第3セクター鉄道(今年4月から)として存続決定・・・茨城交通湊線、新会社の社長・新社名公募も
昨年の9月6日に茨城交通湊線(勝田~阿字ヶ浦間)のことを記事して以来、今日に至るまで本ブログでは一つもこの湊線に関する記事をアップ出来ずにいました。
にもかかわらず訪れる方もおられるようで、感謝すると同時に、申し訳なく思っています。
で、今回はその茨城交通湊線に関する最新情報等を話していきたいと思います。
茨城交通湊線の存続に向けて昨年(2007年)の8月下旬から具体的な行動を見せていたひたちなか市と茨城県でしたが、昨年の9月27日、その茨城交通湊線が来年以降も、同線をまるごと抱えるひたちなか市と茨城交通とが折半で出資する第3セクターの新会社を設立する形で、存続されることが決まりました。
この新会社設立に際し、茨城交通は車両等の鉄道資産を現物出資する予定としている他、ひたちなか市の出資分に対しては茨城県がその3分の1を補助するとも表明しています。
加えて、茨城県などでは、来年度(2008年度)からの向こう5年間に、行き違い設備の新設や中古車両による車両更新等で約5億4000万円の設備投資が必要になるものの、国の鉄道・軌道近代化設備補助制度を活用することで通常5分の1の国・県の補助割合を3分の1に引き上げる他、残り3分の1については市が補助制度を創設して新会社の負担を軽くする、とも明らかにしています。
ただ、黒字への転換のめどが立っていない上、設備投資に際して国の補助制度を利用することで納税者負担も重くのしかかる格好となり、茨城県関係者の間では「これだけの支援をして、5年たった時にさらに厳しい状況に追い込まれていては困る」といった懸念の声も出始めているそうです。
そんな中、昨年11月29日にひたちなか市役所で開かれた、ひたちなか市が設置した「湊鉄道対策協議会」(会長・本間源基ひたちなか市長)の第10回会合の中で、その第3セクターによる新会社の社長を全国から公募することが決まりました。
この新会社の経営陣について、ひたちなか市では、当初は市長が社長を務めて実務を担う経営者を公募することも検討されてきましたが、市民鉄道として責任を持って経営に当たるためには民間出身の意欲的な人材を専任社長として充てることが妥当と判断、このひたちなか市の方針を「湊鉄道対策協議会」が了承する形で今回の決定に至ったとのことです。
新会社の社長(専従)の勤務条件を以下に示しますと・・・
◆ 年俸700万円 ◆ 任期1年(再任可) ◆ 勤務地である那珂湊駅に通勤出来ること |
そして、この新会社の社長の公募が昨年12月10日から今年の1月15日まで行われ(実際には1月17日書類到着分まで受付)、応募資格としては・・・
◆ 20歳以上(基本的に) ◆ 鉄道事業の経験は不問 ◆ 会社経営の専門的な知識を有し、かつ企業再生の実績があること |
となっていました。
そして、応募に際しては履歴書と800字以内の自己アピールの他、湊線の再生・活性化のアイデアを盛り込んだ1200字以内の小論文の提出を求めていました。
公募の結果ですが、全国から58人の応募があり、地域別では茨城県内からが19人、茨城県外からが39人となっていて、年齢については、最年少応募者は30歳、最高齢応募者は70歳とのこと。
そして、応募者は全て男性で、関東を中心に30~40歳代の応募が目立つ一方で北海道や九州からそれぞれ2人ずつの応募もあったそうです。
この後、書類審査によって応募者を半分以下に絞り込んだ上で1月24日には本間市長と茨城交通の竹内順一社長による面接を実施、そして今月6日に開かれる予定の「湊鉄道対策協議会」の場で新会社の社長が発表される見通しとのことです。
ということは、既に最終面接は終わっていることになっているのだから、今は社長決定のための最終選考の段階に入っているはずですし、仮に3日後に開かれる対策協議会の場で発表された場合には翌日の新聞などで報じられると思うので、我々からすると4日後には新会社の社長の名前が明らかとなるわけですね。
なお、4月設立の新会社に於ける体制についてでありますが、常勤取締役として公募で選ばれる社長と茨城交通出身者の計2人を置き、非常勤取締役としてひたちなか市と茨城交通から各1人の計2人を置く予定にしているほか、管理職として安全総括管理者1人を茨城交通から採用する計画だそうです。
また、鉄道運行に直接かかわる社員は27人前後を想定していますが、現在の湊線従業員を出向などで受け入れる他、数人を新たに採用することでまかなうそうです。
一方、実はこれと並行して新会社の社名の公募も行われていて、こちらはひたちなか市内在住者と茨城交通湊線利用者を対象としており、先の新会社社長公募と同じく、昨年の12月10日から今年の1月15日にかけて行われ、150件の応募があったそうですが、このうちの134件は地元ひたちなか市からの応募だったとのこと。
この新会社名称については2月中に決まるのだそうですが、今頃はきっと選考作業も大詰めを迎えているところでしょう。
果たしてどのような社名がつくことになるのやら・・・楽しみなところです。
◎ 一筋の光・・・
第3セクター鉄道として存続されることが決まった茨城交通湊線ですが、一筋の光が見えてきそうな話が伝えられています。
それは那珂湊駅から歩いて約10分のところにある「那珂湊お魚市場」に纏わる話。
これは『三セク再生へあの手この手 茨城・湊線』の中で伝えられている話なのですが、以下にその部分を引用しますと・・・、
昨年末の休日、那珂湊駅前の道路は、約1キロ離れた「那珂湊お魚市場」に向かう車で渋滞していた。地元ではいつもの風景という。18年度、魚市場への来場者は約134万人に上った。湊線の調査をしたコンサルティング会社「ライトレール」の阿部等社長(46)は「マイカーで来るのは、鉄道が不便だから。接続を良くしたり本数を増やして市場と連携すれば改善できる」という。 |
この「那珂湊お魚市場」への来場者数の時期別推移がどうなっているのかは上記引用部分だけではわからないところですが、少なくとも年末期は恐らくおせち食材仕入れの関係で混み合うことがこれでわかりますので、来場者の多くなりそうな時期に列車を増発させて対応するということが考えられなくもないところですね。
初めのところで設備投資のことに触れた際、設備投資の対象の一つとして「行き違い設備の新設」を書きましたが、行き違い設備が新設されるのは勝田~那珂湊間で、この新設によって現在の40分間隔の運行ダイヤからの短縮が見込まれるとのことですが、これを生かして「お魚市場」のかき入れ時(年末など)には列車増発して鉄道による「お魚市場」への来場の利便性を高めることで車の渋滞の緩和にもつなげられるし、変な話、環境保護にもつなげられるとも言えるわけですね《まぁディーゼルカーですので、当然の事ながら、自動車と同様に排煙はあるのですが、鉄道による来場者が増えることでその分マイカーを減らすことが出来れば排煙量は全体として少なくなると思いますけどね…》。
ま、これも存続に向けての”一筋の光”的な要素となりうるところですね。
茨城交通湊線から新年度に転換となる第3セクター鉄道には、利用状況に即した列車ダイヤの編成を行うなど、利用者の視点に立った、また地域に愛される鉄道となるよう地道に取り組んでいってほしいと思います。
【参照記事】
『茨城交通湊線が存続へ/分社化して第3セクターが運営』
『湊線、3セクで存続へ』
『三セク鉄道再生へ社長公募…茨城交通湊線、年俸700万円』
『茨城交通湊線 3セク社長を公募 年俸は700万円』
『三セク再生へあの手この手 茨城・湊線』
『3セク湊線 社長に58人応募 来月6日に発表見通し』
『茨城交通湊線:社長公募に58人 “鉄ちゃん”多く?』
『掘り出しニュース:茨城交通湊線、社長公募に58人 “鉄ちゃん”多く?』
『茨城交通湊線を3セクで存続』
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