【「第27回1万人の第九」レッスン記;6終】有元クラス名物”お温習い会(発表会)”開催、そして「オー・ソレ・ミオ」…
9月10日に始まった、今冬の「第27回サントリー1万人の第九(10000人の第9)」公演本番に向けてのレッスン──ちなみに私自身は今年「大阪5」クラスの所属でした──も、一昨日(11月26日)行われた授業を以て所定回数(全6回)分を全て終えました。
最初のうちは椅子が並べられている領域に立ち入ることを躊躇っていたのですが、次第に中へと入るようになり、一昨日の授業では前から7列目くらいの席に座ることが出来ました。
それにしても、長くも感じたし短くも感じた全6回のレッスンだったように感じています。
去る11月12日の5回目授業を受けに行く際に初めて行った天王寺乗り継ぎというものを昨日の最終回授業に於いても実行してみました。
天王寺駅に於ける大阪環状線のりばは4面3線構造となっていて、5回目授業を受けに行く際に真ん中の線に停まっていた、内回り線先発の白色の電車(221系)がホームに降り立ったのとほぼ時を同じくしてドアが閉まって発車していくのを目の当たりにした私は、一昨日も乗車位置(というか乗り継ぎの際に利用する階段)を変えて再度挑戦してみましたが、やはりホームに降り立った頃にはドアが閉まって動き出すところでした《尤も一昨日の場合はJR線上の自宅最寄り駅から乗った電車が天王寺到着直前で少しノロノロ運転気味となっていましたが…》。
それで、5回目授業に受けに行った際にはそのまま同じホームの反対側に停まっていた次の内回り線電車に乗って大阪へと向かったものの、大阪駅に到着した際、外回り線ホームから「天王寺」と行先表示のなされた電車が発車していくのを見て、あぁやはり内回り線では遅いのか、と思った私は、最終回授業に向かった一昨日には再び階段を伝って同時刻に発車する外回り線電車(弁天町・西九条から大阪方面行き)に乗り込み、新今宮に於ける後続の関空特急「はるか」通過待ちを経て、大阪へと向かいました。
ところが、大阪に着いてみると、同一ホームの反対側にある内回り線ホームに天王寺駅・内回り線ホームで見かけたのと同じとみられる車両が既に停まっているのが見えたところから、5回目の際に天王寺から内回り線電車を利用した際に大阪駅で発車していく外回り線電車が「天王寺」と行き先表示していたのを思い出した私は、もしかしたら”ツボ”なのはこの外回り電車だったのか、と若干疑心暗鬼気味に。
ホーム上に備えられた時計の針を見ると、5回目の際に内回り線電車で大阪に到着した時の時間より若干遅い感じがしてきたところから、駅数は少ないけれど距離の長さに加えて「はるか」通過待ちも抱える外回り電車のほうが時間かかってしまっている、と思うようになりました。
とはいえ、今更そう思って悔やんだところでどうしようもないし───電車停止後、他の大勢の乗客と共に吐き出されるが如くに大阪駅環状線ホームへとはき出された私はとにかく早足で改札口を目指し、そして改札をくぐるといつものように阪急梅田駅を挟んで反対側に位置するレッスン会場(梅田東学習センター体育館)へと早足で向かいました。
レッスン会場である体育館すぐ横の道路・・・今回でこの光景は当面見納め。
既に人がまばらとなってしまっている正門をくぐり、受付デスクに向かおうとした頃、場内では既に「肩たたき」が始まっているのが見えました。
そして出席捺印を受けて中に入ると体操が始まっていて、私も椅子の並べられている領域のすぐ後ろまで移動し、その体操から参加しました。
続いて有元流”顔の体操”───昨日は従前からのサントリーネタと経営統合先とされるキリンネタを、あたかも手慣れたかのような感じで、進められました。
その後、発声練習へ───最終回授業では2度・3度各音階に続いて分散和音5度3音、そして5度音階と続きました。
5度音階のみ「マメマメ…」と「隣のビヤガーデン」、それ以外は「マママ…」によりましたが・・・ここで、4回目授業くらいで響かせ方についてのアドバイスを受けたことを思い出しましたが、ちょっと忘れてしまっていたかも。
発声練習が終わって全員着席となったところで、私と同じく後から来て椅子領域のすぐ後ろで立っていた人たちは続々と空席を探し当てては座っていきました。
それを見て私も目を皿のようにして空席を探し、結局ソプラノとの境界線近くの前から7列目くらいの席に着席できました。
着席したところで、第1部合唱参加曲「世界に一つだけの花」の練習・・・
と、ここで私、初めてその「世界に一つだけの花」の黒表紙楽譜を家に忘れてきたことに気付きました(ォィ)
レッスンに遅れないよう身支度して自宅を出て電車に乗ることに気をとられてしまい、すっかりその楽譜のことを忘れていました。
こうなったら仕方ありません──すぐ前の人が開いていた譜面を気付かれないよう覗き込みながら練習参加していました《どうもスミマセン…》。
ちなみに、終わり近くに見える繰り返し指示箇所(”1番カッコ”と”2番カッコ”)周辺など一部を除き、ほぼサラリとお温習いする程度の練習でした。
第1部合唱参加曲「世界に一つだけの花」の練習が終わると、いよいよ本題の「第九」練習へと移ったわけですが、まずは自席に着いたままの状態(つまり通常形式)での「第九」全体お温習いから。
第5回授業の時に行った「第九」全体お温習いと同様、適当な箇所で区切っていき、その中でまずは楽譜を見ながらでもOKの状態で歌わせ、次に楽譜を閉じさせて(先生が「ハイ指をはさんで!」と指示)暗譜で歌わせる──このやり方でまず全体通しの稽古を行いました。
最終回の授業ということもあってか、所々で細かなダメ出しがあったものの、目立ってダメ出しされたところは無かったように記憶しています。
あ、いわゆる”松葉(クレッシェンド-デクレッシェンド)”記号が見える「Ihr stürzt nieder …」から始まる箇所の中の”stürzt”の発音のところで細かなダメ出しがあったのを思い出した・・・あぁ頭の回転の悪い私(自爆)
ここは子音が連続しているだけに、母音が何かということ、そしてきちんと最後まで発音することも言われましたよ。
それと一番最後のプレスティッシモ(Prestissimo)で速度指示された箇所のところで、佐渡裕がとるであろう速いテンポというものを体験させていたような・・・初めは楽譜見ながらでもいいから少しゆっくり目のテンポで歌わせて、次には暗譜にて佐渡がとると予想される速めのテンポで歌わせていました。
そして、この場面でだったかな、「佐渡おけさ」なんてシャレ言葉(?)が飛び出したりして場内がにわかに沸き立っていました《尤も佐渡氏本人にしたら気の悪い話だろうけれど…》。
ということで、少し時間オーバーしてしまったものの、ようやく休憩へ・・・
場内後方に設置された配布物デスクには公演当日の昼食用仕出し弁当の申し込み案内チラシが2山置かれているのが見え、本番が近づいていることをちょっぴり意識させられるところです。
連絡用ホワイトボードに張り出された、公演本番前日に於ける公開リハーサル用チケットの販売案内には「終了しました」との手書き文字が見えていました。
レッスン会場となった体育館の道挟んで反対側に見える旧校舎──これも梅田東学習センターの一施設のようですが、昔ながらのコンクリート造校舎から漏れ出る光は、この体育館で繰り広げられた、いくつものレッスンクラスに於ける授業の数々を見守ってくれてきているかのようでした。
後半開始直前になってトイレに駆け込んだ私でしたが、そこで有元先生と鉢合わせになり、居合わせた数人のクラス生と共にちょっとした談笑が実現し、片言ながら先生と話し合えたことは素直に嬉しかったです!
トイレから急ぎ戻ったところで授業後半の開始───泣いても笑っても、これが「大阪5」クラスに於ける最後の一時。
後半ではもう一度「第九」全体のお温習いがありましたが、ここでは、前回授業に於ける「”シャッフル”練習」と同じく有元クラス名物となっている、全体を前後半分に区切った上で半分ずつステージ側に回って歌わせ、残る半分は聴衆役に回って聴いてみるという、いわば”お温習い会(発表会)”形式での全体通し練習。
ここで少なくとも約半数のクラス生の顔ぶれを一度に目の当たりにすることになるわけですが、今回、ソプラノの区分け方で先発組に大半が回ってしまうというハプニングが───先生も少しあわてていた様子でした。
ちなみにテノール領域に於いては私の座っている列の一つ前の列まで先発組としてステージ側に回っていました───危ないところだった(苦笑)
舞台に向かって右手が男女低音域(A・B)で左手が男女高音域(S・T)、そして舞台上に男声陣が立ち、すぐ下に女声陣が立つという配置が出来上がったところで先生手持ちのコンパクトデジカメ(コンデジ)による「記念撮影」(先生自身は”証拠写真撮ります”と言っていたような…)。
そして先発組による「第九」全体お温習いの開始───ある時はソリストに、ある時は指揮者にと忙しく動き回る先生を目の前にして、先発組は日頃の練習の成果を出し切っていた様子でした。
ここでクラス生たちの歌声を聴きながら、口の動かし方、声の出し方・響かせ方、歌っているときの顔つき等を確認することが出来るわけで、例え響かせ方が少々足りないと感じたとしても、それを自らの問題に置き換えて考え解決することが、この”お温習い会”形式の通し練習のもう一つの目的だったりもします。
ちなみに私が聴いた感じでは、う~ん、女声陣の声の響かせ方がちょっとだけ平べったい感じになってしまっていたかな〔どうもスミマセン・・・でも皆さん、総体的にはきちんと歌えていましたよ!〕───この点を自らの問題に置き換え、本番に向けて改善できるように考え行動するということです。
と、偉そうな書き方となってしまいましたが・・・何処まで自分自身に反映させられるのか、疑る自分もそこにあったりします(恥)
先発組の、順調な仕上がりぶりを印象づけさせるような歌声に場内から拍手が巻き起こったところで、私たち後半組と交代となり、聴く側のポジションの都合による座席移動を行った上でのステージへの移動となりました。
前から2列目の真ん中の席に移動となった私は、荷物を置いたその足でステージへ。
私が立ったのは舞台上に設置された伴奏用ピアノの先端部分・・・
ピアノの弦(ミュージックワイヤー)がズラッと張られたその向こうには、伴奏者の顔がチラリと見えていました。
そして後半組の全体通し練習開始───時にピアノの縁に手をかけたりして声を張り上げたつもりですが〔どうだったんだろう…〕、最後のあたりで声の出が悪くなり、何度も転んでしまいました(恥)
有元先生、授業の中で「無理しすぎない」等といわれ続けていましたが、これは気をつけるべきところと感じました。
有元クラス名物”お温習い会”形式の「第九」全体通し練習が全て終わり、全員着席したところでMBS側担当者が壇上に上がってきて、閉講宣言もかねて、今後の諸注意の説明などが行われました。
次いで、全6回お世話になった有元先生とピアノ伴奏者に花束・・・
そしてエール(餞!?)代わりにと、「オー・ソレ・ミオ(私の太陽)」を身振りたっぷりに歌唱してくれました《昨年も最終回授業の締めくくりにこれをしてくれたことを未だに記憶している私・・・まぁ資料としてPC内に残しているからというのもあるかもしれないけどね》。
一抹の寂しさを感じる一時でもありました。
場内から拍手が沸き立つ中、20:45までにこの会場から撤収しなければならない、との先生のかけ声とともに、あわただしく最終回授業は幕となりました。
引き続き公演終了後の打ち上げの告知が場内に鳴り響く中、会場を後にした私───復路では久しぶりに手持ちの「ICOCA」を自動改札機にタッチするなりして家路についたのでありました。
私が愛用している「ICOCA」です(自爆)
次は丁度1週間後の12月3日──公演本番3日前──に行われる「佐渡裕特別レッスン(佐渡練)」。
今回は大阪府を離れて隣接する兵庫県内・尼崎市内にある尼崎市総合文化センター内「アルカイックホール」で開講されることになっているわけですが、ここは阪神尼崎駅が最寄り駅となっています。
阪神尼崎といえば、私の自宅から見た場合、西九条から出ている「阪神西大阪線」からつながっているわけですが、この「阪神西大阪線」、ご存じのように、今年の3月20日に西九条~大阪難波(旧・近鉄難波)間が延伸開業となり、同時に既存区間も含めて「阪神なんば線」と改称されています。
そのため、「西大阪線」と称していた頃からの”西九条乗換”に加え、難波(JR難波、大阪難波)を介したJRと阪神の乗り継ぎも可能となっています。
実は私自身、阪神なんば線開業当日の大阪難波発1番電車に乗り合わせていたものでしたが、この尼崎アルカイックホールに於ける「佐渡練」開講はそれ以来となる阪神なんば線への乗車機会が訪れているともいえるわけで、「佐渡練」当日、片道だけでも久しぶりに阪神なんば線に乗ろうかどうしようか、思案しているところです《素直に楽しみです…》。
本番まで残り1週間あまり、心身ともコンディションを保たせていこうと考えている私です。
P.S.
「大阪5」クラス最終回授業のことについては有元先生自身開設の『有元正人のホームページ』内に於いて写真入りで既に紹介されています《→『11月26日 大阪5クラス-6回目最終回』》。
そのWebページの終わり近くには専門的アドバイスも掲載されていますので、そちらのほうも是非ご覧ください。
このブログに於いて書いてきました「1万人の第九」レッスン・レポートについては私自身の記憶に基づいていますので、今回だけに限ったことではありませんが、記憶違いのところも少なからずあると思います。
何卒ご容赦をお願いすると共に、間違いについてご指摘いただければ幸いに存じます。
<(_ _)> ありがとうございます。応援よろしくお願いします <(_ _)>
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こんばんは、六回のレッスン皆勤お疲れ様でした。
隣のビヤガーデンも営業終了ですね。レッスンの雰囲気を詳細に記事にされているのには、脱帽です。
テナーで参加されているようですね、私はバスです。何年か前のレッスンで、テナーの受講者の出席が1名のことがありました。最近は欠席が多いと本番の参加を断られるらしいので、こんなこともありませんが。
本番の日にどこかで待ち合わせて、休憩時間にでも御会いしませんか?
メールお待ちしております。
投稿: ころぼっくる | 2009年11月28日 (土) 23時35分
ころぼっくるさん、おはようございます。
やたら長いだけの駄文をご高覧いただき、私としてはただ感謝あるのみです。
実は私自身も、「万九」初参加の年・1990年にはバスで合唱参加していました。
尤もその時には自分がどの音程が適しているかを、当時自宅にあったピアノを鳴らしながら決めていたものでしたが・・・今から考えれば何ともテキトーな決め方でした。
何年か前のレッスンでテナー(テノール)の出席者1名・・・そんなことありましたか。
私自身がこれまで体験した限りでも、通常の授業でテノール領域の出席者が疎らだったことはありますが、さすがに一人だけというのはちょっと記憶にないです。
記憶違いの可能性もありますが、山本直純指揮だった頃にはレッスンクラスに於ける通常授業で男声2パートが今と比べてスカスカだったような気がしてきます《現在定められている「遅刻・早退」規定が当時はまだ存在しておらず、また公演出演に際して許容される最大欠席回数も今より緩かったことが背景にあるように思いますが…》。
また後日メールします・・・私としても直にお会いしたいところですので。
投稿: 南八尾電車区 | 2009年11月30日 (月) 09時38分