3つの寝台特急「あかつき」&「富士」&「日本海4号」で九州から本州北端(青森)まで…〔13〕「日本海4号」乗車
去る3月10日から13日にかけての日程で九州から青森にかけて、3本の寝台特急(「あかつき」・「富士」・「日本海(4号)」)を使って、乗り繋いでいったという旅程の顛末を記してきているこのシリーズでありますが、今回が13回目・・・超スローペースで推移してきていたのですが、ここのところちょっとだけペースが上がり気味です(苦笑)。
前回(12回目)では本州最北端の都市・青森に到達し、そこで今回の旅程の中で3本目、つまり最後の寝台特急列車となる青森19:33発大阪行き寝台特急「日本海4号」との対面を果たしたところまでを記しました。
今回はその続きです・・・
本題に入る前に、一つだけお詫びを・・・
前回(12回目)記事の中で、仙台駅に於いて東北新幹線「はやて&こまち23号」に乗ろうとしている場面に於いて、「はやて」編成で充当されていたE2系新幹線車両について「乗ること自体初めて」と記しましたが、今朝になって、これはだいぶ前の話になりますが(確か2000年前後の話だったか…)、上り「北斗星」から乗り継ぐ形で大宮から長野行き新幹線「あさま」に乗ったことがあり、その際にE2系車両への初乗車を果たしていることを思い出しました。
しかし、厳密に言うと、今回の旅程の中で仙台~八戸間の「はやて」で乗車したE2系新幹線車両では、だいぶ前に乗っている長野行き新幹線「あさま」のE2系車両とでは、車体塗装が若干異なっていたり、窓が広幅になっている等、仕様面に於ける相違点が幾つか存在します。
そのため、E2系新幹線車両に乗ったのは今回が2回目となりますが、今回の場合は”東北新幹線仕様のE2系”に初めて乗った・・・こじつけの感がありますが、そんなところです。
言葉が足らなかったことにつき、お詫び申し上げます。
さて、八戸からの弘前行き特急「つがる23号」で青森に到着した私は、到着ホームの反対側に既に停車している青森19:33発大阪行き寝台特急「日本海4号」の姿を目の当たりにしました。
この列車はJR西日本受け持ち車両による編成で、A個室寝台1人用”シングルデラックス”が連結されている他(この日のA個室寝台車の車番「オロネ25-305」)、車体側面にある行先表示窓にはJR西日本仕様の”黒地に赤字と白字”で「特急日本海 大阪 Osaka」と表示されていました。
ご存知のように、去る3月15日に施行されたJRグループ定例ダイヤ改正では、2つの寝台特急「日本海」と「北斗星」について、それぞれ1往復ずつ削減されています。
このうちの「日本海」では、表面上では個室寝台の連結されていない「日本海3・2号」(「日本海3号」は”大阪20:17発→青森11:48着”、「日本海2号」は”青森16:45発→大阪07:12着”)の1往復が消滅したかのように見えます。
でも、改正前と改正後の両列車ダイヤを見比べてみると、スジ(列車ダイヤ)の上では「日本海3・2号」のスジが消滅してしまっているものの、列車編成面では「日本海1・4号」で充当されていたJR西日本受け持ちのA個室寝台付き編成が消滅した格好となっています。
つまり、今更言うことではないかも知れませんが、「日本海3・2号」で充当されていた「個室寝台の連結されていない」編成(受持はJR東日本青森車両センター)が「日本海1・4号」のスジに乗っかる形で、改正後ダイヤに於ける「日本海」として運行されるようになった・・・というのが本当のところですね。
よって、JR西日本受持編成、特にその中のA個室寝台車両については3月14日の運転分を以てお別れとなってしまうわけで、今回の旅程組み立てに際して”寝台は極力個室寝台で”と決めていた私自身にとって、去る3月14日運転分で廃止された「あかつき」のB個室寝台1人用”シングルツイン”と並んで、この「日本海4号」のA個室寝台1人用”シングルデラックス”も是非押さえておきたいと願っていたわけですが、出発前には満席だったためやむなくB寝台券で一旦確保、そして、最後のチャンスとばかり、大分駅に於ける比較的長時間の待ち合わせの間に大分駅みどりの窓口にて再度トライし、見事押さえることが出来た次第。
その時には、懐を大いに痛めたものの、これで「日本海」A個室寝台に別れを告げられる、と安堵したものでした。
そんなA個室寝台車を繋いだJR西日本受持編成による「日本海4号」が青森駅1番のりばにそのブルーの車体を横たわらせていました。
青森駅に於ける発車時刻は19:33・・・それまでに何とか夕食についてケリをつけなければならないわけですが、ホーム上の売店は既に閉まっている模様で、1軒だけ開いていたそばスタンドで、時計の針を気にしながら、そば(何を頼んだかはよく覚えていませんが、多分「山菜そば」だったか…)を急いでかきこみ、食後の緑茶を自販機で買って乗り込みました。
そして青森を発車・・・今回の旅程の中で最後となる3本目の寝台特急は、今度は日本海側に沿う形で、南下を始めました。
間もなく車掌が巡回してきて検札を受けた私・・・前日朝に長崎を出発して以来使ってきた「長崎→西大津(現・大津京)」の手書き”大乗車券”はこの「日本海4号」走行中に切れてしまうため、本当ならば、大阪までの「日本海4号」のA個室寝台の券と共に、その”大乗車券”とその続きにあたる「西大津→(自宅最寄り駅)」の乗車券(こちらはマルス端末で発券されたもの)をセットで用意しなければならないところを、疲れのせいなのか(うぅぅ…)、西大津から先の乗車券を手元に用意するのを忘れてしまいましたが、車掌からは何も言われませんでした。
まさか券面を見てないというは無いだろうが・・・恐らく車掌のほうも見落としたのかな《わからんけど》。
ま、それはさておいて、検札が済んだ後、個室のカードキーが手渡されると共に、初めてか、とも聞かれましたが、何のことだか飲み込めず、初めてです、と言うと、カードキーの使い方を説明してくれました。
頭の回転まで鈍っていたなんて・・・個室内で自らを悔やんでいた私。
途中、弘前と秋田の両駅にて個室内車窓から見えた発車標(行先表示板)をカメラに収めたりしていた私・・・羽越本線に入ったあたりで眠りについたのでありました《正直言って、このあたりはあまり印象に残っていないです…》。
ちょっと長くなりましたので、この続きはまた次回ということとさせて頂きますね・・・ゴメンナサイ。
<(_ _)> 今回もお読み頂き、ありがとうございます <(_ _)>
【関連記事(「あかつき」・「富士」・「日本海(4号)」乗り繋ぎ旅)】
《1》「概要」
《2》「自宅→京都駅(自宅最寄駅→京都)」
《3》「『あかつき』乗車(京都→岡山)」
《4》「『あかつき』長崎到着(岡山→長崎)」
《5》「長崎→久留米」
《6》「久留米→大分」
《7》「『富士』に乗って(大分→門司)」
《8》「「富士」名古屋到着(門司→名古屋)」
《9》「『富士』東京到着(名古屋→東京)」
《10》「久方ぶりの東北路へ(上野→いわき)」
《11》「仙台に到着(いわき→仙台)」
《12》「ついに青森到達(仙台→青森)」
《14》「『日本海4号』京都着(車中泊→京都)」
《15》「KTR宮津まで(京都→宮津)」
《16》「豊岡に出る(宮津→豊岡)」
《17終》「大阪帰着、そして…(豊岡→大阪→自宅)」
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