「第24回国技館5000人の第九コンサート」合唱参加&乗り歩き旅・・・(1)東京都内に入るまで
私にとって4年ぶりの参加となりました東京・両国の国技館に於ける「国技館5000人の第九コンサート」の第24回公演でありますが、この「5000人の第九」への合唱参加のため、そして来月15日施行のJRグループ定例ダイヤ改正に伴って廃止される寝台急行「銀河」お別れ乗車のため、去る2月22日夜に出発して25日の夜に帰着するという3泊4日の日程による「大阪~東京」間往復を行いました。
その「大阪~東京」間往復に際して実際辿った旅程でありますが、大阪に出る際に利用した区間快速が当初予定より1本遅れとなってしまったことを除けば、『「第24回5000人の第九コンサート」〔2月24日(日)〕への旅程(備忘録兼ねて)・・・「1万人の第九」異常事態!?』の中で示されている旅程の通りでした。
そこで、今回からその3泊4日に及ぶ「5000人の第九」合唱参加に絡んだ東京行き旅程の顛末をシリーズ形式にて記していきたいと思います。
1回目となる今回は2月22日(金)の夜に自宅を出発してから翌日〔2月23日(土)〕朝に東京都内に入ったところまでを記します。
出発日(2月22日)当日は携帯やデジカメ、小型ノートPCへの充電に始まり、着替え(1回分)や洗面用具、そして公演本番時に着用する黒服上下やカッターシャツ等のスタンバイへと続き、夜の20時過ぎには全ての準備がほぼ整い、あとは出発するのみとなったわけですが、父親の入浴介護の手伝い(とはいっても私の場合は後片付け中心だが…)を終えてから出発することを考えていたため、荷物を点検したりコーヒーを入れて飲む等して時間を潰していました。
20時50分頃に母親の付き添いの下で父親が入浴、15分位で出てくると入浴用イス等の水気切りのためベランダに出す等の後かたづけを行い、それが一通り終わったところで出発となったわけですが、まだ新聞や郵便物を取りに行っていないことを思い出した私は急遽1階にある集中郵便受け室へと向かい、その中の我が家の郵便受けに入っていた新聞や郵便物等を取り出して自宅に戻り、玄関近くにそれらを置いてから、今度こそ本当の出発となりました。
行きがてら、携帯への充電等に使うアルカリ乾電池を近くのディスカウントストアで調達した上で自宅最寄り駅に向かった私・・・駅付近の自転車置き場に自転車を置いて駅へと向かい、やって来た大阪方面行き区間快速に乗って大阪へ。
そして、寝台急行「銀河」発車時刻の約4分前に大阪に着いた私は駆け足で「銀河」入線ホームである10番のりばへと向かい、そこで一通り写真撮影を行いながら発車時刻までの短い時を過ごしていたわけですが、編成最後部にある「銀河」ヘッドマークの周りには鉄道ファンが多く集まり、側面にある各々の行き先表字幕の前にはそれを撮影したりする男女の姿が見られる等、10番ホームは賑々しい雰囲気に包まれていました。
私も編成最後部のヘッドマークの撮影や島式ホーム上にある電光掲示板等を撮影しまくっていましたが、発車時刻まで間がなかったため、先頭の機関車の撮影まではかないませんでした。
手許の寝台券で指定された7号車(B寝台車)の出入口から乗車、すぐ横には車掌室があり、車掌の一人が中に詰めてドア(車掌スイッチ)操作を構えていたかのようでした。
そして発車時刻を迎え、発車することを告げる駅の放送が流れてきたことを受けて、車掌室に詰めていた車掌の一人が辺りを見回しながら車掌スイッチを操作、ドアが閉まると小型トランシーバーでもう一人の車掌と戸閉めオーライの旨の交信があり、それが終わると次にショルダー型(?)トランシーバーで機関士と交信、列車番号と発車指示を告げると汽笛一声が鳴り響き、大阪駅10番ホームをゆっくりと離れていきました。
すると、進行方向に向かって右側に詰めていた車掌の一人が慌ただしく進行方向左側にある車掌室に移りましたが、そこには車内放送設備が備わっているみたいで、そこで車内アナウンスを流していました。
暫くして新大阪駅12番のりばに到着、ホームが進行方向左側にあるため、放送設備のある左側の車掌室に詰めたままで扉開閉操作とトランシーバーによる交信をしていた様子でしたが、右側の車掌室で交信していた時と比べて聞き取りにくかったですね。
新大阪駅を発車して、今度こそ録音モードにしておいた手持ちのメモリレコーダで車内放送を録音した私・・・その前後で目の前を若い女性3人組が通り過ぎるのを見て、捨てたものじゃないなぁ、なんて勝手に感慨に耽っていたものでした。
車内放送が終わり、レコーダの録音を解除した私は荷物を持って指定された寝台に向かったわけですが、その指定された寝台の前に来た時にタイミング良く検札が来たのですぐその場で検札を受けることが出来たというスムースぶりで、指定された寝台に荷物を置くと携帯とカメラ持参で周囲を撮影したり、再び7号車デッキに移動して携帯を操作する等して京都到着までの暫しの時を過ごしました《→『「銀河」で大阪をあとに…』》。
7号車デッキ内の進行方向左側の扉付近で携帯を操作している最中に京都に到着となり、今度も左側にホームがくるため右側へ移動・・・そこで新大阪到着時と同様に車掌の動作を見守っていた私、やはり機関士との交信場面が聞き取りにくい。
機関士との交信に使うショルダー型トランシーバーの送話部に口を当てた際の声の出す方向にもよるでしょうが・・・
ま、それはさておき、自分の指定された寝台に戻った私は自分自身が横になる際の荷物配置に悩みながらも、「おやすみ放送」を意識していました。
時間的に大津を過ぎてから「おやすみ放送」が流れるに違いない・・・そう思った私は、大津を過ぎた直後に寝台上にメモリレコーダをセット、2つ向かい合う寝台の中間にある放送スピーカーのある向きにマイクが向くよう据えました。
果たして、「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴール音に続いて「おやすみ放送」が・・・無事レコーダに収まったみたいで、とりあえずはホッと胸をなで下ろした私でした。
「おやすみ放送」が終わってから少し経過して、持参の食糧で夕食を・・・というところで、飲み物類を一切持ち合わせていないことに気付いた私は、これじゃ食べられないよぉ、と落胆。
次の停車駅は米原・・・その米原で何とかするしかない。
しかも今回『時刻表』を持ち合わせていないため、米原にどの程度停車するのか、或いは停車後すぐ発車するのか、見当がつかない。
呆然とする中を「銀河」はただひた走るのみ・・・・・・
彦根を過ぎ、米原が近づいてきたところで、私は500ml入りペットが買えるだけのお金キッカリ150円分を用意してデッキに移動、米原駅手前の留置線群jにさしかかると共に緊張と不安も高まってきました。
そして米原駅に到着。
ドアが開いて暫く様子を見るも、すぐに発車する様子はなく、私はエイヤッとホームへと降り立ちました。
7号車デッキからホーム上にある飲料水の自動販売機までは少し離れていたのですが、それでも何とか緑茶のペットボトル500mlを買うことに成功、振り返ってすぐ目に飛び込んできた車両出入口に向かって再びダッシュ、無事間に合いました。
そして自分の寝台がある7号車に移動しているところでドアが閉まり、米原をあとにしたわけですが、7号車車内通路側窓に見えてきた”急行 銀河 23:53 東京”との電光掲示板表示が印象的でした。
緑茶ペットを確保出来たことでようやく持参の食料で夕食を済ませられた私・・・この後、ようやく眠りについたのでありました《この米原駅に於ける行動の顛末については『「銀河」ついに首都圏へ…』にも記載》。
沼津到着直前に気がついた私でしたが、まだ時間的に早いこともあって起きあがることをせず、そのまま横になったままの状態で沼津、そして静岡県最後の駅でJR東日本管轄区域の入口駅でもある熱海をやり過ごし、いよいよ首都圏へと入っていきました《尤も、やり過ごしている間にも駅の放送には耳を傾けていましたが…;→『「銀河」ついに首都圏へ…』》。
大船を過ぎたところで「おなよう放送」があり、やがて横浜に到着。微かに聞こえてくる駅の放送を耳にしながら寝台側の車窓に映る横浜駅プラットホームを眺めているうちに横浜を発車、いよいよ東京都内へと入っていきます。
大阪駅で電気機関車の撮影が叶わなかった私は、横浜を過ぎたあたりで、せめて牽引している電気機関車の番号だけでも、と考え、携帯とカメラ持参で客車側先頭車両の一番前に移動、繋がれている機関車の向かって右側に見える機番プレートや連結器部分などを撮影しまくっていました《その中の2枚が左に示す2つの写真画像なわけです;ちなみに牽引機は「EF65-1114」でした》。
最後の途中停車駅・品川を出た後、降りる準備をしながら終着駅・東京到着までの暫しの時を過ごしていた私・・・進行方向に向かって右側に何やら諸設備と思しきモノたちが現れたかと思うと続いて島式ホームが現れ、やがて列車が停まりドアが開き、ホームに降り立つ。
ホントに久しぶりの東京駅ホーム(9番のりば)でした。
降り立って進行方向に目を向けてみると既に多くの鉄道ファンのギャラリーが群れを成しているのが見え、更に隣の島式ホーム(7・8番のりば)にもファンの姿がちらほら見られました。
暫くすると牽引してきた電気機関車「EF65-1114」が切り離されて神田方に去っていくと、あとに残った客車先頭車両前面のヘッドマークに大勢のギャラリーが群がり、デジカメや携帯内蔵カメラで一斉に撮影しているのが見えました《勿論私も遠巻きながらそのギャラリーの輪に参加、何とか撮れましたが…》。
そしてそのギャラリーの中には若い女性3人も混じって携帯内蔵カメラでヘッドマークを撮影しているのが見え、眺めていた私自身、時代の流れというものを否応なく実感させられました《まぁ嬉しいことではあるんですけれどもね(単細胞…)》。
神田方に待避していた電気機関車「EF65-1114」が機回し線代わりとして10番のりばを通過していくのを眺めていた私は、暫くの間すぐ隣に見えるE2系新幹線車両を眺めていましたが、その後何となくそのまま両国に移動したい気持ちになり、ホームを降りてコンコースに出ると京浜東北線・北行と山手線・内回りの発着する3・4番島式ホームに向かいました。
既に山手線の電車が停まっていたのですが、反対側の京浜東北線・北行ホームについ最近デビューしたばかりのE233系電車(1000番台)が入線、2~3枚写真を撮った後に乗り込み、2駅先にある秋葉原へと移動したわけですが、とにかく静かでスムースな走りっぷりにただただ驚かされるばかりの私自身・・・
「走ルンです」なんて揶揄されてきた209系電車とはえらい違いですね、これは。
2駅乗って秋葉原に到着、その秋葉原では対向の山手線・外回り電車が入ってきたので撮影し、その後総武緩行線・千葉方面のりばへ。
一旦千葉方面のホームに出るも、朝食をまだ済ませていないことに気付き、辺りを見回しているうちに、千葉方面ホームの付け根部分に構えるうどん・そばスタンドを発見、そこで朝の通勤客たちと共にうどんによる朝食を済ませた上で再びホームに出ました。
で、この秋葉原から乗車する千葉方面に行く電車の下車駅となる両国では、ネットを通じてその存在を何となく記憶している都営地下鉄両国駅構内コインロッカーに荷物を預けるつもりでいましたので、その地下鉄両国駅に近いほうの出口(東口)から出ることにしていましたので、この両国駅東口につながる階段に近いと見られる前のほうの車両に乗り込もうと考えていました。
ホーム上で見つけた傘の自販機や缶入りパン(但し”乾パン”ではない)の自販機に感心しつつも入ってきた千葉方面に向かう電車に乗り込んだ私は、途中の浅草橋をやり過ごして隅田川を渡り、両国に到着。両国では秋葉原から乗ってきた電車と共に、その数分後にやって来た特徴的なルックスをしたE257系500番台による特急「新宿わかしお」の撮影にも成功、初めて生で目にした房総半島特急向けE257系500番台電車に、改めて何処か武骨な印象というものを感じさせられるような思いがしました。
その、E257系500番台車両による「新宿わかしお」号の撮影等を無事済ませた後に地元の高校生たちと共に東口から駅の外に出た私は、その地元高校生たちが歩くのとほぼ同じルートを辿りながら都営地下鉄大江戸線・両国駅へと向かい、地下コンコースに降り立つと都営地下鉄の券売機の前に向かい、少々迷いながらも「都営地下鉄・東京メトロ1日乗車券」(1,000円)を購入、そしてコインロッカーを物色するも、初めのうちはなかなか見つかりませんでしたが、よく探しているうちに駅コンコース北側に4列のコインロッカーを発見!
早速残していく荷物と持っていくべき荷物とに仕分けし、持っていくべき貴重品等の荷物を小さなカバンに詰め、残りを全てコインロッカーに預け(1日300円)、鍵を回して抜き取ると、そのまま先ほど購入した「都営地下鉄・東京メトロ1日乗車券」を自動改札機に通してから大江戸線ホームへと向かったのでありました《→『「銀河」東京到着。只今両国!』》。
今回はここまで。
次回は両国を出発して多摩地区(立川市)を回り、「国技館5000人の第九コンサート」の会場である両国国技館に入るところまでの足取りについて書いてみたいと思います。
<(_ _)> お読み下さってありがとうございます <(_ _)>
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毎度です。
毎度ながら、南八尾電車区さんの移動ルポには感心させられています。
特に、東京~大阪間。
以前にも書いたように、自分は出張でよく利用するのですが、時短を優先するあまり、先日はとうとう神戸空港着のスカイマークにまで手を出してしまいました。
スカイマークは、当日でも10500円で買えて、変更も安価なのが魅力です。
#スターフライヤーはそうした自由が無い!
#その代わり、座席の快適さは数段スター…の勝ち!
新幹線も、その本数の多さ、手軽さから利用の主軸ではありますが、時間的な制約もあり、さすがに銀河には手を出せないなあ。
羨ましいです。
投稿: MOLTA | 2008年3月 2日 (日) 04時13分
MOLTAさん、こんばんは。
スカイマークについては、航空会社として新規参入した当時にメディアで伝えられていたところでは、運賃を安価に設定する代わりに、いわば「詰め込み主義」とでもいいましょうか、座席ピッチ(間隔)をとことん切り詰めて、1便あたり運べる旅客数を出来るだけ多くすることで収益を確保する・・・というふうに聞いていまして、恐らく現在もその方針は大きく変わっていないと思われますので、居住性では、仰っているように、最近新規参入したスターフライヤーとか、昔からのJALやANAのほうが上回っていると思います。
今回の寝台急行「銀河」の往復利用は私にとって久々の大散財となってしまいましたが、小学生の時分に父親に連れられて一度利用したことがあったりと、思い入れのある列車でもあるので、結果的に乗っておいてよかったかな、なんて思ったりもします。
時代の流れとはいえ、「銀河」等の夜行列車が次々と姿を消していくのはちょっと寂しいかな・・・正直なところ、そう思いますね。
投稿: 南八尾電車区 | 2008年3月 3日 (月) 23時02分