2007年冬季「青春18きっぷ」”消化”乗り歩きの旅・・・その2「紀伊半島から四国へ」(5:いよいよ帰着)
2007年冬季発売分の「青春18きっぷ」の利用期間(通用期間)が終わってから間もなく1週間が経とうとしていますが、その「青春18きっぷ」消化のための乗り歩きを振り返ってみる一連の記事シリーズも今回でいよいよ最後となりました。
ちなみに前回掲載記事では和歌山から四国に渡って徳島から高松に向かったところでまでを振り返りましたが、徳島から乗った1000形ディーゼルカーの先頭車両の一番前にある一人掛け席がモロかぶりつきの出来る向きにセッティングされているのがよかったのですが、香川県内に入ってからは殆ど寝てしまっていたのがちょっと悔やまれるところですネ《しかもがら空きの未明時間帯だっただけに余計…》。
さて、高松駅に着いた私は、一旦右側どん詰まりのところにある手洗い所に立ち寄ったあと、正面改札口を挟んで反対側つまり左側どん詰まりのところにあるうどんスタンドへと向かいました。
手洗い所から改札口の前を通って反対側にあるうどんスタンドに向かった私は、店に入る前、そのスタンドの真横左手方向に見える「フリーゲージトレインの早期導入を」と書かれた大きな看板や6番のりばに停まっていた2000形特急型ディーゼルカーによる特急「しまんと」を撮影していたのですが、「フリーゲージトレインの早期導入」と書かれた看板を見て、そうまでしても新幹線(への直通乗り入れ)が欲しいんだろうか、と心の中でしばし考えていました。
まぁ私自身も新幹線を作ること自体を否定するつもりはありませんが、もしそのことによって並行在来線が経営分離によって3セク化されたりとか、表面上そこまでいかなくとも〔つい最近決定が下された”「長崎新幹線(九州新幹線・西九州ルート)」の並行在来線”と見なされた長崎本線一部区間の扱い(20年間はJRが引き続き運営)とか〕、関係自治体の巨額の財政負担のため、最終的には財政難を理由に地域の足が切り捨てられたりとか・・・そうなるくらいだったらそんな新幹線はいらないし、地元の人たちの多くも必要とは感じないことでしょう。
話が脱線しそうになりましたが、撮影を終え、再びうどんスタンド「連絡線うどん」の前に立った私は、何しようかなぁ、と少し考え以て中に入り、そしてまた少し考えた末、野菜天うどんを所望・・・・・・うどんと出汁については旅先から投稿した『「青春18」消化2日目朝食うどん』の中でしゃべっていますが、トッピングされた野菜天についてはそこそこの食べ応えを感じることが出来ました。
私の食べている間、すぐ右横にはおしゃれに着飾った女性2人組(だったと思う)が唐辛子をかけてうどんを食べようとするところがちらりと見えましたが、つくづく、世代を越えてうどんという食べ物が愛されているんだなぁ、なんて思ったりしていました《単細胞だなぁ、私って…》。
うどんを食べ終わった私は店を出るとすぐに次に乗り込む岡山行き快速「マリンライナー14号」の入線してくるホーム上の待合室へと向かったわけですが、入ってみるとなんと空調の類が何処にも無い・・・
つまりこの待合室はただ風よけのためだけにあるようなもので、夏は暑く冬は寒い・・・そんな待合室だったんですね。
まぁ、JR四国の今の財政状況を考えればやむを得ないことでしょうけれども・・・
やがて5番のりばに快速「マリンライナー14号」岡山行が入線する旨の駅アナウンスが流れ、いの一番に待合室を出た私はその入線してきた「223系電車5000番台+四国5000系」編成による岡山行き「マリンライナー14号」の岡山方先頭車両「クモハ223-5003」に乗り込んで席を確保、その「マリンライナー14号」を撮影したりして発車までの一時を過ごしていました。
雨模様の高松駅を発車した「マリンライナー14号」は、途中四国側の最後の停車駅である坂出で若干の乗客を拾い、予讃線に別れを告げて本四備讃線(俗に言う”瀬戸大橋線”)を120km/hくらいの速さで疾走(こんな速さで今まで瀬戸大橋を渡っていたんかなぁ・・・)、瀬戸大橋の本州側の付け根部分にあるトンネルをくぐって本州側に入り、暫く走ると児島に到着、ここでJR西日本の乗務員に交代となると共に一番右側の前面窓を除いて遮光幕(カーテン)が下ろされて児島駅を発車・・・と、この先岡山までは殆ど眠りについてしまっていた私でしたが、列車のほうはほぼ定刻通りに岡山駅に到着、携帯を片手にしたまま岡山駅のホームに降り立ち、適当な場所で一応のケリを付けてから一旦階段を上がって新幹線改札のあるあたりに移動。
さて、岡山から先どうしようかな、ということになるわけですが、実はここに至るまでの間も殆ど考えてきておらず、改めて持参の『JR時刻表』2007年11月号で探すこととなったわけですが、寒さに震えながらも時間とにらめっこして探してみたところ、ふと津山方面に暫く足を運んでいないことを思い出し、更にその津山から姫路方面に伸びる姫新線には長らく乗っておらず、しかも終点の姫路は既に高架化された山陽本線のりばと違ってまだ地上のまま残っている・・・これでいこう、ということで津山回りで姫路に向かうことで『時刻表』を繰ってみたところ、09:52発の快速「ことぶき」があるものの津山での接続が悪く、後続の10:23発の普通津山行に乗っていっても津山で乗り継ぐ列車は同じであることがわかり、更にこの津山回りのルートを辿って姫路からは東西線・学研都市線とを回って(尼崎で乗換)木津から大和路線に入るルートをとれば程よい時間帯に自宅に帰り着けることも判明、結局10:23発の津山行(キハ40系47型2連)の先頭車両「キハ47-69」に乗り、岡山をあとにしました。
津山線に乗ったのは何年ぶりだろう・・・という感慨にとらわれながら車窓からの風景をきょろきょろしながら眺めていた私でしたが、途中から雪が舞いはじめ、内陸部に行くんだなぁ、という感慨も抱くようになっていました。
そうこうしているうちに列車は終着駅の津山に定刻通りに無事到着、降り立った私はようやく岡山から乗ってきた津山行きディーゼルカーを撮影したり、反対方向に見える車庫全景を撮影したりしたあと、次は隣のホームかなぁ、と何となく思いながら地下道を通って隣のホームに出てみたものの、のりば案内板からして、これは違うな、と思うようになり、再び地下道を通って最初に降り立った島式ホームへと戻った私・・・暫くすると車庫から1両のキハ120形が出てきて隣のホームの更に向こうの線路を佐用の方向へと走っていき、駅(島式ホーム)から数百メートル佐用方向に離れたところで停車、ポイント切り替えの後に逆進し、岡山から乗ってきた列車の到着ホームと同一反対側ののりばに入線してきました。
入線時、私を含めて待っていた客は10人に満たなかったこともあり、進行方向に向かって右側のボックス席の一つにすんなり座ることが出来た私・・・それはともかくとして、方向幕が黒地に白地のJR西日本独自仕様のものとなっているキハ120形ディーゼルカーに出会うのはこれが初めてで(ちなみに私自身たまに乗る関西本線・亀山~加茂間を走る紺色のキハ120形ディーゼルカーは昔ながらの白地に黒字の方向幕のまま)、どこか新鮮味を覚えました。
定刻の12:28に津山を発車した佐用行キハ120形ディーゼルカーは次の東津山で因美線と別れて姫新線の線路をひたすら東(姫路方向)へと走り、こちらも佐用までの区間の大半で眠りについてしまいましたが、無事定刻通り佐用に到着。
佐用といえば、私自身うっかりしていましたが、実は関西方面からの特急「はくと」や岡山方面からの特急「いなば」が駆け抜ける第3セクター鉄道・智頭急行の接続駅でもあり、到着して降り立ったホームに隣接して智頭急行の佐用駅島式ホームがありました。
程なくして降り立ったホームの反対側に佐用仕立て(始発)の姫路行(キハ40系ディーゼルカー1両)が入ってきましたが、この車両には、座席配置の関係から、2人掛けの半ボックス席が存在し、入線してきた姫路行の後ろのドア付近に立つことの出来た私は進行方向の右手にあるその半ボックス席を押さえることが出来てホッと一安心・・・発車時間までの暫しの間、佐用駅構内や両方向に伸びる線路等の撮影で過ごし、まずまずの気分。
佐用駅を発車した普通姫路行キハ40系ディーゼルカー1両は暫くの間智頭急行の線路と並走、やがて智頭急行の線路がトンネルへと消えていく中、姫新線は右にカーブする格好で智頭急行線に別れを告げ、一路姫路へ・・・
途中、「三日月」と書かれた駅名標を目にすることが出来、へぇ~面白い駅名、とただただ感心したりしていたものの、ぼんやりしているうちに播磨新宮に到着、姫路からの姫新線列車の半数以上がここで折り返してしまうという駅です。
播磨新宮への入線時、ふと進行方向の左手の窓からちらっと見たところ、到着ホーム上の反対側のりばには「のじぎく国体」塗装のキハ40系と思われるディーゼルカーが停まっているのが見えました《『キハ40系一般型気動車』によると、「のじぎく国体」塗装車は昨年(2007年)の5月で運用を終えることになっているはずですが、事実上の放置プレイか・・・》。
播磨新宮を発車した姫路行き普通列車は本竜野、そして姫路の一つ手前の駅・播磨高岡を過ぎ、無事姫路駅姫新線ホーム0番のりばに到着。
ホームに降り立った私は早速到着したばかりのキハ40系ディーゼルカー等を撮影、特に0番ホーム上から佐用方向を望む風景を撮影した際には、姫新線のホームが何となく取り残されてしまっているかのような感慨に耽ったものでした。
姫新線のりばに於ける撮影を終えた私は、次に同じく地上にある播但線ホームへと移動、ちょうど赤色の103系電車播但線仕様車が停まっていて客を乗せているところだったのですが、撮影しながら、東海道・山陽本線から播但線に乗り入れる特急「はまかぜ」はどうやって地上に降りてくるのだろう、等と思いめぐらせていました。
地上に残る姫新線と播但線双方ののりばの撮影を終えた私は高架化された山陽本線・上りホームへ・・・その山陽本線・上り(明石・神戸・大阪)方面の島式ホーム上にある「えきそば」スタンドでちょっと遅めの昼食となりましたが(→『「青春18」消化2日目昼食』)、ランチタイム時間帯ということで、300円を切る値段にて天ぷらのトッピングを受けることが出来、ちょっぴり得した気分・・・
「えきそば」を食べ終わり、温かい緑茶ペットを買って停車中の新快速野洲行(言うまでもなく223系電車による編成)の最後尾車両に乗り込んだ私・・・・・・腰掛けてその温かい緑茶ペットを少しずつ飲んでいるうちに発車となり、ドアが閉まって大阪方面へと走り出したのでした。
ところで、その新快速野洲行の姫路発車前のことになりますが、私の乗り込んだ最後尾車両の前方にあるトイレ横の優先座席に座っていたオッサンがどうやら携帯を使っていたみたいで、通りかかった女性車掌がそのオッサンに「優先席だから使わないで」と注意しているのが見えましたが、私にとっては初めて見る光景でした。
注意されたオッサンは一旦その場を離れたものの、車掌が去っていくとまたもと座っていたところに戻っていくのが見えました。
手許が見えないので何とも言いようがありませんが、またこっそり携帯を使い出したのかな(わからんけど)・・・
さて姫路を発車した野洲行き新快速は加古川、西明石、明石・・・と停まっていきながら疾走し、1時間足らずで尼崎に到着、ここで新快速とはお別れして東西線・学研都市(片町)線経由の木津行き快速電車へと乗り継ぎました。
東西線と学研都市線を通るのは久しぶりのことでしたが、同時に来る3月15日のJRグループ定例ダイヤ改正に合わせて開業するおおさか東線の放出側分岐点を初めて見ることになり、少しワクワク気分に・・・
東西線を走り抜けて京橋に着き、更に学研都市線に入って次の鴫野を過ぎて放出へ・・・・・・私の座っている進行方向右手の方向におおさか東線が分岐していくものだから、放出が近づくにつれて半ば車窓に釘付けの状態となりました《尤もこの時、隣には人が座っていたので本当の意味での「釘付け」とはいえませんでしたが…》。
放出に到着、そして発車したわけですが、私の乗っている快速の到着したホームの反対側のりばの上には、もう一方の分岐駅である久宝寺と同様、おおさか東線用の出発反応標識が学研都市線用と並んで装着されているのが見えましたが、ただ各々の出発反応標識の上に付ける路線名を示すプレートがどちらか一方しか付いていなかったように見えました《見間違いかも知れませんが…》。
そして放出を出発し、暫く進行方向右側の車窓の風景に目をこらしていると、私が乗っている木津行き快速から見て一番向こう側にある線路が高架線となっていき、一定の高さとなったところで内側の複線がその高架の下をくぐるかのように右へとカーブしていき、その高架となっていった線路が再びこちらのほうに寄ってきて元の複線に戻ったのでした。
つまり、放出側分岐では上に上がっていった学研都市線・京橋方面の線路の下をくぐる形で分かれていくわけで、これは久宝寺側に於ける分岐の仕方と逆ですね《ちなみに久宝寺側分岐では、おおさか東線の複線が上に上がり、大和路線(関西本線)・奈良方面の線路を跨ぐ形で分かれます》。
放出に於けるおおさか東線の分岐を確認してからは、松井山手到着時など一部を除き、まどろんでいた私・・・・・・終着駅の木津後、最近造られた新しい跨線橋を伝って隣のホームへと移動、最後の乗り継ぎ先となる大和路線・区間快速まで少し時間があったので待合室を探し当てて中に入って待ちました《空調の類の一切無かった高松駅ホーム上待合室とは違い、ここではちゃんと暖房が入っていました》。
暫くして区間快速が入線する旨のアナウンスを耳にした私は待合室を出て、先頭車両が停まるあたりまで足を進め、乗り込みました。
そして、自宅最寄り駅へと向かったのでした。
途中、20分以上の遅れに遭遇したりもしましたが、お陰様で、全体として何とか無事に消化することが出来ました。
こうして2007年冬季「青春18きっぷ」のシーズンは幕を下ろすこととなったわけですが、来る3月15日に行われることになっているJRグループ定例ダイヤ改正では3本の夜行寝台列車(寝台特急「なは」・「あかつき」、寝台急行「銀河」)が姿を消すことになっていて、都合がつけばこの中の1~2本でも是非乗っておきたい・・・そう思い続けている今日この頃です。
尤も懐は厳しいですが・・・
でも、是非とも乗って別れを告げたいところデス(こりゃ典型的な”葬式鉄”だわさ…)。
【関連記事(2007冬「青春18きっぷ」消化乗り歩き)】
「(名古屋日帰り)全区間」
「(紀伊半島→四国:1)旅程概略編」
「(紀伊半島→四国:2)名古屋まで」
「(紀伊半島→四国:3)和歌山まで」
「(紀伊半島→四国:4)高松まで」
【関連記事〔時刻表(ダイヤ)、時刻表検定〕】
「初めての”自己採点”・・・第12回「時刻表検定」」
「「時刻表検定」の結果、私のところにも届きました」
「『JR時刻表』4月号、遅まきながら購入・・・」
「「ムーンライト九州」、「ムーンライト高知・松山」・・・」
「今春のJRグループ統一ダイヤ改正から・・・「ムーンライトながら」(かつての”大垣夜行”)について」
「第13回時刻表検定試験、受けてきました(2日遅れの報告…)」
「第25回「1万人の第九」DVDと第13回時刻表検定の結果通知・・・」
【関連記事〔旅程関連(音楽絡み)〕】
「「第九ひろしま2007」への遠隔地からの参加の可能性を「青春18きっぷ」から探ってみると・・・」
「「第九ひろしま2007」への遠隔地からの参加の可否を「青春18きっぷ」で探ってみる《詳細スケジュール確定版》」
「明日からの「第九ひろしま2007」全2日間への旅程・・・自らの備忘録も兼ねて」
「「国技館5000人の第九コンサート」(東京)に関西圏から参加する場合を考える・・・(1)鉄道と飛行機」
「「国技館5000人の第九コンサート」(東京)に関西圏から参加する場合を考える・・・(2)高速バス」
「「国技館5000人の第九コンサート」(東京)に関西圏から参加する場合を考える・・・(3)夜行列車活用と都内周遊」
「「第24回5000人の第九コンサート」〔2月24日(日)〕への旅程(備忘録兼ねて)・・・「1万人の第九」異常事態!?」
【関連記事〔旅程関連(一般)〕】
「船(フェリー)の魅力~泊まりがけでの乗り歩きに於ける一夜の宿として《「青春18きっぷ」シーズン中とか》」
「「日根野5時12分発普通列車紀伊田辺行」の魅力(1)・・・太陽の出ている間に紀伊半島1周!」
「「日根野5時12分発普通列車紀伊田辺行」の魅力(2)・・・九州から四国・紀伊半島を通って青森・北海道まで!?」
「「日根野5時12分発普通列車紀伊田辺行」の魅力(3)・・・「九州・四国→青森・北海道」プラン例」
「鈍行乗り継ぎで本州から北海道へ・・・(1)」
「鈍行乗り継ぎで本州から北海道へ・・・(2)」
「鈍行乗り継ぎで本州から北海道へ・・・(3)」
「「青函航路」最新情報と「北海道&東日本パス」による西日本から東北・北海道方面への乗り継ぎについての話…」
« 乗り鉄派、切符等収集派の鉄道ファン(鉄道マニア、鉄道オタク)たち・・・・・・私家版鉄道ファン人物一覧(2) | トップページ | 車両・地上設備(線路等)、そして鉄道事故検証をテリトリーとしている人たち・・・・・・私家版鉄道ファン人物一覧(3) »
この記事へのコメントは終了しました。
« 乗り鉄派、切符等収集派の鉄道ファン(鉄道マニア、鉄道オタク)たち・・・・・・私家版鉄道ファン人物一覧(2) | トップページ | 車両・地上設備(線路等)、そして鉄道事故検証をテリトリーとしている人たち・・・・・・私家版鉄道ファン人物一覧(3) »
コメント