R.ノリントン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス『交響曲第2番ニ長調作品73』(1998年夏)
ずっと以前にラジカセでNHK-FM「ベストオブクラシック」等のエアチェックを行い、得られた音声データをPCに取り込んでおいたものを、ここのところ愛聴している私・・・
少し前までは海外ネットラジオで放送される欧米諸国に於ける各種コンサートのライヴの「ネット・エアチェック」に熱心だった私ですが、ここのところは殆どやらなくなり、新年早々、久しぶりに海外ネットラジオの日本語でのとりまとめをしているWebサイトに立ち寄ってみたところ、昨年の大晦日から今年の元旦にかけて、そのWebサイトに書き込まれているベートーヴェン「第九」公演のネット放送予定が、生放送物も含めて、都合3本ほど挙がっていることがわかり、勿論確認時点に於いては全ての放送が終わった後だったものですから(つまり「あとの祭り」)、超ガックリな気分に陥りました。
ま、今更後悔したところで何も始まりませんけれどもね・・・
で、前置きの中でお話しした、その以前にカセットでエアチェックしてPCに取り込んだもののうち、今回はブラームスが1877年に作曲した『交響曲第2番ニ長調作品73』を、元々古楽器オーケストラの指揮者としてその名が知られているロジャー・ノリントンがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して演奏したものについてしゃべりたいと思います。
前の年(1876年)に21年の歳月をかけて書き上げた『交響曲第1番ハ短調作品68』に対し、交響曲第2番は交響曲第1番完成の翌年(1877年)の6月に着手して10月にはもう全曲を完成させて、更に2ヶ月後の12月30日にハンス・リヒターが指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により初演されて大成功を収め、なんと第3楽章のアンコール演奏というおまけが付いたというのですから、このブラームスの第2交響曲に関して言えばまさに”順風満帆”と言うべきところではないかと思いますね。
尤も、このブラームス第2交響曲のウィキペディア解説によると、オーストリア南部のケルンテン地方・ヴェルター湖畔にある避暑地、ペルチャッハでの滞在中に書き上げたとのことですので、この環境と前の年にようやくの思いで第1交響曲を完成させた後のリラックスした気分と相まって、どんどん曲が書き進んでいた、ということのようですね。
で、今回紹介するロジャー・ノリントン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるこのブラームス第2交響曲演奏は、約10年前の1998年8月3日にオーストリア=ザルツブルクにあるザルツブルク祝祭小劇場(現「モーツァルトのための劇場」)
で行われた、この年のザルツブルク音楽祭の一環公演の中で演奏されたもの。
このロジャー・ノリントンの指揮っぷりについて、『ノリントン-経歴と人となり』の中で語られているところによると、
その指揮をする姿はなかなかダイナミックで、動きは激しい方である。指揮台を前に後ろに動きながら、デュナーミクを全身で表現しているようだ。… |
ん、それってまるでコバケン(小林研一郎)を連想させるかのような指揮っぷりということなのだろうか・・・
で、実際に先日PCで編集を終えた『N響アワー』という番組の終わりのほうでそのコバケンがNHK交響楽団(N響)を指揮して演奏したベルリオーズの『幻想交響曲作品14』の終楽章(ワルプルギスの夜の夢)部分の演奏を映像を見ながら聴いていると、コバケンもまた指揮台の上を前に後ろに動き回りながら、音の強弱に応じて全身を震わせたり(つまり体全体でデュナーミクを表現!?)・・・
一つ違うのは、ノリントンはコバケンみたいにうなり声を上げない、ということなのかも知れませんね。
なお、全身でデュナーミクを表現しながら指揮する指揮者と言えば佐渡裕の名も挙げられるところなのですが、私自身「1万人の第九」等で見る限り、上半身の動きについてはそれ自体デュナーミクを表現していると言えるわけですが、足もとの動きについては、微かな記憶では、それほど動いていなかったような・・・
ま、それはさておき、そのノリントンがチェコ・フィルを指揮して演奏したブラームスの第2交響曲でありますが、下支えがしっかりしていて、その上で主旋律を受け持つパートがメロディーラインを綺麗に歌い上げている、それでいて極端なデュナーミクやアゴーギクの無い、ストレートな感じの歌いっぷり。
別の言い方では、ハズレのない手堅い演奏、ということも出来そうですね。
指揮台の上でダイナミックに指揮している割には手堅い演奏仕上がり・・・・・・変な話、見た目でこってりとした感じの豚骨ラーメンが目の前にあり、しかしいざ食べてみると意外にもあっさりした感じの味わい、そんな印象ですね。
また、各パートともよく鳴らしていましたし・・・・・・ノリントン自身がオーケストラ内に於ける各パートの一音一音に気を配りながら指揮していたような印象をも受けました。
まぁ、総じて言うならば、ベース側のしっかりとしたサポートの下で主旋律側がメロディーラインの一つ一つを間違いなく綺麗に歌い上げていた、手堅い仕上がり・・・そういったところですね。
安心して身も心も委ねられる演奏がそこにある・・・そんな印象です。
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