名古屋にも「1万人の第九」があった!?・・・1989年、名古屋市制100周年記念。リニア、新幹線に熱中のJR東海が協賛
元旦に掲載した『新年明けましておめでとうございます・・・2008年(平成20年)のスタート』という記事の中で、脳梗塞で倒れたにもかかわらず車を購入してしまったウチの父親の話をしましたが、その購入した車が昨日納車となり、先方の担当者と共に近くの広場に乗って行き、そこで運転の練習を行っていたそうですが・・・
今日、車を運転するというので、サポート(一応ですが…)のため一緒に乗り込んだ私でしたが、私たち家族が最も恐れていたことに遭遇してしまいました。
私の住んでいるマンションへの進入路に入る角のところにあるトタン板造りの農作業小屋に激突するという事故を起こしてしまいました。
幸い、シートベルトをしていたことと激突した相手がトタン板造りの小屋だったこともあって、ケガ一つせずに済みましたが、この事故のためにせっかくの車をたった2日で廃車にせざるを得なくなり、結果、車の購入から始まって事故の後処理(車両の撤去)や激突相手の農作業小屋の修理等で最終的に200万程度を費やすことになってしまったわけで〔実際どの程度の費用になるのか、皆目わからないですけれどもね(保険会社側による現地調査、農作業小屋の持ち主の対応等にもかかってくるので)…〕、家族内では「高い授業料だった」と自らに言い聞かせていますが、私自身、下手したら一家離散しかねないな、と本気に心配していたものでした。
まあ、私自身も昨年暮れ近くに父親が「車がほしい」と言い出した時点で警察(運転免許試験場等)に一度聞いてみる等の行動がとれたように感じるところですが・・・あとの祭りですね。
とはいえ、今回はトタン板造りの農作業小屋が激突の相手だったので何とかケガ一つ無く済んだわけですが(勿論、小屋の持ち主の方々には申し訳ない限りですが)、これが鉄筋コンクリート造りのような頑丈な建造物だとしたら・・・そう考えますとゾッとする思いがします《下手したら私自身もこの世にいなかったのかも…》。
さて、先日、ベートーヴェン「第九」に纏わる貴重なものをネット上で見つけました。
その現場となったのは『第1回サントリー1万人の第九 1983』(『usu のホームページ ~万博公園が大好き!』より)というタイトルのWebページ。
このページ・タイトルが示しているが如く、当該Webページには1983年の大阪城ホール落成に合わせて開催された「1万人の第九」第1回公演当時のチケット半券の画像が掲載されており〔当時のイヴェント正式名称は「サントリーオールド・1万人の「第九」コンサート」〕、併せて当時は宝塚音楽学校の生徒たちも団体参加していたことなどが紹介されています《余談ですが、第1回「1万人の第九」公演のドキュメンタリー番組放送予定が掲載されたテレビ番組欄等(チャンネル番号と放送局表示から恐らく首都圏発行分の新聞紙上に掲載されていたものでしょう)が『えええ!!1983年の新聞!?』(『2007 佐渡裕と1万人の交換絵日記』より)という記事に画像の形で掲載されています》。
これほど鮮明な第1回「1万人の第九」公演チケット画像に巡り会うのは初めてのことなのですが、拝見していて、左側の3分の2を占めるロゴ部分を除いた券面表記の殆どが英字表記となっているあたり、ある種独特の雰囲気というものを感じ取ってしまうところです《どこかモダンな感じがする・・・》。
ちなみに、この「1万人の第九」第1回公演つまり「1万人の第九」というイヴェントが創始した1983年は、近くを通る大阪環状線はまだ国鉄だったことは勿論なのですが〔公演会場である大阪城ホールの最寄駅である大阪城公園駅は同ホール竣工に合わせる形で開業させていた(1983年10月1日開業)〕、ホール手前を流れる川を挟んで反対側のエリア内に於いて大阪ツインタワー(ツイン21、TWIN21)が同年9月に着工されたばかりで、これ以外に目立った建物はありませんでした《同じく大阪城ホールと川を挟んで反対側すぐの所に位置し、今では遠隔地からの「1万人の第九」合唱参加者を割引料金にて受け入れる取り組みをしているホテルニューオータニ大阪は翌年(1984年)10月に着工し、2年後(1986年)の9月に竣工しています;→『OBP及びOBP開発協議会の歴史』》。
そんな貴重な存在ともいえるWebページなのですが、実はもう一つ、そのWebページの下のほうに別の「第九」公演のチケット半券画像が掲載されているのが見えます。
少し小さめの画像で少々読み取りにくいところがあるのかもしれませんが、この「1万人の第九」第1回公演の6年後(1989年)の10月1日に名古屋市南区にある名古屋市総合体育館レインボーホールに於いて開催された『JR東海スペシャル ~「ザ・第九」1万人のコンサート』というタイトルの大規模「第九」イヴェントの際のチケット半券画像です。
そして、同じくチケット券面から〔ちょっと見にくいかもしれませんが…〕、この名古屋に於ける大規模「第九」イヴェントには、あのドル箱路線の東海道新幹線を抱え、現在では海外各国で進行中の高速鉄道プロジェクトに対する新幹線技術の売り込みや、リニア中央新幹線計画の遂行にすっかり熱中してしまっているような感のある東海旅客鉄道(JR東海)が協賛していました《だからイヴェント名の頭に”JR東海スペシャル”なる冠が被さっているわけですけどね…》。
ご存じの方もおられるかも知れませんが、この『JR東海スペシャル ~「ザ・第九」1万人のコンサート』が開催された1989年といえば、年号が「昭和」から「平成」に改まった年でもあり〔この年の1月7日に昭和天皇が崩御〕、今となってはすっかり定着してしまっている消費税なるものがこの年に導入(当時の税率「3%」)されたわけですが、一方で日本国内はバブルの絶頂期の真っ直中にあって、この年の暮れに日経平均株価が史上最高値となる38,915円をつけていました。
そして海外に目を向ければ、かつて東西ベルリンを分断していた「ベルリンの壁」がこの年に崩壊、今は亡き名指揮者レナード・バーンスタインがこれを記念して、年内のクリスマス(12月25日)当日に、バイエルン放送交響楽団及び合唱団を核に当時の東西両陣営からそれぞれ音楽家を引き入れる形で、当時の東ベルリン地区に所在していたシャウシュピールハウス(現在のベルリン・コンツェルトハウス)に於いて「第九」公演を敢行、この際に元々の歌詞の中に含まれている”Freude”(歓喜)を”Freiheit”(自由)に置き換えさせた上で演奏したことはあまりに有名な話ですね《その1989年のクリスマスに行われた記念すべき「第九」公演についてはこちらのページの中で聴くことが出来ます(但し終楽章のみですが…)》。
そして実はこの1989年という年に、名古屋市に於いては市制100周年という記念すべき大きな節目を迎えていて、当時名古屋市内各所で様々な記念イヴェントが開かれていたようですが、その中の一つにこの『「ザ・第九」1万人のコンサート』も含まれていたということです《チケット券面右上に「名古屋市制100周年記念」との文言が見える》。
余談ですが、「1万人の第九」の会場である大阪城ホールを擁する大阪市に於いてもこの1989年に市制100周年を迎えており、同年に開かれた「1万人の第九」第7回公演では、ドイツのボン(当時は西ドイツの首都)から合唱団が招かれたほか、この翌年(1990年)に開催された『国際花と緑の博覧会(花の万博)』のコンパニオンの一団も招かれていたそうです。
前出の『第1回サントリー1万人の第九 1983』ページによると、この名古屋に於ける『「ザ・第九」1万人のコンサート』は残念ながら1回限り(単発)に終わったそうですが、実はこのイヴェントに団体参加したとみられる合唱団が、各自開設しているWebサイトの内部に於いて、その参加記録を残しているのが見えました《以下は当時『「ザ・第九」1万人のコンサート』に団体参加していた合唱団と、その参加記録が記されているページを示しています》。
◆ 名古屋市民コーラス 「市民コーラスの歴史 ~1989年」 ◆ 豊田市民合唱団「活動紹介(記録)」 ◆ 湘南シティ合唱団(神奈川県茅ヶ崎市) 「我が合唱の歴史」(→★) |
▲ ★=湘南シティ合唱団Webサイトの管理人自身の合唱参加記録 |
これら合唱団による各公式記録によると、この1989年10月に名古屋で開かれた『「ザ・第九」1万人のコンサート』では以下の陣容により行われていました。
ソプラノ:山本みよ子 テノール:大野憲一 合唱:「ザ・第九」特別合唱団 管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 京都市交響楽団 指揮:外山雄三 |
▲ ソリスト陣のうち、アルトとバリトンの各ソロについては記録に残っていないため不明 |
名古屋フィルハーモニー交響楽団とセントラル愛知交響楽団という現在中京圏を本拠として活動している2つのプロ・オーケストラが1989年の時点に於いても共にプロ組織として既に活動していたにもかかわらず〔但しセントラル愛知響については、当時、旧名称の「ナゴヤシティ管弦楽団」にて活動〕、これら域内の2つのオーケストラではなく、名古屋フィルと京都市交響楽団(京都市響、京響)という互いに本拠とする地域の異なる2つのオーケストラがジョイントしていたあたりがとても興味深いところです。
今だったら、よほど特別なコンセプトを掲げていない限り、ちょっと考えられないかな───「1万人の第九」も、1989年当時は大阪フィルハーモニー交響楽団・関西フィルハーモニー管弦楽団・京都市響という同じ関西圏内に本拠を置く3つのプロ・オーケストラがジョイントしていましたから。
なお、この『JR東海スペシャル ~「ザ・第九」1万人のコンサート』のような単発に終わった大規模「第九」イヴェントとしては、他に『国技館5000人の第九コンサート』(東京)の創始の年・1985年の夏に岩手県岩手郡滝沢村にオープンした岩手産業文化センター「アピオ(Apio)」の落成記念として開かれた『トヨタコミュニティコンサート・8000人「第九」歓喜の大合唱』があります。
それにしても私の地元・大阪に於ける年の暮れの風物詩と化した感のある「1万人の第九」が、実は名古屋に於いても、1度限りながらも、行われていたという事実(勿論開催時期、主催者等は違いますが)には、私も驚きましたよ。
で、名古屋といえば、この『JR東海スペシャル ~「ザ・第九」1万人のコンサート』開催の9年後(1998年)に結成された「名古屋ハート・ハーモニー合唱団」によって、2000年頃にあのナゴヤドームに於いて大規模な「第九」イヴェントをやってのけたものでしたが、残念ながらこの大規模「第九」イヴェントも消滅してしまい、現在名古屋圏内に於いては毎年開催される大規模「第九」イヴェントの類は存在しない状態が続いています《尤も毎日放送(MBS)制作の大阪「1万人の第九」ドキュメンタリー番組の放映は、毎年、中部日本放送(CBC)により為されていますが…》。
もう一度、名古屋の地に、どんな形であれ、「1万人の第九」や「5000人の第九」のような大規模「第九」イヴェントが復活してくれんことを・・・
そして、大阪の地で今も続いている『サントリー1万人の第九』にしても”サントリー”というやはり一民間企業の名前が冠として被さっているわけですが、このことに関して『企業とE音楽』(『家本芳郎のホームページ』より)は、昨今の音楽教育の成果、マスコミの影響、技術革新による享受形態の多様化、楽器の普及、習熟度の上昇等による愛好者の底辺層の広がりを背景にクラシック音楽愛好家層は増大し、音楽生産に関係する企業はもとより、音楽にまったく関係のない企業にとっても、注目すべき投資・支配の対象となってきている、と指摘した上で、企業への依存度が強まれば「金も出すが口も出す」となり、企業の「恵みのまなざしにふれたものだけ」にしぼりこまれることになる、というふうに、ある種の警告を発しています。
とはいえ、欧米諸国と違って音楽等の諸芸術に対しての公的援助が貧弱な日本では民間企業が文化振興の一端を担っているのが現状で(あの新国立劇場でさえ何社かの民間企業からの支援を受けていましたっけ…)、そのこと自体を否定するつもりは毛頭ありませんが、一方で”コンサート等のイヴェントへの支援”という手段を通じて私たち一人一人が企業に躍らされている可能性も否定出来ないことを、このWebページは示してくれているような印象を受けました。
余談になりますが、サントリーの冠を被る「1万人の第九」───まだ一イヴェントとして企画立案段階にあった頃、イヴェント自体大規模であるが故に開催に際して巨費を要することが予想されていたこと、そして関西のイヴェントということで関西に縁のある企業に協賛して貰いたかったという当時の毎日放送の意向もあって、既に関西屈指の有名企業として知られ、文化活動にも理解を示していたサントリーに白羽の矢が立ち、当時のサントリー社長・佐治敬三(故人)の”やってみなはれ”精神も相まって、協賛して貰えるようになった、という経緯から、今もサントリー単独協賛が続いているわけでありますが、そんな「1万人の第九」も、時にはサントリー製品のマーケティングの場(?)としてしっかり活用されているような印象をも受けたりします。
例えば、2004年開催の「万九」第22回公演の総合リハーサル終了後、同年開催分の合唱参加者に対し、同年6月25日に特許を取得し9月28日に全国発売を開始したサントリーの健康緑茶「フラバン茶」(パッケージ・リニューアル版)を配布していました。
このような行動の裏にはサントリー製品に関心を向けて貰う狙いがあるのでは・・・などと睨んでいたりもしますけどね。
大阪に於ける本家「1万人の第九」が今後いつまで続くかは、最終的には主催者である毎日放送の意向(方針)次第ということになるかと思いますが、サントリーという企業に「協賛社」であることを理由に過度に振り回されることの無きよう、今はただ願うばかりです。
P.S.(100923追記…お詫びとして)
本記事に於いて、名古屋の話題と共に抱き合わせで掲載していた古楽器アンサンブル、アニマ・エテルナの演奏〔ヨス・ファン・インマゼール(ジョス・ファン・インマゼール)指揮〕による「第九」を収録した動画(正確には「静止画像+演奏音声」の合成ファイル)の紹介記事に関して、先日行った掲載”動画”に対する現況確認の結果、当初紹介した3本の”動画”全てが「利用規約違反により」掲載元サーバから削除されていたことが判明しました。
そして、同等の内容の動画をネット上で探索した結果、3本の動画のうちの1本目動画のみ、別の動画共有サイトに寄せられていたことがわかり、更に当初紹介動画の投稿先だった『YouTube』にも同じくアニマ・エテルナによる「第九」演奏を収録した別の演奏動画(同じく「静止画像+演奏音声」の合成ファイル;静止画像の内容は当初紹介の演奏”動画”のものと異なる)1本をも発見しました。
本来ならばアニマ・エテルナ「第九」演奏動画を紹介している部分の修正で留まりそうなところなのですが、今後のことも考えると分離するのが適当では、と考えるようになり、結局、アニマ・エテルナ「第九」演奏動画の紹介部分を切り離し、別途記事を起こす形で独立させることにしました。
別途新たに起こした記事は『インマゼール=アニマ・エテルナによるベートーヴェン「第九」──古楽アンサンブルにしてモダンな感じ《兼現況確認》』となります───もしよろしければ、お立ち寄り頂ければ幸いです。
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お久しぶりです。
名古屋の1万人の第九、私出演しましたよ。
実は第九を歌ったのはこれっきりでした。
当時のプログラムを探してもなかったので、独唱者名が不明です。
投稿: ピースうさぎ | 2008年2月 8日 (金) 12時11分
ピースうさぎさん、おはようございます。
こちらこそ、お久しぶりです!
出られていたんですね・・・名古屋の”1万人の第九”。
雰囲気とか、いかがでしたか。
それにしてもこの名古屋の”1万人の第九”の合唱団規模が果たしてどの程度だったのか(合唱団員だけで正真正銘1万人だったのか、それとも合唱団自体は数千人規模だが、終楽章のいわゆる”練習番号M”の箇所で聴衆をも巻き込んでの”1万余人の大合唱”となっていたのか)、私自身も気になるところですね。
もしよろしければ(スケジュールが合えば)、今冬の大阪に於ける本家「1万人の第九」にもチャレンジしてみては如何でしょうか。
私も、昨年に引き続き、申し込むつもりでおります。
投稿: 南八尾電車区 | 2008年2月 9日 (土) 10時05分
初めまして、ルチアと申します。
名古屋一万人第九の事を色々調べたくて、貴兄の記事に辿り着きました。
なかなか、このイベントの事が書かれたモノが無いですね。
実は、私も合唱団員として参加しています。
私も、当時の記憶を辿って、ブログ記事を書かせて頂きましたので、よろしければご参照下さい。
投稿: ルチア | 2009年2月 6日 (金) 22時36分
ルチアさん、こんにちは。
こちらこそ初めまして。
私もこの名古屋に於ける”1万人の第九”の存在については、類似する「第九」イヴェントに合唱参加した経験のある一人として、関心を抱いているところなのです。
いくらバブル絶頂期に開かれたものとはいえ、1回限りで終わってしまうあたり、正直勿体ないような気がしてならないところですね。
また近いうちに遊びに行きますね。
よろしくお願いします。
投稿: 南八尾電車区 | 2009年2月 8日 (日) 15時08分
初めまして。三種三角と申します。
たまたま、サヴァリッシュさんの追悼番組を観ながら、「昔、サヴァリッシュさんが弾き振りされたのを観たのは(放送だったか、名古屋あたりの演奏会だったか記憶が定かでないのですが…)、合唱幻想曲だったかなぁ…」と思って、ネット検索していて、偶然HPを拝見しました。
私は、愛知県岡崎市で第九の合唱団に所属して今年で27年目になります。
名古屋で昔あった『「ザ・第九」一万人のコンサート』、私も高校生の時に出ました。
パンフはありませんが、記念の楽譜(特製)は手元に残っており、表紙の内側にはプログラムが載っています。
独唱の不明分はアルト菅沼綾子さん、バリトン妹尾樹さんでした。
合唱団とお客さんの合計で「一万人」だったと思います。
当時、名古屋周辺には名フィルを呼んで年末に第九演奏会を開催する合唱団がたくさんあり、指揮者はほとんど外山雄三氏でした。(私の合唱団も1983年の発足から14年間は外山氏の指揮でした。)
名フィルと京都市響の組合せは、指揮者のチョイスでしょうね。
この時の演奏は主催の中部日本放送(CBC)で放送され、出演者にはカセットテープが配られました。
因みに協賛はJR東海、演奏会の日は1989年10月1日。
10月1日といえば…鉄分の多い方ならピンとくるのでは?
そう、東海道新幹線開業25周年の当日でした。
カセットテープにも新幹線のCMが入り、楽譜の裏表紙内側には「ひかり」100系の写真が載っています。
初めてのコメントなのに、つい長話になってごめんなさい。
投稿: 三種三角 | 2013年3月10日 (日) 18時00分