家の中で、そして外で、「第九」三昧・・・”1万人の第九”&”N響第9”&”コバケンの「第九」”
去る12月6日に行われた「第26回サントリー1万人の第九」の模様を伝えたドキュメンタリー番組の放映が、去る12月23日、TBS系列5局限定ネットにて放映され、私も自宅のDVDビデオレコーダに、放映前日の夜のうちに、予約録画の設定を済ませたものでした。
尤も、うまく録れているか否かの確認も含め、まだ1度も中身を見ていませんが…
で、その「1万人の第九」ドキュメンタリー番組が放映された12月23日はというと、これと同様の時間帯にNHK-FMに於いてNHK交響楽団による今年の”N響第9”演奏会の模様が生放送された他、それら2つの放送を録画・録音(エアチェック)している最中には、私自身、ベートーヴェン「第九」演奏会を聴きに外出していました。
まさに「第九」三昧の1日となってしまったわけで…
このうち、”N響第9”演奏会のFM生放送はNHKホールからのもので、今年の指揮者はアメリカ=ロサンゼルス出身のユダヤ系指揮者で、2008~2009年シーズンよりデトロイト交響楽団の音楽監督に就任したばかりのレナード・スラットキン。
合唱については、例年通り、国立音楽大学となっているのですが、4人のソリスト陣というのが・・・
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ソプラノ:横山恵子 メゾ・ソプラノ:加納悦子 テノール:ウォルター・プランテ バリトン:甲斐栄次郎 |
うぅぅ、聞いたことのない名前ばかりが並んでいる(爆)
この”N響第9”についても、録音(エアチェック)後、未だ1度も耳にしていないので、是非とも近いうちに耳にしてみたいところです。
それにしてもレナード・スラットキンの名前を久しぶりに耳にしたものだなぁ・・・
ところで、”N響第9”演奏会の生放送は昼の15時から16時半まで、最初に触れた「1万人の第九」ドキュメンタリー番組の放映は公称で「16:00~16:54」と、両番組共よく似た時間帯に放送されていたわけですが、実はこれら2番組の録画・録音をさせていた頃、私自身は神戸に出かけていました。
何故かというと神戸国際会館こくさいホールに於いて開かれた「第九」演奏会を聴きに行っていたためなのですが、この「第九」演奏会、小林研一郎(コバケン)指揮により行われていました。
コバケンが振る「第九」というものを、私自身、ここ何年来耳にしたことが無かった上、現在の神戸国際会館に聴衆の一人として聴きに行くのはこれが初めてで〔震災後間もない時期に未だ仮設状態だった同会館に1度だけ聴きに行ったことはあります→確か海外オーケストラの来日公演だったか…〕、内部がどんな構造でどのような響きがするのかを確かめたかった気持ちなどもあって、この公演のチケット前売り開始初日にさっさと電話で予約を入れて購入し、この日を心待ちにしていたものでした。
当日は開演ギリギリでの入場となってしまいましたが、中に入ってみて、あの西宮にある兵庫県立芸術文化センター・大ホール(現在は命名権の関係から「KOBELCO大ホール」と呼称)ほどではないにせよ、木目調を最大限に意識した造りになっていて、さすがに床だけはフローリング(座席部)か絨毯(通路部)となっていましたが、壁とかは木材が使われていました《尤も一枚板だけではないのですが…》。
この日は最上階(3階)席の最後列から1つ前の列の比較的右寄りの通路側席からの鑑賞となりましたが、どう言いましょうか、大阪のフェスティバルホールで聴かれるような分厚い感じというのが無く、低音部の響きにしても、時にググッと来るような響きになっていることもありましたが、全般的に言ってちょっと頼りなさそうな感じだったかな・・・まぁ”可もなく不可もなく”といった感じの印象ですね。
楽器の音色がそのまま届いていたかどうかについて・・・これはまずまずといったところでしょうか。
神戸国際会館に到着。ホール玄関へはエスカレータか、ここには写っていないが、奥(というか玄関に向かって右側面?)にある階段を利用する ホール玄関の改札くぐり、このエスカレータを上ったところが1階席ロビー 1階席ロビー。2階席・3階席へはこのロビーの両端にある階段を使って更に上っていく 木目調(というか木そのもの)を意識した造りのホール場内《終演後に撮影》
で、この日の公演プログラムは”オール・ベートーヴェン”で、「第九」の前座には同じくベートーヴェンが作曲した”『エグモント』序曲(作品84)”が据えられていました。
久しぶりに目にした、コバケン独特の”がなりを伴ったうなり”(??)と、音楽に対してある種投身的に見える指揮っぷり・・・オーケストラの側もそれに応えるかのように地に足が着くような感じのしっかりとした音楽作りをしてくる。
そしてそれら両者が一つの音楽(音の響き)となって昇華していく・・・・・・
ある意味、今年の「第26回1万人の第九」第1部ゲストとして迎えられたデュオ・ユニット「CHEMISTRY」を連想するわけでは無いのですが、これもまたひとつの”音楽的化学反応”と捉えられそうな感じがしないでもないところですね。
演奏自体も、管楽器にもしっかり歌わせるなど、よく歌えていた感じでしたが、まぁこの演奏会に限ったことではないのですが、ヴィオラなどが受け持つ対旋律が潰され気味だったのはちょっと残念だったかな・・・
まぁでも好きなんですよ、この手の音楽づくり・・・
”『エグモント』序曲”の演奏が終わったところで合唱団の入場〔この合唱団に統一した名称は与えられていませんでしたが、敢えて言えば「シスメックス第九コンサート2008合唱団」といったところか〕・・・でも合唱団の乗る壇上に長椅子の類がない。
まさか1時間以上立ちっぱなしなのか。
しかしそれは杞憂というもので、総員が揃ったところで一人の女声団員(団長?)の手合図により一斉に腰掛けた・・・なるほど、腰掛けるスペースも考慮して広めに造られていたんだ。
というわけで、合唱団と同じく終楽章のみに登場する大太鼓(バスドラム)などの打楽器奏者もステージに上がった上でメインの「第九」演奏が始まった次第《4人のソリスト陣のみ第2楽章終了後に入場》。
「第九」演奏でもコバケンの独特の投身的アクションを伴った指揮の下、オーケストラそして合唱団は、要所要所でアゴーギク(緩急法)を駆使することなどにより、一歩一歩足を踏みしめるが如くの堅実さの一方でストーリー性をも意識した音楽づくりを実現、聴いている側として、ひとつの物語(というかドラマ)に接しているかのような気分になっていました。
コーラスのほうも、今回は舞台に向かって女声陣は左(下手)側、男声陣は右(上手)側に集中配置された格好となっていたのですが、オーケストラにしっかり食らいつくかのようにメロディーラインを見事に歌い上げ、ディナーミク(強弱法)も見事用いることで、コバケンが今回の演奏で求めていたであろう、演奏にストーリー性を持たせるやり方にも応えていたような印象です。
演奏が終わった後のカーテンコールでコバケンは4人のソリストと合唱指揮と抱き合ったりして会場を沸かせていたのですが、これもまた”全ての人々は兄弟に”という「第九」という楽曲自らが帯びている根本発想に通ずるものがあるように感じるところですね。
何だか久しぶりに”人間くさい「第九」”に出会ったような気がした、この日の「第九」公演だったように思います。
それにしても、最近NHK-FMで祝日などを中心に放送されている”今日は一日○×三昧”という番組を真似るわけではないのですが、ホントにこの日はまさしく私にとっての”今日は一日「第九」三昧”となったような気がします。
近いうちに、この日に録画・録音しておいた「1万人の第九」ドキュメンタリーと”N響第9”公演生放送を聴いてみようかなぁ・・・楽しみ楽しみ。
<(_ _)> ありがとうございます <(_ _)>
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