今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【2】多治見の巻=〔5〕JR東海エリアへ《敦賀→米原→美濃太田》
一つ前の「青春18」シーズンにあたる今春分「青春18きっぷ」の”消化乗り鉄”の2日目として、今春分「青春18」通用(利用)期間最終日にあたる去る4月10日に実行した多治見行き日帰り旅程を綴るシリーズの、今回が5回目の記事となります。
前回・シリーズ第4回の記事では東舞鶴から小浜線を全線走破して敦賀まで行ったところまでをを綴りました。
オバマ大統領就任時期から約3ヶ月遅れでの小浜市訪問(とは言っても小浜駅周辺を歩いただけでしたが…)となったわけですが、時既に遅しとでも言いますか、若干の飾り付けの類は残っていたものの、いつもの姿にすっかり戻っていたかのような印象でした。
敦賀駅の駅舎内待合室に軒を構えるうどん・そばスタンドでそば(月見そば)の昼食をすませた私は、一度駅舎から出て周辺を散策しました。
尤も”散策”と書くほどには歩かなかったわけですが(ぉぃ)・・・そんな中で、ちょうど駅舎正面入り口にかのアニメ『銀河鉄道999』のキャラクターが入った飾り付けがされているのが見えました。
ただ、飾り付け自体は”ようこそ敦賀へ”とあるだけで、何故このような飾り付けが行われたか、そのときには見当がつかなかったわけですが、後になって調べていくうちに、駅前通りに『銀河鉄道999』にまつわる銅像があるのだそうで、当時はその存在に全く気づかなかった私でしたが、どうやら何かのイヴェントにちなんで飾り付けられたものでは無さそうですね。
ちなみに、『銀河鉄道999』にまつわる銅像は敦賀が鉄道の街として昔から知られているところから造られたのだそうですが、同時に敦賀は港町としても栄えてきているところから『宇宙戦艦ヤマト』にまつわる銅像も建てられているのだそうで、次に訪れるようなことがあれば、これら並んで建つ松本零士アニメの2大作品の両銅像を是非拝んでみようと思うところです。
次に乗る北陸本線上り列車、敦賀13:19始発の長浜行き普通列車の発車が迫っていたので、駅舎内に戻り、改札前ホールをパチリとカメラに収めてから改札をくぐった私・・・
この改札前ホールの天井にある照明、どことなくレトロな雰囲気を醸し出してくれているような印象でした。
長浜行き普通列車が発車するのは駅舎から最も遠く離れた7番ホーム。
停まっていたのは、加古川線や小浜線でお世話になったのと同じ125系電車2両編成でした。
そして隣のホームには、北陸トンネル敦賀側坑口付近にある交直セクションを越えて福井方面に向かう521系電車2両編成が停まっていました。
それにしても、この”消化乗り鉄”2日目に於いて、この長浜行き普通列車で3度目の125系電車との出会いということになるわけですが、幹線でお世話になるのは初めてのこと。
しかも、この長浜行きで私が乗り込んだ先頭車両は「クモハ125-1」、つまり栄えある125系電車トップナンバー車なのでした。
その先頭車両の進行方向左手の運転席窓すぐ後ろにあった補助いすに腰掛けて発車を見守った私・・・ドアが閉まり、長浜方面に向けて動き出しましたが、走り出してみると、223系に匹敵する加速そして走りっぷりを見せてくれて、それまで小浜線などのローカル線区でしか乗った記憶が無く、ある意味”性能の劣る電車”との認識を抱いていた私にとっては驚きの連続でした。
特に次の新疋田から湖西線が分岐する近江塩津、そして余呉にかけては、線形が比較的良好な上にトンネルが連続するということもあって、迫力満点の走りっぷりでした。
と、ちょっと大袈裟な書き方となってしまいましたが〔へへへ…〕、それでも小浜線で走っているときとはひと味もふた味も違う走りっぷりになっていたことだけは確かでしたよ。
近江塩津で湖西線と別れ、余呉からは田園地帯に入り、40分少し走り抜けたところで、かつての交直セクション駅だった終着駅・長浜に到着。
到着ホームの前方には、乗り継ぎ先列車である姫路行き新快速(長浜14:07始発)が待ち受けていました。
そして反対側のホームには下り方面に向かう金沢行き特急「しらさぎ55号」の姿・・・
長浜を発車すると、進行方向右手に旧長浜駅舎を見ながら、更に南下を続け、1991年まで交流電化区間の起点だった田村、そして同年まで直流電化区間の終点だった坂田と停まっていって、東海道本線との合流地点で東海道新幹線のりかえ駅でもある米原に到着。
ここで東海道本線上り列車に乗り換え、一旦JR西日本管轄エリアを脱します。
次に乗るのは米原14:30始発の大垣行き普通列車で、新幹線のりばに一番近い8番ホームからの発車でした。
その8番ホームに入ってきたのは、117系東海色車両。
この117系車両、ご存じの方も多いと思いますが、旧国鉄末期に近い1980年1月にデビューした2ドアの転換クロス車で、「青春18きっぷ」ユーザにとっての”乗り得”車両と目されているものの一つ・・・この日は最後尾車両に乗り、座ることが出来ました《それほど混み合っていなかったような…》。
ただ、ここで座ってしまうと、終着駅・大垣に於ける乗り換えで不利になってしまうというのがあるかな・・・というのも、終着駅・大垣に於ける入線ホームと乗り継ぎ先列車の出発ホームが離れていたりすることが多いので、米原発大垣行きの列車で座ってしまうと、大垣駅構内に於ける乗り換え時のいわゆる「大垣ダッシュ」(危ないけど…)で一歩出遅れてしまいかねないというリスクは存在します。
尤も今回の”消化乗り鉄”2日目では大垣で乗り継ぐ列車は3つ行った岐阜で降りるつもりにしていたので、たとえ立ちん坊となったところで乗車時間が短いので大したことは無かったのですが・・・
それはさておき、米原を出た列車は先ほど乗ってきた北陸本線の線路を跨ぐべく上り勾配にさしかかり、東海道新幹線高架と別れるとやがて下り線路が見えてきて複線として並び、少し走ったところでJR西日本とJR東海の会社境界を越え、いよいよJR東海管轄エリアへと入っていきました。
そして、伊吹山地の山々を望みながら、醒ヶ井、近江長岡と各駅に停まっていき、やがて滋賀・岐阜県境を越え、30分あまり走り抜いた末、樽見鉄道線の乗換駅で養老鉄道(旧近鉄養老線)の駅をも擁している終着駅・大垣に到着。
ちょっと記憶が頼りなくなってしまっているのですが、大垣到着は駅舎側ホームである1番ホームに入り、乗り継ぎ先列車である大垣15:10始発の豊橋行き新快速は2つ隣の島式ホーム(というか駅舎から一番離れた島式ホーム)の5番ホームからの発車で、階段伝って降り立ってみると、同じホームの反対側に樽見鉄道のディーゼルカー1両が停まっていて、樽見鉄道の駅員が呼び込みしていたかな・・・そんなあたりで覚えているのですが、このあたり、今となっては記憶に自信が持てないです(汗)
なお、豊橋行き新快速に振り向けられていたのは、JR東海に於ける普通列車向け車両の新標準ともいうべき313系車両の最新ヴァージョン《車番失念…》。
行先表示がフルカラーLED表示になっています。
大垣を発車、樽見鉄道線のレールが進行方向左手でしばらく並行した後、揖斐川を渡る少し手前で分かれていき〔分かれてすぐのところに東大垣駅が見える〕、揖斐川を渡った後、穂積、西岐阜と停まっていき、10分少しで岐阜に到着。
ここで高山本線に入る、岐阜15:43始発の美濃太田経由多治見行き普通列車に乗り継ぐべく、階段を伝って隣の島式ホームへ・・・3つある岐阜駅の島式ホームの真ん中に位置する3・4番島式ホームへの移動でした《少々時間があったので、岐阜駅改札内コンコースでちょっとうろついたかな…》。
美濃太田行き普通列車は4番のりばからの発車で、キハ11形気動車2両編成でした。
キハ11形・・・JR東海に於ける気動車のスタンダード的存在です《今更言うほどのことでもないけど…》。
岐阜を出ると、高架の続く東海道本線のレールとはいち早く地上に降りることで分かれ、右にカーブする東海道本線高架をくぐり、田園主体の風景の中を東に向けて走り抜けます。
途中、太多線と別れる美濃太田までの区間は、正直、殆ど印象に残っておらず、ただ時間帯の関係からか、下校途中の生徒らの姿が目立っていたことしか覚えていない・・・あぁ、勿体ない。
35分ほど走り、高山本線と太多線が分かれる美濃太田に到着。
隣に見える長良川鉄道線ホームには葡萄色(というか赤ワイン色!?)をした長良川鉄道の単行ディーゼルカーが停まっているのが見えました。
この美濃太田では20分近く停まることになるわけですが、ここまで長くなってしまいましたので、続きは次回以降の記事にて。
<(_ _)> ありがとうございます。よろしくお願いします <(_ _)>
←ソーシャルブックマークです
←ランキング参加中。各1クリック願います!
« 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【2】多治見の巻=〔4〕小浜線を行く、”オバマ祝祭”の痕跡を見る | トップページ | イギリス高速新線「CTRL」向け新型車両「クラス395」計174両、陸揚げ完結・・・日立製作所、新幹線アイディア採用 »
この記事へのコメントは終了しました。
« 今春分「青春18きっぷ」”消化乗り鉄”のこと・・・【2】多治見の巻=〔4〕小浜線を行く、”オバマ祝祭”の痕跡を見る | トップページ | イギリス高速新線「CTRL」向け新型車両「クラス395」計174両、陸揚げ完結・・・日立製作所、新幹線アイディア採用 »
コメント