今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【1】鳥取の巻=〔2〕カニばさみ、そして余部鉄橋
我らが浜坂行き普通列車はほぼ定刻に香住駅に到着・・・ここで上下行き違い待ちのため15分間停まります。
3番ホームに入線です。
向かい側に見える駅舎側ホーム上に見える”カニばさみ”・・・
その”カニばさみ”、入線した2・3番島式ホーム上にもありました。
「きちゃったネ…香美町」
あぁぁ、カニに食われるのか・・・
まるで宮沢賢治『注文の多い料理店』の中に出てくる”西洋料理店 山猫軒”に迷い込んだかのよう・・・シチュエーションは全然違うけれども、何だかそういうふうに連想してしまう。
とはいえ、思わず「クスっ」ときてしまうオブジェ(というか歓迎のことば!?)なのでした。
香住駅改札口真上にかかっている、「歓迎」ならぬ”カニ迎”の白文字の入った、カニ形プレート・・・さすがは松葉ガニ水揚げ量日本一の地(香美町)だけありますね《ちなみに香住駅自体の現在の住居表示は「兵庫県美方郡香美町香住区七日市字クゴ22」》。
そして、一旦改札を出て香住駅舎を撮影・・・よく見ると、「香住駅」駅名標の下に、またも”カニばさみ”。
カニづくしですな(笑)・・・・・・
さて、香住駅舎内に戻って改札へ・・・・・・
浜坂行き普通列車の停まっている2・3番島式ホームに戻ると、しばらくして浜坂方から上り列車(香住10:48発豊岡行き普通列車)がやって来るのが見えました。
程なくして我が浜坂行きも発車。
次の鎧駅からその次の餘部駅にかけては、いよいよ久しぶりとなる余部鉄橋(余部橋梁)との車内からの対面となります《正確には橋梁上からの眺望との出会いということになりますが…》。
鎧駅を発車・・・
しばらくすると最初のトンネルである「赤島トンネル」(トンネル坑口横にある表示板の文字がちょっと読みづらいけれど・・・もし間違っていれば遠慮無くご指摘を!)に突入・・・
最初の「赤島トンネル」を抜けると、列車はひたすら左へとカーブしていきます。
そして2つ目のトンネルである「於伊呂トンネル」に突入・・・
この「於伊呂トンネル」を抜けたところで、現在架け替え工事の進んでいるあの余部鉄橋と出くわすことになるわけですが、ここで少しだけ道草を・・・
余部鉄橋に纏わる歴史の一つに、同鉄橋の袂にある餘部駅の歴史というのがあります。
1面のホームに1線だけという構造の”棒線駅”である餘部駅が開業したのは1959年(昭和34年)4月16日のことですが、それ以前は、鉄橋直下にある余部集落の住民たちが鉄道(当時は国鉄ですね)を使おうとする場合、余部鉄橋を渡って4つのトンネルをくぐり抜けて約2キロ先にある鎧駅まで歩いていく必要があった、といわれています《地上から鉄橋までの高さは相当なもので、鉄橋のあるところまで上っていくだけでも一苦労だったことは想像するに難くないところですね》。
けれども、今回、鎧駅を発車してから余部鉄橋と出くわすまでにくぐったトンネルの数は、実質的に2本。
鎧駅を出てから最初にくぐった「赤島トンネル」は紛れもなく一つのトンネルとなっているわけですが、2つ目にくぐった「於伊呂トンネル」では、途中2カ所、外からの光が入って明るくなっているとみられるところがあり、うち1カ所は全体的にパッと明るくなっていて、まるで一旦トンネルが途切れているかのような印象でした。
主要な地図サイトであっても2つ目の「於伊呂トンネル」を抜けたところで余部鉄橋を渡るような表示方になっているのですが、ひょっとすると、元々「於伊呂トンネル」は一つのトンネルとなっておらず、3つのトンネルに分かれていたというのであろうか・・・
つまり、元はというと、「於伊呂トンネル」内に見える2カ所の”明かり取り”のところで一旦トンネルが途切れていたのでは・・・と推測してしまうところなのですが、本当のところは知りません。
まぁこのあたりは前面展望でかぶりついていればわかりそうなものなのですが、この日はあいにく進行方向左手の車窓にかぶりついていましたので、トンネル内の構造を把握することは叶いませんでした。
なお、餘部駅の歴史については『余部鉄橋(あまるべてっきょう)のご案内』にて写真入りで説明されている他、余部鉄橋がいかに高いところに架けられたものであるかは『餘部(余部)鉄橋』で実感してもらえるかと思います《あくまで一例として挙げたまでで、他にも餘部駅や余部鉄橋を紹介している素晴らしきサイトは多数存在します》。
話を戻しまして、「於伊呂トンネル」を抜けた我らが浜坂行き普通列車は、いよいよ余部鉄橋の上へ・・・
新しい橋梁の橋桁が着々と造られているのが見えます。
そして餘部駅に進入・・・工事用資材などが見えます。
この日も観光客とおぼしき乗客10人ほどがホームに降り立つのが見えました《観光客だけでは無かったかも知れないが…》。
餘部を発車してから約15分で、終着駅・浜坂に到着《途中には山陰本線最長の「桃観トンネル」(全長1,991m)があるのですが、この日は全然意識していなかった(爆);「桃観トンネル」については『桃観トンネル』(→『村民鉄道を呪う~桃観トンネルの大惨事』)あたりが詳しいです》。
更に続けたいところですが、写真画像枚数の関係でだいぶ長くなってしまいましたので、続きは次回以降の記事に譲ります・・・ゴメンナサイ。
<(_ _)> ありがとうございます。よろしくお願いします <(_ _)>
←ソーシャルブックマークです
←ランキング参加中。各1クリック願います!
【関連記事〔余部橋梁(余部鉄橋)関連〕】
「山陰本線余部鉄橋の裏側・・・保線区員命がけの活躍、国鉄終焉直前の「みやび」転落事故《「鉄道の日」1ヶ月前に寄せて》」
「山陰本線・余部橋梁「8月12日」架け替え完了&使用開始…4月1日より映像配信も開始《+円山川橋梁も架け替え》」
「余部橋梁、”余部鉄橋”から新橋梁に架け替え…7月17日から。余部の自然の猛威と闘った98年間、「みやび」転落も」
「余部橋梁開通までの山陰本線史(現在の餘部駅以東)・・・日本海新聞一掲載記事に触発されて《希望をもたらす存在》」
「余部橋梁新旧架け替え、佳境か…開通迄残り5日。隙間へのコンクリート打設も終了、あとは防風壁設置と軌道工事か」
「余部橋梁の2代目新橋梁、明日開通へ・・・山陰本線「鎧~餘部」間、着工から約3年4ヶ月。地元で新愛称付与の動き」
「余部橋梁の2代目新橋梁、早速ライトアップ・・・開通初日(8月12日)の夜、真夏の夜の”未来鉄路”。地元住民等の手で」
« 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【1】鳥取の巻=〔1〕出発、通勤風景を眺めつつ | トップページ | 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【1】鳥取の巻=〔3〕”鉄子の部屋”を経て鳥取そして倉吉へ »
この記事へのコメントは終了しました。
« 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【1】鳥取の巻=〔1〕出発、通勤風景を眺めつつ | トップページ | 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【1】鳥取の巻=〔3〕”鉄子の部屋”を経て鳥取そして倉吉へ »
コメント