を持ち込むことに成功しただけでなく、フランス革命の中で起草されたと言われる「自由・平等・博愛」等の思想までも自身の音楽作品に織り込むことをやってのけたことを上記掲載記事の記者は評していると共に、「第九」(交響曲第9番)については「自由・平等・博愛を希求したかのような趣き」と評しているのですが、私自身としては、やはり、ただ単に「苦悩を乗り越えて歓喜へ」という言葉のほうがピンとくるかな《ちょっと「自由・平等・博愛」の思想と「第九」という楽曲とは、正直、頭の中でどうも一致しない感じがする(私の頭が悪いせいもあるのだが)…》。
◎ 宇野功芳指揮”歌劇「交響曲第9番『合唱付』」”
そんな、「自由・平等・博愛」を歌い上げているとされるベートーヴェンの「第九」ですが、今年、関西圏では、幾つか変わり種の「第九」コンサートが開かれることになっているか、既に開かれています。
まずは先月下旬の日付で産経新聞に掲載された以下の記事《後半部分を抜粋》。
「“第9”関西でも多くの公演」 《産経新聞(gooニュース経由)・2007年11月22日(木)付け掲載記事》 |
・・・・・・《前略》・・・・・・ 音楽評論家であり、指揮者としても活躍する宇野功芳が“第9”に新たな解釈を加えて披露する特別公演「宇野功芳の“第九”これでもか!? アンサンブルSakura大阪特別公演」は今月24日午後3時から、大阪・いずみホールで開かれる。 今回は、合唱団や独唱団の入場場面に趣向を凝らすほか、第4楽章の部分自体にも、宇野なりの新解釈を加える。「テンポや響かせ方もまったく異なります。聞いてみてのお楽しみですが、あっと驚く内容になると思います」と宇野。 日大管弦楽団のOB、OGでつくる「アンサンブルSakura」が演奏。「アマチュアのオーケストラですが、プロにない爆発力があります」(同)。独唱にも石橋栄実(ソプラノ)、竹田昌弘(テノール)、田中友輝子(アルト)、藤村匡人(バリトン)らが顔をそろえる。《以下略》 |
次いで『NIKKEI NET』関西版に掲載された以下の記事・・・
「新企画で「第九」奏でる──小編成やピアノ独奏・・・」 《『NIKKEI NET Kansai』2007/11/20付け掲載記事》 |
ベートーベンの交響曲第9番合唱付き。今年も第九のシーズンを迎え、来週から年末にかけて演奏会が相次ぐ。第九といえば総勢3、400人が舞台に並び、地響きのような演奏をするのが定番。しかし、今年は100人前後の小編成やピアノ独奏など一味違う企画が目立つ。 「ベートーベンは本当はこうしたかったのではないか。そう想像しながら、第九本来の美しい響きを追求したい」。こう語るのは指揮者で音楽評論家の宇野功芳。彼が企画する「宇野功芳の“第九”これでもか!?アンサンブルSakura大阪特別公演」(24日、大阪市のいずみホール)は編成を130人に絞り込み、クリアな音色を目指す。 第九は1824年、ウィーンで初めて演奏された。聴力を失ったベートーベンも指揮の補佐役として舞台に上がり、大喝采を浴びてアンコールも行ったという。この時の出演者は150人程度だったとされる。その後、人類愛的な意味が評価されて世界的に普及し、19世紀末には現在のような大編成になった。 宇野の公演は出演者の人数だけではなく、配置や登場の仕方も従来の形式とは違う。まず合唱団と独唱者(ソリスト)の配置。合唱団は通常、舞台後方に整然と並ぶが、オーケストラを挟む形で左右に半分ずつ分かれる。また合唱団は最初からか第3楽章開始前に入場するケースが多いが、第4楽章開始前に入場する。4人のソリストも、オーケストラの前後に並ぶのが一般的だが、舞台上段にあるパイプオルガン前に陣取る。 それらの意図を宇野はこう解説する。「通常の第九は合唱団の声が響き過ぎる。左右に分かれれば声が空中で融合してから観客に届く。また第4楽章には第3楽章までを否定する意味があり、第4楽章開始前に合唱団が入場すれば、新しい音楽が始まる雰囲気が出る。舞台上段のソリストには、新しい音楽を民衆の先頭に立って導く意味を込めた」。強弱やテンポも一部変更するそうで、祝祭性より音楽性を優先した第九演奏会になりそうだ。 ピアニストの若林顕が12月27日、大阪倶楽部(大阪市)で開くのが「たった1人の“第九”」だ。「大編成の演奏では、楽譜に書かれた音符でも、大音量にかき消されて聞こえなくなる音がある。ピアノの独奏ならそういう音に焦点を合わせられる」と語る。来年2月には第九の録音、来年内にCD化も予定している。 若林が使う楽譜は、ロマン派のピアニスト、リストが、尊敬するベートーベンにささげた編曲版。「リストがピアノ表現の可能性を追求するために編曲したもので、ピアノだけで弾いても十分に第九の生命力が伝わってくる。リストはベートーベンの楽譜を忠実に編み直し、その精神も受け継いでいる」と話す。 このほか、いずみシンフォニエッタ大阪は、いずみホールで70人編成の演奏会(12月15日)を開催、「ソプラノの松田奈緒美ら実力派ソリストをそろえ、第九が持つ複合的構造の魅力を浮かび上がらせる」(同ホール企画部)。テレマン室内管弦楽団もザ・シンフォニーホールで100人編成の演奏会(12月22日)を行う。テレマンは来夏、ベートーベン時代の古楽器を使った演奏会も計画中だ。 これらの企画は大編成、大音量から脱却し、観客の聴きやすさに配慮している点で共通している。それは「歓喜の歌」の意味を問い直すことにもつながっている。従来、第九の企画といえば「1万人の第九」「5000人の第九」といった合唱の規模ばかりを競い、音楽の本質を置き去りにしたようなものが多かった。第九の音楽性を見つめ直す動きは、音楽企画のイベント化にも一石を投じそうだ。(大阪・文化担当 浜部貴司) |
今や年末の風物詩の一つと化した感のある「1万人の第九」を初めとする大規模「第九」イヴェント等に対するアンチテーゼ的な動きとでも言いましょうか、小規模によるベートーヴェン「第九」演奏が目立つというこの年末期の関西「第九」公演事情との話ですが、その中で音楽評論家であり指揮者でもある宇野功芳(→『鉄道ファン(鉄道マニア、鉄道好き)の音楽家たち・・・・・・私家版鉄道ファン人物一覧(1)』に登載されている一人)のプロデュースによる「第九」は、オーケストラ・合唱・ソリストそれぞれの位置関係からして独特の趣向が凝らされていること等が報じられていて、いったいどのような「第九」演奏になるんだろう、なんて興味津々でした。
生憎私自身はいずみホールで開かれたこの公演に聴きに行けませんでしたが(ぉぃ)、ネット上に於いてこの公演を評している2つのWebサイトを見つけることが出来ました。
【1】 宇野功芳/アンサンブルSAKURA 「第九」!!
【2】 宇野功芳の第九(2007年11月24日)
詳しい内容についてはこれらのサイトにお任せするとして、総合して言えることは、「第九」の第1~3各楽章それぞれの終わり方がいかにも”これで終わり”という感じの終わり方となっていなかったこと(と言うか、不完全な終わらせ方となっていたこと)、また合唱団については第3楽章の演奏が終わった時点で入れていたそうですが、4人のソリスト陣については、終楽章の演奏中に、2階のパイプオルガンのあるあたりに、なんと自らのパートを歌いながら歩いてステージに姿を現すというスタイルを採っていたとのこと。
しかも合唱団を入れる前(つまり第3楽章終了後)には場内の照明を落とすということもやっていたそうです。
変な話、”オペラ(歌劇)仕立てのベートーヴェン「第九」”といった感じですね、これは。
第1~3各楽章の終わりを、楽譜指定とは逆の強弱指定とする等して、変な話、煮えきれない形で終わらせることによって聴衆に”終わり”を意識させないよう仕向けていたみたいですし、私自身は、第3楽章から第4楽章に移る際には、それまで漂っていた雰囲気を霧散させる意味で、間髪入れずに移るべき、と考えているところがあるのですが、今回のこの宇野の演奏解釈の上では、第3楽章で一旦タクトを下ろしてしまうものではあったのですが、納得出来るところですネ。
つまり、第3楽章までは楽章毎にそれぞれ煮え切らない形で終わらせることによって、変な話、聴衆に”物語の「その先」”を期待させるような意図があったように思えるところですネ。
で、肝心の演奏自体はといいますと、荒削りなところはあったみたいですが、総じて熱意に溢れた「第九」になっていたとのことでした。
それにしても、ベートーヴェンの「第九」でこんな作り方(というか演奏解釈の仕方)もあるんですね・・・
ベートーヴェンがこの「第九」に託したとされる「自由・平等・博愛」の想いというものを、宇野の”オペラ的”とも思える演出をも交えた指揮は、うまいこと引き出させることに成功したと言えるのかも知れませんネ《ちょっと強引…》。
◎ リサイタル的「第九」・・・電子的にも!?
これは今後予定されているベートーヴェン「第九」公演の話になるのですが、前項で紹介した『NIKKEI NET』関西版掲載記事の後半のところで伝えている話として、今月27日には大阪・淀屋橋界隈にある大阪倶楽部4階講堂に於いて一人のピアニスト(若林顕)のみによるベートーヴェン「第九」演奏会が予定されているそうです。
この「第九」公演では、ご存じの方もおられると思いますが、「ピアノの魔術師」としても知られているハンガリー生まれの作曲家兼ピアニストのフランツ・リストがピアノ独奏用に編曲した「第九」の楽譜が使われることになっています。
ここで、リスト編曲によるベートーヴェン「第九」演奏会と言えば、去る10月下旬の日付で朝日新聞に掲載された以下の記事を見つけ、パソコン好きでもある私自身を唸らせたものでした。
「電子合成音で本格クラシック」 《朝日新聞Web版(asahi.com)関西版・2007年10月29日付け掲載記事》 |
「電子合成音で本格クラシック」 《朝日新聞Web版(asahi.com)コラム『ウェブ通』・2007年10月29日付け掲載記事》 |
デスクトップミュージックという和製英語がある。楽譜が読めてパソコンさえあれば、ソフトにこつこつとデータを打ち込むだけで素人でも楽曲を鳴らすことができる。ネットに無数に出来た電子合成音楽サイトで、際立つ美音と高度な音楽性で評判なのが「机の上の交響楽」。 フルート奏者で音大職員をしている中島祐さん(48)が開設している。当初の方式は再生する機械によって音が変わるため、2002年から楽器の音色データから合成、同じ音で聞こえるMP3規格で提供できるように変えた。120曲あるクラシック曲の多くは新方式だ。 新作のサラサーテ作曲「ツィゴイネルワイゼン」でバイオリン弱音部の美しさをぜひ、聞いて欲しい。本当に演奏しているような微妙なふくらみがある。「演奏の経験が無いと、どう表情を付けたらよいか思い付けないと思います」。1日2時間、2週間ほどで仕上げたという。楽器が多いワーグナー「ワルキューレの騎行」なら5分間弱に1カ月半かけた。それでも自分の理想の音を鳴らす演奏が創造できるのだから面白い。 年末にはベートーベン「第九」のシーズンがやって来る。リストによるピアノ編曲版を昨年、第3楽章まで仕上げ、第4楽章は年内には完成予定。ピアノは細かい音の修正が大変。出来るだけ質の良いヘッドホンで楽しんで下さい。 |
◆ 「机の上の交響楽」…実際の新聞記事上では当該サイトのURLがサイト・タイトルの横に記載《ここでは便宜的にリンク化させました》 |
この『机の上の交響楽』という名前のサイトの存在は私自身も知っていたのですが、最近では訪れることが無く、今回の新聞紙上紹介がきっかけで、どうなっているんだろう、と訪れてみましたが、上記朝日新聞記事でも伝えている通り、ベートーヴェン「第九」リスト編曲版については確かに第3楽章まで用意されていて、残る終楽章については「少し幾つか寄り道して、違う曲を作った後に、終楽章はじっくりと製作していきたいと思います」ということでした。
私自身もそのリスト編曲版の「第九」終楽章の出来上がり具合を期待しています。
P.S.
本文中で紹介した『宇野功芳の第九(2007年11月24日)』の著者が開いているブログサイト『響-ひびき-』で、この公演レポートの公開を予告している『今年は第九の当たり年?』というブログ内記事の中で、往年の名指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年にバイロイト祝祭管弦楽団他を指揮して演奏したベートーヴェン「第九」の放送局(バイエルン放送協会)による録音音源が最近見つかり、この音源を収めたCDをフルトヴェングラーの研究団体である『フルトヴェングラー・センター(THE WILHELM FURTWANGLER CENTRE OF JAPAN)』の会員向けに販売(頒布)することになった、との話に接し、早速その『フルトヴェングラー・センター』のWebサイトを探し当てて訪れてみたところ、このブログ内記事で記述されていた録音年とソリストたちによるCDカタログを発見、見ると「1951年7月29日 本公演ライヴ録音」とあり、世界初出とありました。
実は私自身も1枚だけフルトヴェングラー指揮によるベートーヴェン「第九」のCD(東芝EMI→現在の「EMIミュージック・ジャパン」)を持っていて、やはり戦後バイロイト祝祭管弦楽団を指揮したものだったかなぁ、と思って引っ張り出してきて録音年月日屋出演者等を確認したところ、なんとこのブログ内記事で話題としているものと同一のものでしたが、どうやらこのCDは既に広く知れ渡っているレコード会社(EMI)音源によるものみたいですが、このブログ内記事によると、部分的に手を加えてあるのではないか、不自然な誇張などがある・・・等の疑問点が古くから指摘されてきており、このEMI音源とは別に存在するとされているバイエルン放送協会による音源が発見出来れば収録された公演当日の全容がわかるはずだとして探し続けられてきたようでした。
そして今回伝えられているそのバイエルン放送協会による音源の発見は『レコード芸術』等の音楽専門誌でも大きく取り上げられているそうで、このブログ内記事を書いたブログサイト『響-ひびき-』の管理人、つまり本文中で紹介した公演レポート『宇野功芳の第九(2007年11月24日)』の著者も早速『フルトヴェングラー・センター』に入会して購入に走る等していた様子でした。
影響の大きさを如実に語っているかのようですネ。
なお、この1951年7月29日のライヴ録音〔ちなみに公演会場はバイロイト祝祭劇場(Bayreuth Festspielhaus)〕のことについては2年前(2005年)の12月下旬に掲載された『フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団・・・第9』というブログ内記事でも詳しく語られています《尤もこちらのブログ内記事ではHMV音源によるライヴ録音の紹介が記されていますが…》。
ちなみに私が持っているところのEMIによる1951年7月29日ライヴ録音のベートーヴェン「第九」CD、これまでに2~3度程度しか耳にしていないものの、終楽章の一番最後のオーケストラ演奏で全曲を締めくくる箇所でフルトヴェングラーが異様に飛ばしまくっているのが印象として残っているのですが、この「第九」CDに添えられているライナーノーツの著者というのが、実は本文中で紹介した”音楽劇「交響曲第9番『合唱付』」”の指揮を務めた宇野功芳なのです。
その宇野功芳によるこの「第九」CDに添付のライナーノーツの最後のところで以下のように記しています。
…バイロイトでこの演奏を実際に聴いたある人が、「こんなに速いテンポをとっていいのか」と思ったそうだが、ああ、そのような理性的な聴き方こそ呪われてあれ。この演奏の後で他の演奏に接すると、あまりの安全運転にかえって反感を覚える。他の指揮者は単なる交通整理をやっているだけではないか。あんなのを再創造とか再現芸術とか言うのはおこがましい。フルトヴェングラーの表現でこそベートーヴェンの思想は生き、全人類は遙か星空の下、愛する父に向かって連れ去られるのではあるまいか。… |
そういえば、本文でも紹介した、先月24日にいずみホールで行われた宇野指揮によるベートーヴェン「第九」演奏会でも、単なる”交通整理”的な演奏ではない、熱血的な「第九」演奏だったようなことを、その場に居合わせた人が書いたレポートの中で、言っていたことを思い出しました。
勿論、宇野指揮とフルトヴェングラー指揮とでは同じベートーヴェン「第九」であっても演奏解釈に相違があるのは、生身の人間故、当然のことなのですが、宇野自身、フルトヴェングラーの「第九」解釈とどこかで波長が合っていたのかも知れませんネ。
以下は『YouTube』に寄せられている、フルトヴェングラー指揮によるベートーヴェン「第九」の終楽章の中の最後の部分の演奏動画2本です《1本目は戦時中の収録、2本目は戦後の収録;以下の『YouTube』動画につき、今後運営サイド並びに動画投稿者の都合等により削除される可能性があります》
Furtwangler on 4.19.1942 Full edition
Furtwangler conducts Beethoven Sym.9
on Aug.31.1951
《ザルツブルクにて》
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