新幹線誕生を振り返る(2)・「交流電化の採用、そしてモデル線での試運転」──世界への新幹線売込にちなんで
海外の、高速鉄道導入を検討している国々に対しての日本を初めとする高速鉄道技術保有国による売り込み合戦が本格化している最中、私たちが暮らす日本が誇る新幹線について、スピード面を中心に、終戦後から開業(誕生)に至るまでの歴史を改めて振り返ってみようということで進めているこのシリーズ・・・
1回目記事掲載のあと、その新幹線にまつわる最新ニュースが飛び込んできた関係で前回お休みとさせていただきましたので、今回の記事が2回目となります。
それにしても、JR西日本ご自慢の、カワセミのくちばしからヒントを得て開発した500系車輌がデビューから12年目で落日を迎えることになるなんて、何ともかわいそうな限りですね。
デビューして間もないEH10形電気機関車(EH10-15)と10系「軽量客車」の組み合わせによる高速度試験が行われた1955年、東北の仙山線に於いては交流電化の試験が行われ、この時の結果を受けて、小田急3000形SE車を使った国鉄線内での高速度試験が行われた1957年、北陸本線・田村~敦賀間で日本初の交流電化による営業運転がスタートしました。
この交流電化では、大電力を長距離にわたって送電出来るなどの特性から、線路沿いに設置すべき変電所の数が少なくて済むなどのメリットがあるといわれ、運転時に大量の電量を消費する新幹線など超高速運転を行う鉄道の電化にはにはうってつけの方式でした。
前記の北陸本線に於ける電化から始まった在来線に於ける交流電化では当時の直流変電所への標準的な供給電圧であり、日本の特別高圧送電網末端の電圧規格に基いた「電圧20kV」が採用される一方、大量の電力を消費する新幹線では、送電損失の低減を図るため、先の在来線交流電化電圧より一回り大きい、イギリスやフランスなど欧州諸国の多くで採用されて”国際標準”となっていた「電圧25kV」による電化を決めたのでした。
北陸本線の最初の交流電化の前年(1956年、昭和31年)には東海道本線全線電化を達成していたわけですが、既に東海道本線に於ける輸送能力は限界に達していたことから、北陸本線最初の電化の年・1957年(昭和32年)に当時の国鉄内部に設けられた「幹線調査会」が現在線以外の線路増設が必要との結論を答申、その方法として現在線を複々線にする方法などの3つが示されましたが、当時の国鉄総裁(第4代総裁)・十河信二ら国鉄幹部は、将来性を見越して、困難は多いが戦前の弾丸列車計画でも採用されていた「別ルートでの広軌新線の建設」を選択、技師長として国鉄に引き入れた島秀雄と共に行動に移します。
この当時、欧米諸国では鉄道は時代遅れと見なされていて、日本でもこれを範としようとする向きがあったことから、国鉄内部でも十河らの選択を疑問視する見方が存在していた他、鉄道ファンでもあった作家の阿川弘之でさえも新幹線を「世界三大馬鹿(世界の3バカ)」の一つとして痛烈に批判するくらいでした。
そんな中にあっても十河と島のコンビは孤軍奮闘し、その甲斐あって1958年(昭和33年)に新幹線建設計画の承認を取り付け、翌年(1959年、昭和34年)3月にはついに予算が付きました。
これを受けて4月に新丹那トンネルの熱海側坑口前工事現場に於いて起工式を挙行、7月末の「こだま」形特急電車151系を使った高速度試験に於ける世界新記録の達成などを経て、1961年(昭和36年)に世界銀行から8,000万ドルの融資を受けることになったわけですが〔同年5月に正式調印〕、これにより新幹線建設は日本の国家プロジェクトとして世界中に知られるところとなりました。
その、世界銀行からの融資が正式に下りた年・1961年の1月に製作された以下のニュース映画をここでご覧に入れますが、このニュース映画では「夢の超特急」新幹線の建設を初めとする”国鉄近代化”のために運賃の大幅値上げを明言している当時の運輸大臣・木暮武太夫へのインタビューを中心に伝えています。
輸送の円滑化のための値上げだから理解してもらえるはず・・・との趣旨の発言をした木暮運輸大臣。
今だったら”問題発言”として即批判の嵐が巻き起こりそうなものなのですが、このあたり、隔世の感を禁じ得ないところです。
なお、この当時の木暮運輸大臣発言の通り、この年の4月6日に運賃値上げ(値上げ率「旅客14.6%・貨物15%」)が実施されたわけですが、加えて10月1日には「サン・ロク・トオ」と称される白紙大改正〔昭和36年(1961年)10月1日国鉄ダイヤ改正〕が実施され、四国を除く全国各地へと運行範囲を一気に広めた特急列車を中心に優等列車の類の本数が大幅に増やされる一方で普通列車については本数削減や運転区間短縮が目立つものとなっていて、明らかに優等列車の類に乗客を誘導することで増収を図るという国鉄の本音がモロに反映された内容となっています。
春の運賃値上げに加えて秋の”「優等列車大増発&普通列車削減」の白紙ダイヤ改正”というダブルパンチ・・・一般庶民にとってはたまったものではなかったでしょう。
本題に戻りまして、世界銀行からの融資が実行された翌年つまり1962年(昭和37年)、試験走行のためのモデル線が神奈川県の綾瀬付近から鴨宮付近までの約30kmの区間で建設され、6月にまず鴨宮~生沢間約10km(「鴨宮~大磯間約12km」となっている資料あり)が完成したところで試験走行を開始〔「鴨宮~弁天山(トンネル)間2.5kmのコースで試運転開始」としている資料あり〕、次いで10月に綾瀬付近までの全区間が完成すると200km/hを目指しての速度試験が行われるようになりました。
ここで「夢の超特急」新幹線の試作車両が1000形電車として、2両編成の「A編成(1001-1002)」と4両編成の「B編成(1003-1004-1005-1006)」の2本が製作され、編成同士のすれ違い試験や2編成の併結試験などの各種試験に挑みました。
試験を繰り返してきた結果、綾瀬までのモデル線全区間が完成してから間もない10月31日早朝(午前8時前)に200km/h、そして翌年(1963年、昭和38年)の3月30日の午前中(午前10時前)に「B編成」にて256km/hを記録するなど、好成果を上げたのでした。
同じ頃、新幹線建設工事も順調に進捗していた模様で、鴨宮のモデル線計画区間完成前月にあたる1962年9月20日、起工式が挙行された新丹那トンネルが、12人の犠牲者を出しながらも、貫通しました。
なお、この新丹那トンネル(熱海側坑口前)が起工式の場に選ばれだのは、このトンネルが東海道新幹線建設工事全体の工期を決定づける最重要工区として位置づけられたことによるものだとか。
このあと、開業の年・1964年(昭和39年)の2月には西から延びてきた新幹線のレールが鴨宮のモデル線と第1熱海トンネル(熱海駅の小田原方にすぐ控えているトンネル)内に於いて接続、これにより綾瀬から三島までの約77kmが一つのレールでつながると共に、当初の計画通り、モデル線はそのまま東海道新幹線の営業区間の一部として組み入れられることになったのであります。
ところで、鴨宮のモデル線では、新幹線計画を多くの人に理解してもらうべく、内外の要人や報道関係者はもちろんのこと、試乗切符を手にした一般の人たちにも「夢の超特急」に体験試乗してもらう取り組みを行っていた模様で、その数は延べ10万人とも15万人ともいわれていますが、この取り組みがのちに新幹線計画への理解を得る上で有利に働いたのだとか。
このモデル線に於ける新幹線体験試乗の取り組みについては、ここからは余談っぽくなりますが、最近では2007年(平成19年)4月まで行われていたJR東海の山梨リニア実験線に於ける一般向け試乗会が記憶に新しいところなのですが、ただリニア(中央リニアエクスプレス、中央新幹線)の場合は具体的なルートがまだ決まっていない上〔一応JR東海で固めているみたいですが、沿線自治体が黙っていない様子なので…〕、鉄軌道上を走る新幹線には無い懸念材料も存在したりして、現状では「夢の超特急」の頃のようなポテンシャルを感じ取れないのが正直な印象。
まぁ輸送量が飽和状態に近い現在の東海道新幹線を何とかしなければならないことは理解できるのですが、私としては何も費用のかかるリニアで建設する必然性を感じず、東海道新幹線と同じ鉄軌道方式にて中央本線に沿ったルートをほぼ一直線に敷けばコスト面などで有利なのではないか、と常々思っているところです《東海道新幹線開業の頃と比べて技術は格段に進化しているはずですので、良好な線形で敷設できると思います〔尤も周辺自治体(特に都道府県単位)のエゴがなければの話ですが…〕》。
ここで本題に戻りたいところですが、この続きは次回以降に・・・
【おことわり】
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◎ 参照記事
『昭和36年前半 鉄道ニュース』
『昭和36年前半 鉄道ニュース』
『Sakunami -- 交流電化発祥の地』
『交流電化発祥地』
『新幹線0系研究 90-1:1000形(1001~1006)』
『紙面で振り返る0系』
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