2007年冬季「青春18きっぷ」”消化”乗り歩きの旅・・・その2「紀伊半島から四国へ」(3:第1日・和歌山まで)
去る1月20日を以て幕を下ろした2007年冬季発売分の「青春18きっぷ」でありますが、最後まで残っていた日付空白を埋めるべく、17日と19日から20日にかけての合計3日間にわたって「青春18きっぷ」消化乗り歩き旅をしてきました。
このうち19日から20日にかけての1泊2日の日程で行った紀伊半島1周等の旅程による乗り歩きについて、これまでに2回書いてきています。
1回目の記事では旅程全体の概要をざっと示し、前回の記事からは詳しく振り返ってきているわけですが、前回記事では大阪出発時から名古屋までの区間について振り返ってみました。
今回は名古屋から亀山を通って和歌山までの区間について振り返ってみようと思います。
名古屋駅3・4番島式ホーム上にあるきしめんスタンドでお昼を済ませた私は関西本線や伊勢鉄道線を経て紀勢本線に入る列車たちが発着する12・13番島式ホームに移動、まずは12番のりばに既に入線していたキハ85系による特急「(ワイドビュー)南紀」を撮影し、そうしているうちに反対側の13番のりばに入線してきた、今度私が乗ることになる13:08発の普通亀山行(313系3000番台2両編成ワンマン)も撮影、発車時間までを過ごしました。
2両編成のうちの先頭車両(モーター付きの車両;モーター音を聞いていたいので…)の一番後ろの扉から乗り込んだ私・・・桑名あたりまでは立ちん坊でしたが、座ることの出来た桑名以遠の区間は眠ってしまい、気が付いた時には亀山の3つ手前にあたる駅・河曲に停車していました。
その後も313系3000番台2両編成は順調に走り続け、無事亀山に到着・・・いつもだったらここから更に関西本線を西に辿って加茂に向かいそうなところですが、今回は久しぶりに亀山から紀勢本線を南にひたすら下るルートをとることになっていた上、亀山駅に於ける乗り継ぎ時間も短かったこともあって、到着後ドアが開いて亀山駅1番のりばに降り立った私は急ぎ足で跨線橋を渡って反対側の端となる5番のりばへと向かい、停車していた鳥羽行キハ11形ディーゼルカーを慌ただしく撮影したりしていました。
亀山を発車した鳥羽行ディーゼルカーは下庄、一身田・・・と南下、高校生を少しずつ拾いながら伊勢鉄道線と合流する津へ。
津で乗客の入れ替わりがあり、すぐ横を近鉄電車が行き交う中を更に南下、松阪の一つ手前の六軒あたりから高校生を中心に乗客が増え始めてきました。
到着ホームの左手に、赤旗を手にした駅員(助役?)を横に控える名松線のディーゼルカー(その運転台のところにはタブレットのキャリアの一部と思われるものが見えていました)を見ながら松阪を発車した鳥羽行ディーゼルカーは次の徳和で更に高校生たちを拾い、そして多気へ・・・先頭車両の右側一番前に座っていた私の前では女子高校生のグループがキャンディー片手におしゃべりに花を咲かせ、そのすぐ横では一人の女子高校生が何やら携帯をいじくっていたようでした。
そうこうしているうちに乗換駅となる多気に到着。
到着ホームの反対側に停車しているキハ40系48形2両編成の列車に乗り継ぐことになっていたのですが・・・ところが発車時刻になっても一向にドアを開ける(というかドア横のボタンの上の「ドア」ランプ表示が点灯する)気配すら見られない。
車内を覗き込むと乗務員と共に作業員もまた車内を行ったり来たりしているのが見える・・・ドア周りで待っている人たちの間から、何なんだろう、との声が聞こえてきていました。
やがて先頭の運転室窓から、車両故障、との声が聞こえ、更に数分後、停車中の列車が車両故障を起こしているので隣のホームに停車中の列車に移るようにとの駅案内放送が流れてきて、大勢の人と共に私も急いで跨線橋を伝って隣のホームへ。
その隣のホームには同じくキハ40系48形ディーゼルカーが4両で停車していたものの、どうやら2両ずつに切り離すみたいで、一旦ドアが閉められ、切り離し作業が行われました。
2両ずつに切り離されたうちのホームから向かって左側2両が急遽新宮行として使われることとなり、一旦閉められたドアが開くと、私も含めて待ちかねた乗客たちが次々と乗り込んでいったのでありました《ちなみに私はこの列車でも進行方向に向かって右側の席を確保出来ました》。
そして乗り込んでから数分後、ドアが閉まってようやく発車となり、いよいよ紀勢本線の山間の区間を目指して走り出しました《13分ほど遅れて発車したとの車内アナウンスが流れてきました》。
三瀬谷を発車して暫くすると右手に三瀬谷ダムが私の目の前にその姿を現したわけですが、過去に何度かこの区間を通るも、まともにその光景が目に飛び込んできたことはこれまで無く、見た感じ、ダムにしては小振りで、どこか古めかしいような印象でした。
また梅ヶ谷では、島式ホーム上に取り付けられている出発反応標識が点灯している姿と、少し低めの屋根の付いたところに取り付けられている駅名標を眺めているうちに、いよいよ次の紀伊長島に向けての長い長い下り坂を行くんだな、というある種のオーラのようなもの(ん…)を感じてしまいました。
で、この多気仕立て(始発)の普通新宮行でありますが、所定のダイヤだと栃原で3分ほど、尾鷲で6分、新鹿で5分ほど、熊野市で23分、とこの4駅だけで合わせて40分近く停車することになっていて・・・・・・ということに実は乗っていた時には気つかず(というかその時にはまともに持参の『時刻表』を見ていなかったような気がする)、多気発車時点で既に10分以上遅れていたところへ滝原や賀田等の駅でも十何分といったまとまった時間停まってしまい、一時は二十数分の遅れにまで拡大していきました。
ところが終着駅・新宮に於ける紀伊田辺行普通列車への乗り継ぎ時間は11分(18:58着→19:09発)しかなく、しかもこの19:09発の紀伊田辺行は串本以遠にも行く列車の新宮駅に於ける最終電車となっており、この乗り継ぎ時間を上回る遅れに心中苛立っていました。
その上、新宮から西の電化区間はJR西日本の管轄となっており、同じJRグループの中の旅客会社とはいえ、JR東海から見れば新宮以西の区間はいわば他社路線となってしまうわけで、遅れたとしても接続はとってくれないだろうなぁ、とすっかり日が暮れて夜空の広がる風景を眺めながら絶望感に打ち拉がれる私がそこにありました。
いつしか遅れ時間の放送もなくなり、諦めの境地に立たされている私を乗せた2両のディーゼルカーは淡々と新宮に向けて走り、やがて新宮の一つ手前の駅・鵜殿に到着・・・・・・果たして紀伊田辺行普通列車は待ってくれているのだろうか、不安に思う中、鵜殿を発車、カーブが続いた後に長い鉄橋を渡ってトンネルへ、会社境界を越えてJR西日本管轄内へと入ったJR東海所属のキハ40系48形ディーゼルカー2両は新宮駅3番のりばへと滑り込んでいきました。
進行方向左側の車窓から前方を覗き込んだ私の目に、見覚えのある姿・・・・・・そう、105系電車!
紀伊田辺行105系電車2両編成が我らの到着を待ってくれていました。
ドアが開き、一目散にその紀伊田辺行に乗り込んだ私・・・しかしふとプラットホーム上の時計に目をやると、まもなく19時を指そうとしているのが見えました。
つまりは定刻に新宮到着・・・え、じゃあの二十数分の遅れは何だったんだろう。
狐につままれる気分になりました。
ま、とにもかくにも紀伊田辺行最終電車に無事乗り継げてやれやれでした。
三重県から和歌山県へと入った私を乗せた紀伊田辺行105系電車2両編成ワンマン列車は定刻に新宮駅2番のりばを発車、漆黒の闇の中を再び紀伊半島沿いに走り始めました。
この紀伊田辺行ではモーターの積まれている2両目(つまり後ろの車両)の最後尾運賃箱横(進行方向に向かって左側)にある出っ張り部分に座り、途中だいぶ席が空いてきたところで(串本あたりだったっけ…)ロングシート部分へと移りました。
で、正直に白状しますと、実はその運賃箱横の出っ張り部分に腰掛けていた際、持参のポータブルメモリプレーヤーにデータとして入れてきた横見浩彦のラジオ番組〔横見浩彦RADIO鉄道(→横見とゆゆのラジオ鉄道)〕を、105系電車のモーター音とレール継ぎ目音をバックにしながら、繰り返し聴いていました。
後ろへと去りゆく夜の風景、モーター音、レール継ぎ目音とこの横見浩彦ラジオ番組はよく合っているように聴いていてつくづく感じました《でも、この聴き方は邪道だ、と言われるかな…》。
さて、新宮から私を乗せてきた105系電車2両編成ワンマン列車は無事紀伊田辺に到着、しかし駅舎直付けの1番のりばに到着したため、乗り継ぎ先となる列車へは跨線橋を渡る羽目となり、しかも乗り継ぎ時間も3分しかなかったので、ドアが開いた途端ダッシュで跨線橋を渡り、隣のホームに停車中の普通日根野行最終列車(113系2000番台きのくに線仕様2両編成)へと駆け込んだ私・・・程なくしてドアが閉まって発車となりました。
疲れていたせいか、紀伊田辺からの乗車区間の大半を眠り過ごしてしまった私・・・気がつくと広川ビーチあたりを走っていました。
そして23:38の定刻に無事和歌山駅1番のりば(駅舎側ホーム)に滑り込みました。
ホームに降り立った私は早速後部からこの日根野行普通電車を撮影(いわゆる”ケツ打ち”)、そして日根野に向けて走り去る姿を見送っていました。
その後、降り立ったホーム上にある手洗い所で用を足した私は「青春18きっぷ」を駅員に見せ、和歌山の街へと出たのでありました。
と、途中20分以上の遅れに遭遇しながらも何とか無事に和歌山まで辿り着きました。
この後、いよいよ四国に渡ることになるわけですが、それについては次回以降にて。
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