「懐かしの213系マリンライナー」瀬戸大橋線を駆け抜ける・・・4月10日、「高松→岡山」上り1本のみ運転
JRの瀬戸大橋線(本四備讃線)が開通してから今月で20年・・・私も今までうっかりしていましたが、いつの間にそれだけの時が流れていたのか、今更ながらハッとさせられる思いがします。
それで、その、瀬戸大橋開通20周年を迎えた去る4月10日、JR瀬戸大橋線開業当初に走らせていた213系電車を使ったリバイバルトレイン「懐かしの213系マリンライナー」が、当時の車両・編成をそのまま再現させる形で、高松始発の上り1本限定で、運転されました。
これはJR四国が去る1月28日に発表した瀬戸大橋線開通20周年記念事業の一環として行われたものです。
この「懐かしの213系マリンライナー」は6両編成で、うち高松方先頭車両1両のみ白色車体のパノラマ風グリーン車になっているという、定期運行当時の編成スタイルをそのまま再現させたもの。
初代「マリンライナー」として定期運行されていた当時は、6両編成のうち、そのパノラマ風グリーン車を含む2両が指定席で残る4両は自由席扱いでしたが、今回の復活運転ではグリーン車・普通車とも全車指定席とされました。
1ヶ月前にあたる3月10日の朝10時から全国のみどりの窓口等で一斉に発売された、このリバイバルトレインの指定席券で、発売開始から約30秒で完売という”瞬殺”ぶりを見せてくれました《去る3月15日のダイヤ改正で消滅した寝台急行「銀河」他3本の夜行寝台の運行最終日(3月14日)始発駅発車分の寝台券前売開始時以来;尤も、その後、キャンセル待ちでグリーン車指定席をゲットした人もいたとのことですが…》。
この「懐かしの213系マリンライナー」の指定席券ですが、以下の内訳で発売されていたそうです。
◇ 発売総座席数 … 346席 ◇ 内訳 ◆ 個人枠(「みどりの窓口」発売分)… 246席 ◆ 団体枠(旅行商品への組み込み分)… 100席 |
で、運行当日、始発駅である高松駅では、6両編成の「懐かしの213系マリンライナー」が出発ホームに入線すると、待ち構えていた大勢の鉄道ファン等が一斉にシャッターを切っていたとのこと。
発車を前にして、高松駅4番のりばに於いて開かれた出発式には、瀬戸大橋線の両端駅が属する自治体のブレーンとして、真鍋武紀香川県知事、高松市出身という山口裕視岡山県副知事も出席していた他、来賓として藤井照久四国運輸局次長、丸山俊JR西日本岡山支社長も姿を見せていたとのことで、出席者によるテープカットの後、11時49分、加藤圭哉高松駅長の出発合図により岡山に向けて発車していきました。
途中、「懐かしの213系マリンライナー」の走る区間の沿線でも鉄道ファンがカメラ片手に出迎えていた模様で(実は私自身も児島駅ホームにてカメラを構えていました…)、終着駅である岡山駅に於いても約70人もの鉄道ファンが待ち構え、熱心にシャッターを切っていたのだそうです。
この「懐かしの213系マリンライナー」の乗客の中にはJR瀬戸大橋線の開業1番列車(1988年4月10日・高松04:38発快速マリンライナー)を運転し、その後1994年に退職したという元JR四国運転士も含まれ、坂出から児島まで妻と共に乗車したという彼は乗務していた頃とは打って変わって穏やかな顔つきをしていたそうです《「当たり前」と言われればそれまでかも知れませんが、さぞかし感慨深げに車窓の風景を眺めたりしていたことでしょうね》。
「マリンライナー」自体は昭和63年(1988年)4月10日の瀬戸大橋線開通に合わせて登場したものですが、初代「マリンライナー」運行車両として使われた213系電車が登場したのは、実はこの「マリンライナー」登場の約1年前にあたる昭和62年(1987年)3月施行の国鉄最後のダイヤ改正時で、当時岡山県の宇野と香川県の高松の間で運航されていた国鉄宇高連絡船と宇野駅でリレーさせる目的で岡山~宇野間で運行されていた「備讃(びさん)ライナー」として、「マリンライナー」運行開始までの約1年間、活躍していたのだそうです。
平成15年(2003年)10月に現在の2代目車両(JR西日本223系5000番台とJR四国5000系)に置き換えられたわけですが、この間、「備讃(びさん)ライナー」時代も含めて、実に約16年半もの間、本州と四国との架け橋的役割を担っていたことになるわけですね。
ちなみに、現在、「マリンライナー」は原則として30分間隔で運転されているのですが、デビュー当時は1時間間隔の運転だったとか・・・現在のように30分間隔での運転となったのはデビューから半年経過した1988年9月のことだそうです。
なお、私自身も児島駅で「懐かしの213系マリンライナー」を見送ったわけですが、この時の顛末については、後日、このブログにて改めて記したいと思っています。
P.S.
この213系電車についてですが、私の場合、初代「マリンライナー」として運用されていた213系電車に乗った回数よりもJR東海管轄の関西本線(名古屋~亀山間)普通列車としてかつてメインで運用されていた213系5000番台に乗った回数のほうが多いように記憶しています。
大阪府内の大和路線沿線に住んでいる私自身にとって、正直なところ、瀬戸大橋線よりも関西本線のほうを身近な存在として感じていたから・・・
とはいえ、私自身も、回数こそ少ないものの、初代「マリンライナー」にもお世話になったことがありますので、児島駅で「懐かしの213系マリンライナー」が入ってくるのを見た時、それに向けてカメラを構える一方で、かつて乗った時の記憶などがオーバーラップして、懐古の情がこみ上げてきていました。
直にお目にかかれて嬉しかったです・・・
《→『「懐かしのマリンライナー」が復活運行 瀬戸大橋開通20年で』、及び『JR瀬戸大橋線、初代マリンライナー運行 香川』というタイトルも有り》
『初代マリンライナー復活』
『瀬戸大橋20年:よせる思い/1 元JR四国運転士・宮崎宗久さん /香川』
『初代マリンライナーが1日限定の復活』
《→『初代マリンライナー復活』というタイトルも有り》
『初代マリンライナー復活 瀬戸大橋線・20周年事業』
『開業時車両が復活 JR瀬戸大橋線マリンライナー』
『鉄道人生最高の思い出 瀬戸大橋開通20年 ~一番電車運転士の宮崎さん 復活「マリン」感慨深げ』
『瀬戸大橋開通20年 初代マリンライナー特別運行』
『初代マリン、1本限りの復活-瀬戸大橋20周年』
『初代マリンライナー(213系)が復活運転』
<(_ _)> お読み下さってありがとうございます <(_ _)>
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