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新幹線誕生を振り返る(3終)・「2人の国鉄総裁の人となり、そして開業」──世界への新幹線売込にちなんで

【←2回目記事へ】

 高速鉄道導入の計画のある世界各国に対する、日本を初めとする高速鉄道技術保有国による売り込み合戦が熱を帯びる中、今一度私たちの住んでいる日本が生んだ新幹線が誕生したときのことを振り返ってみようと思い立ったところから書き始めたこのシリーズも今回で最終回となります。

 

 欧米諸国が鉄道を”斜陽産業”と見なしていた中で、第4代国鉄総裁の十河信二と彼に引き入れられる格好で技師長として国鉄に復帰した島秀雄は孤軍奮闘し、その甲斐あって新幹線建設計画は予算が付けられ、更に世界銀行からの融資を取り付けることに成功、国家プロジェクトとして海外にも知れ渡ることとなりました。

 

 そして鴨宮にモデル線が造られ、試作車両1000形電車を使った試験運転が始まったわけですが・・・実はこのあと、一つの”節目”を迎えることになるのです《”節目”というにはちょっと弱いのかも知れませんが》。

 

 

 1962年(昭和37年)6月から鴨宮を実験基地(車庫を兼ねる)として造られたモデル線で重ねられてきた「夢の超特急」新幹線の、試作車両1000形電車を使った速度試験は、モデル線当初計画区間(鴨宮~綾瀬)完成後の同年10月31日に200km/h、年改まった1963年(昭和38年)3月19日には243km/h、そして速度向上試験最終日である同月30日には256km/hをマークするなど、記録を次々と塗り替えていきました。

 

 256km/hといえば、現在「のぞみ」が多数行き交う東海道新幹線区間に於ける設定営業最高速度270km/hに迫るものであり、試運転中のこととはいえ、昨年12月を以て完全引退となった”元祖新幹線”0系車両のいわば前身にあたる1000形車両により成し遂げたわけですから、当時に於いても日本の新幹線技術は世界に誇れるレヴェルに達していたということができるのかも知れません。

 

 そんな、順調に結果を出し続けてきた新幹線の試験運転だったわけですが、一方でここまでの間に投じられた費用も莫大なものとなっていて、当初見積もられた新幹線に係る建設予算を超過していることが明るみに出ると国会(というか国鉄の監査委員会?)で糾弾されるようになり、その責任を取る形で第4代国鉄総裁・十河信二は総裁を辞任することになります《実際には総裁2期目の任期が満了を迎えるも再任されなかったというのが本当のところらしいが…》。

 

 

 十河信二は、「EH10形電気機関車10系軽量客車」による高速度試験が行われた年・1955年(昭和30年)に発生した国鉄戦後五大事故の一つ「紫雲丸事故」の責めを負って辞職した前代(第3代)の国鉄総裁・長崎惣之助の後を継いで第4代国鉄総裁に就任しました。

 

 この第4代総裁への就任に際しては当時十河の親友だった政治家・三木武吉からの激励があったともいわれ、総裁就任の際に開かれた記者会見の席上・・・

 

 最後のご奉公と思い、線路を枕に討ち死にする覚悟で総裁を引き受けた

 

と、その決意を語っていたのだとか。

 

 しかし、総裁に就任した翌年の1956年(昭和31年)10月15日、当時参宮線の駅だった六軒駅構内で「六軒事故」が発生〔現在六軒駅は紀勢本線の駅として機能〕・・・

 

↓ ↓ ↓

参宮線事故その後
〔掲載元記事→『参宮線事故その後』〕

 

 犠牲者の中に修学旅行中の生徒が少なからず含まれていたところから大問題となり、総裁2年目を迎えていた十河は犠牲者宅などをまわっては涙ながらにただ謝罪するばかり。

 そして、国会に出向いては国鉄の抱える窮状などを訴える十河の姿も取り上げられていました。

 

 更に総裁2期目の任期中にあたる1962年(昭和37年)5月3日には、常磐線三河島駅構内に於いて、国鉄戦後五大事故の一つに数えられる「三河島事故」が発生。

 

 

 この列車事故の当事者である機関士ら国鉄職員の不手際(発煙筒を炊くなりして対向列車を止めることをしなかったこと等)が招いたこの列車多重衝突事故に当時のマスコミは国鉄の現状を問題視。

 ここでも事故の犠牲となった乗客たちの棺を前に手を合わせたり涙ぐむ十河の姿が映し出されていました。

 

 この「三河島事故」の発生は、第4代国鉄総裁・十河の進退問題を一気に噴出させる結果となりました。

 勿論これらの重大事故は、何も十河が国鉄総裁だった時に始まったことでは決して無く、終戦後の1949年(昭和24年)6月1日に当時の運輸省から分離して公共企業体・日本国有鉄道が発足してから度々発生してきた鉄道事故の中の一つに過ぎないわけですが〔事故の規模などは別にして。私としては一つ一つの事故を軽々しく扱うつもりは毛頭ありませんよ〕、国鉄総裁即ち国鉄という組織のトップとしての責任を果たすべく、十河は奔走していたわけです《このことは、当然のことながら、十河の後を継いで第5代国鉄総裁に就任した石田礼助(禮助)についても同じことがいえますが…》。

 

 

 「三河島事故」で国鉄総裁としての進退問題を突きつけられた十河は、当時国鉄監査委員会委員長を務めていた石田礼助からの叱咤激励もあって、とりあえず事故対応のため総裁の職に留まることになり、記者会見の席上「事故防止に努めることこそ亡くなられた方々に対する償いと考えている。国鉄の(体質)改善に粉骨砕身であたりたい」と決意を新たにしていた様子。

 

 ところが、2期目の任期が切れかかった頃、前記の新幹線建設に係る予算超過が明るみに出て、その責任を追及されたところから結果的に再任されるには至らず国鉄を去ることとなり〔後を追う形で技師長だった島も国鉄を退職〕、監査委員長だった石田が十河の後を継いで第5代国鉄総裁に就任することに。

 

 

 事故続きですっかり信用を失ってしまっていた国鉄、当時のこのニュース映画のナレーションは「総裁のいすはさっぱり(不人気)。そこに”わしがやらんでだれがやるんだ”と総裁への就任を買って出た」と伝えていますが、それだけ石田にとっては並々ならぬ決意を秘めての総裁就任となったことでしょう。

 

 しかし、石田が第5代国鉄総裁に就任してからわずか約半年後の1963年(昭和38年)11月9日、神奈川県内に於いてまたしても列車事故発生。

 

 

 前記の「三河島事故」と同じく国鉄戦後五大事故の一つに数えられる「鶴見事故」・・・前任の十河の時に発生した「三河島事故」で叱咤激励した石田が、今度は皮肉にもこの「鶴見事故」で同じ立場に立たされる羽目に。

 

 このニュース映画のナレーションは「三河島の大惨事もまだ忘れやらぬ時、またしても起こした国鉄の救いようのない大きな事故」と痛烈に批判しており、更に締めくくりのところでは「”こんな事故は二度と起こさない”という言葉を何度聞かされてきたことでしょうか」と国鉄に対する失望感を露わにしていました。

 

 やはり国鉄総裁は”茨の道を歩む”ようなものだったのだろうか・・・

 

 尤もこの「鶴見事故」が発生した背景としてこのニュース映画では2年前(1961年、昭和36年)の10月1日に施行された国鉄白紙ダイヤ改正(いわゆる「サンロクトオ」→『「前方注意」の新ダイヤ』)以降みられた過密ダイヤを挙げていて、石田の国鉄総裁就任以前からこの重大事故につながる遠因が存在していたことを示しているともいえます。

 

 とはいえ、十河の後を継いだ国鉄総裁として遺体を前にして涙ぐむなどお詫びに奔走したであろう石田でしたが、一方で世界銀行からの融資が下りて名実とも後戻りの許されない日本の国家プロジェクトとなっていた「夢の超特急」新幹線の建設は、何事もなかったかのように、ただ邁進していたことでしょう《尤も世論からの逆風は新幹線建設現場などにも幾らか襲いかかっていたのかも知れませんが…》。

 

 

 また話が脱線してしまいましたが〔アカンですね、だから事故が起こる(ぉぃ)〕、石田第5代国鉄総裁の下で「夢の超特急」東海道新幹線開業への準備は着々と進められていきます。

 

 石田の総裁就任の約3ヶ月後の8月には新幹線車両の車内デザインが決定、ここで1等車(現・グリーン車)はゴールド調、2等車(現・普通車)はシルバー調にまとめられることなどが発表されます。

 

 年が改まって1964年(昭和39年)2月には、モデル線に於ける1000形電車の走行試験からの蓄積データを基に製作された0系量産先行車6両が完成、翌月(3月)の20日から鴨宮モデル線に於いて200km/hの試運転を開始しました。

 

 更に翌月(4月)には0系量産車の本格的製造が開始となっていて、4月13日から鳥飼基地への、そして6月2日から東京運転所への、それぞれ量産車の搬入を開始、これを受けて量産車を使った試運転が「鳥飼基地~米原」間と「熱海~三島」間で始まりました《このうち「鳥飼基地~米原」間約100kmの試運転では量産車6両編成1本を使って4月28日より開始しましたが、その関西圏区間に於ける試運転の様子を捉えた写真が『東海道新幹線開業 (昭和39年10月1日)』に掲載されているのが見えます》。

 6月17日には大阪運転所~米原間に於いて200km/hの試運転を、更に6月30日には新大阪~米原間に於いて210km/hの試運転を、何れも成功させました。

 

 量産車が次々と製作される一方、1962年6月の鴨宮モデル線に於ける走行試験開始以来、数々のデータを提供してきた試作車両1000形新幹線車両(2両編成の「A編成」と4両編成の「B編成」)が6月から順次浜松工場に於いて車両改造を受けていきました。

 

 この改造により・・・

 

「A編成」(2両編成)
 →救援車(「941-2」-「941-1」)
  《大阪運転所に配置》

「B編成」(4両編成)
 →電気試験車
  (「922-4」-「922-3」-「922-2」-「922-1」)
  《”第T1編成”と称された;東京運転所に配置》

 

とされ、1974年(昭和49年)10月に922形10番台がデビューするまで東海道新幹線に於ける電気系統の試験などで活躍しました《尤も軌道系統の試験は夜間に別の車両を使って行われていたみたいですが…》。

 

 

 7月1日には川崎市市ノ坪付近に於いて最後のレール締結が行われ、これで東海道新幹線全線のレールが全てつながりました。

 

 列車名称も「ひかり」(主要駅のみ停車;当初の種別”超特急”)と「こだま」(各駅停車;当初の種別”特急”)の2つに決まり、7月25日からはいよいよ東海道新幹線全線を通しての試運転を開始、最初はスピードを落としての試運転で約10時間かけて行っていたものが、8月24日には「こだま」ダイヤの通りに、そして翌日(8月25日)には「ひかり」ダイヤの通りに、それぞれ試運転を行うようになり、特に「ひかり」ダイヤに則った試運転ではNHKがその模様をテレビ中継で伝えていました《尤もテレビには映らなかったであろう「こだま」ダイヤに則った試運転についても国鉄総裁の石田と前総裁で「新幹線の父」十河の2人が試乗していたとの話が伝わってきていますが…》。

 

 そんな中、完成したばかりの0系の一般公開が7月29日(「7月30日~8月1日」としている資料あり)に行われ、「夢の超特急」を一目見ようと多くの人々が詰めかけました。

 


五輪の新動脈
〔元記事→『五輪の新動脈』〕
《「05:28:10」あたりからは首都高速開通式の模様》

 

 映像のナレーションは「これで特急料金がお安ければまさに”夢の超特急”です」としゃべっていましたが・・・実際のところ料金面はどうだったかは、ここでは割愛させていただきます《スミマセン…》。

 

 8月15日には列車集中制御装置(CTC)などが入った新幹線総合指令所が完成し、9月4日には0系量産車の1次車・2次車計360両の搬入が完了、「夢の超特急」新幹線の運転開始に向けたお膳立てがこれで全て整ったことになります。

 

 

 そして10月1日、ついに”その時”がやってきました《テレビの見過ぎってか…》。

 


東京-大阪4時間で
〔元記事→『東京ー大阪4時間で』〕
《時刻表示無し版はこちら→『東海道新幹線デビュー!! 1964』》

 

 のちに「新幹線の父」と呼ばれるようになった第4代国鉄総裁・十河信二の後を引き継いで国鉄総裁に就任していた石田が開通式(というか出発式)のテープを切り、「夢の超特急」新幹線の歴史的幕開けを果たしました。

 

 この時、十河はこの開通式に呼ばれなかったそうなのですが、このあとに開かれたであろう国鉄本社に於ける開業記念式典には招かれたのだそうです。

 

 この開業のあとしばらくの間は初期故障や経験値不足に起因したトラブルなどが頻発していた模様でしたが、現場の努力の積み重ねにより徐々に安定し、開業から約1年後の1965年(昭和40年)11月1日から「『ひかり』3時間10分、『こだま』4時間」運転に移行し、そして大阪万博が開催された1970年(昭和45年)には「ひかり」全列車16両編成化が完了(2月25日)すると共に、万博会期中に於ける活躍ぶりは国の内外に知られるところとなり、「動くパビリオン(展示館)」と呼ばれるまでになっていました。

 

 ところが開業から10年経過した1973年頃から1980年代にかけても自然災害や施設摩耗、人為的ミスなどに起因するトラブルが頻発〔労使闘争の激化も影響したといわれます〕、大がかりな設備更新などのため半日運休せざるを得なくなったり、当時台頭しつつあった航空機に客を奪われるなど苦しい展開が続きましたが、そうした中にあっても努力を積み重ねていくうちに、新幹線技術は、国鉄の分割民営化(7つのJRの発足)を経て、世界的に認められるシステムへと成長していったということが出来るでしょう。

 

 

 スピード面を中心に歴史を振り返るつもりでいたところが、人物的なことも入れてしまったりして、結果ごちゃごちゃしてしまったような感がありますが、様々な困難を乗り越えながら史上初の「夢の超特急」新幹線を生み出し、その後訪れる様々なトラブルを経て世界も認める高速鉄道技術の一つとして成長していったことに、日本の鉄道好きの一人として、誇りに思う今日この頃です。

 

【完】

 

 

【おことわり】
 動画共有サイト(『Google Video』、『YouTube』等)に投稿・公開されている動画については、今後、投稿者或いは運営サイドの判断等により削除される可能性がありますことを予めご承知おき下さい。

 

 

P.S.
 この記事シリーズの第1回記事のところで、新幹線建設のため世界銀行から8000万ドルの融資を受けたことをお話ししましたが、日本の新幹線を導入することを表明しているベトナムで2020年を目処に国営ベトナム鉄道(ベトナム国鉄)を民営化させる意向であることを明らかにしました《→『国営ベトナム鉄道、20年に分割・民営化 新幹線計画の資金確保へ』》。
 そのねらいとして「株式売却で大型事業向け資金の一部を確保する」ことにあると報じていて、民営化案の中には「中核の鉄道事業を地域ごとに分割する」ものも含まれているのだとか。

 尤もこのベトナムに於ける新幹線導入に際しての資金調達に関しては、他に世界銀行からの借り入れや日本からの政府開発援助(ODA)なども検討されているとのことですが〔→『ベトナム、高速鉄道網に日本の新幹線方式を採用へ 報道』・『ベトナム縦断で新幹線 国営鉄道会長、2020年部分開業目指す』〕、日本では前身の国鉄が破綻状態にあったところから実行に移された分割民営化が、ベトナムでは新幹線を初めとする大型事業に係る資金の調達の一手段として分割民営化が検討されていると伝えられているあたり、目の付け所が違うな、と感心したり頭の中がパニクったりする私自身なのでした。

 

 

◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
0系と新幹線の歴史〔前史~新幹線開業まで〕
さよなら0系新幹線
新幹線試作車A・B編成
新幹線0系 38次3216両の軌跡
Chapter-56 ドクターイエローのテクノロジー
どん底時代の新幹線(全3ページ構成・第1頁)
東海道新幹線が開通する前
【新幹線物語】(2)動き出した夢 新幹線の父・十河信二ストーリー

 

 

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【関連記事(新幹線誕生を振り返る)】
〔1〕「終戦後~”こだま形特急電車”高速度試験」
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