3つの寝台特急「あかつき」&「富士」&「日本海4号」で九州から本州北端(青森)まで…〔14〕「日本海4号」京都着
去る3月10日から13日にかけての日程で九州から青森にかけて、3本の寝台特急(「あかつき」・「富士」・「日本海(4号)」)を使って、乗り繋いでいったという旅程の顛末を記してきているこのシリーズでありますが、今回で14回目となります。
前回(13回目)の記事では、今回の旅程の中で3本目すなわち最後の寝台特急列車となる青森19:33発大阪行き寝台特急「日本海4号」に乗り込んだことをお話ししました。
秋田あたりまではホームに設置された発車標(行先案内板)に表示される「日本海4号」と「大阪」の文字を、起きている限り、追っていたものでしたが〔尤も目の当たりに出来たのは弘前・秋田両駅の発車標のみでしたが…〕、秋田から入った羽越本線内を走行中に眠りについたみたいで、次に目が覚めたであろう北陸本線の福井あたりまで殆ど印象に残っていません(ひょっとしたら福井ではなかったかも知れないが)・・・
ま、それはさておき、続きを記していきますね。
ところで、ここまでの旅程の中で乗ってきた残り2本の寝台特急(「あかつき」と「富士」)については車内散策を行ったりと、結構動き回っていたのですが、3本目に乗った「日本海4号」については、3月14日限りで消滅することとなっていた、JR西日本受持編成の中のA個室寝台1人用”シングルデラックス”にばかり気をとられていたせいか、編成全体に及ぶ車内散策というものを行わず、専ら個室内か、車両内を移動(個室と同じ車両内の反対側の端にある洗面所との往復)するに留まっていたのが正直なところで、一度はとれなかったものの大分駅での再トライで辛くも押さえることの出来た個室の内部をつぶさに見て回ることに精力の大半を使っていたかな・・・
とはいえ、端のほう(デッキ近くでした)にある個室で、すぐ下が台車ということもあってか、結構揺れました《まぁ台車とはいっても空気バネを採用しているものでしょうから、一昔前の通勤車両で使われていたであろう純粋なコイルバネと比べれば揺れのほうはましかも知れませんが・・・》。
ま、これも列車寝台ならでは、ということですか・・・
それはさておき、秋田から入った羽越本線を走っているくらいに眠りに入った私が最初に目を覚ましたのは北陸本線の福井あたりを走っていた頃だったように朧気ながら記憶しているものの(いや、まだ手前の美川あたりだったかなぁ…)、正直言ってちょっと自信が持てないかな・・・ただ、次くらいに目を覚ました時に車窓から見えた近江塩津のホームの光景は覚えていて、やわらかな朝日に照らされていた、柱に取り付けられた「ひらがな+ローマ字」の縦長駅名標やホーム上備え付けの発車時刻表が目に飛び込んできていました。
近江塩津からは湖西線へと入っていったわけですが、途中、湖西線内の最後の駅である西大津では待避線に入って運転停車し、後続の大阪行き特急「雷鳥」に抜かされるという特急列車としてはちょっと悲しい一幕があったわけですが、その一方で、ホーム上に建植されている駅名標に表示の「西大津」という文字のあたりが何やらシール状のものとなっていて、その下には3月15日のダイヤ改正で改称される新しい駅名「大津京」の文字が隠れているように思えました。
西大津を発車すると湖西線は終わりを告げ、東海道本線(JR琵琶湖線)の線路と合流して山科、そして下車することにしていた京都・・・ということで、急いで荷物を纏めると共に、毛布を1箇所に固めたり等していました。
備え付けのアメニティグッズについては、持ち帰っていいのかどうかわからず、仮に持ち帰ったとしても自宅の中の置き場所に困ることが予想されるので、そのまま置いて出ることに・・・
そして京都に到着。
ここ京都では6~7分間ほど停車するそうで、その間に改めて客車最後尾にある「日本海」のテールマークや「日本海」ヘッドマークのかかった牽引機関車(「EF81-108」でした)等をデジカメに収めたりしていた私・・・ここぞとばかり動いていましたね、京都駅では。
大阪に向けて発車していく「日本海4号」を見送った後、橋上改札内コンコース沿いに軒を構えるうどん・そばスタンドへ・・・2日前に京都から「あかつき」に乗る際にも夕食で立ち寄ったこのスタンドで、今度は午前中限定の定食ものを頼んでみました。
かけそばに生卵と梅肉(というか梅干しをすりつぶしたもの!?)と鰹節のかかったご飯がセットとなったもので、手頃な値段で食することが出来たのを覚えています《→『「日本海4」から「はしだて」へ』》。
ここまで体調面で万全とは言えなかっただけに、この梅肉の乗ったご飯は、勿論美味しかったのですが、ちょっとでも体調を整えるのに役立ったみたいで、とても助かりました。
やはり梅干し(というか梅肉)は体にいいんだわさ・・・
朝食を終えた私は、次に乗ることにしている京都10:24発天橋立行き特急「はしだて3号」が発車する31番のりばへと向かいました。
左隣にある30番のりばは関西国際空港に直通する関空特急「はるか」の発着ホームとなっていて、30番のりばの端のほうにある自販機で買い求めた食後の緑茶を口にしながら、警備員等が「はるか」車両(281系電車)の周りをウロウロしているのを眺めたりしていました。
緑茶を飲み終えた後、改めて31番のりばへと向かった私・・・既にこれから乗る「はしだて」車両が停まっていたわけですが、途中の綾部までは東舞鶴行き特急「まいづる3号」との併結運転となっていて、行き止まり式ホームである31番のりばに入ると、まず現れるのは「まいづる」編成で、その前に私が乗る「はしだて」編成が繋がれている格好ですが、「はしだて」編成中の自由席車のデッキ前には、1両だけということもあって、かなり長い列が出来ていたのに対し、「はしだて」編成のほうの自由席車については、2両連結されていることもあってか、列のほうはそこそこの長さに留まっているような感じでした。
私が列についた時には車内整備が行われている最中で、ドアが開いた状態のデッキには「清掃中」との札の付いたヒモのようなものがかかってありました。
やがて車内整備が終了となり、整備員が車外に出てくるとヒモが外され、整備員の「どうぞ」の一言ですぐ乗車開始となったわけですが、このあたり、一つの編成内に放たれた全ての整備員たちが撤収し終えて駅構内アナウンスの合図で乗車開始となる上野や東京あたりとは違うな、と思わず感心の私でありました。
この続きはまた次回にて・・・
<(_ _)> 今回もお読み下さり、ありがとうございます <(_ _)>
【関連記事(「あかつき」・「富士」・「日本海(4号)」乗り繋ぎ旅)】
《1》「概要」
《2》「自宅→京都駅(自宅最寄駅→京都)」
《3》「『あかつき』乗車(京都→岡山)」
《4》「『あかつき』長崎到着(岡山→長崎)」
《5》「長崎→久留米」
《6》「久留米→大分」
《7》「『富士』に乗って(大分→門司)」
《8》「「富士」名古屋到着(門司→名古屋)」
《9》「『富士』東京到着(名古屋→東京)」
《10》「久方ぶりの東北路へ(上野→いわき)」
《11》「仙台に到着(いわき→仙台)」
《12》「ついに青森到達(仙台→青森)」
《13》「『日本海4号』乗車(青森→車中泊)」
《15》「KTR宮津まで(京都→宮津)」
《16》「豊岡に出る(宮津→豊岡)」
《17終》「大阪帰着、そして…(豊岡→大阪→自宅)」
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