【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=8】本番当日(12月20日)朝、ホテルをチェック・アウト、そして広島駅へ…
ここのところ、昨年で25回目を迎えました「第九ひろしま(第九ひろしま2009)」に合唱参加してきた時のことを綴り続けてきます。
そういえば、まもなくすると公演から丁度1ヶ月になりますね・・・年末年始期に、あの時期にこそ書きたいことがボンボン出てきてしまっていましたので、このシリーズにとっては大きなブランクとなってしまっていました。
あれが無ければ、今頃はとっくにこのシリーズを終えていたのかも・・・ゴメンナサイです。
それはともかくとして、前回(第7回)の記事を以て公演本番前日(12月19日)のことを全て書き終えることが出来ました、ようやくにして(爆)
今回からはいよいよ公演本番当日(12月20日)のことを書いていきます。
前日の夜のうちにホテル(広島駅南東側に位置するビジネスホテル)から借りたLANケーブルなどを使って持参していたミニノートPCに接続、そして電源を立ち上げてネットに接続しておいた状態のまま寝入ってしまった私。
本番当日の朝は7時前に起き上がっていたかな、私───起き上がると、つけっぱなし状態にしてしまっていたPCに向かい、幾つかのブログを巡回し、コメントも残していたような気がする。
とはいえ、前日のうちに考えていた(というか思い描いていた)ほど、昨年の広島市内滞在ではPCを使い切れませんでした(自爆)
せっかく電源コードなども含めてえっちらおっちらと広島まで持ち込み、ホテルからLANケーブルも用意して貰ったというのに───何とも勿体無い話ですね。
眠気対策とでもいうか、旅先でもやるべきことはきちんとやるという習慣づけが必要ですね、これは・・・意志の弱い私にとってはとてつもなく難しい課題だったりして。
ここで、「第九ひろしま」本番当日の朝といえば、突然ながら、ワーグナー作曲の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(全3幕)の第3幕前半の場面をふと思い出してしまうところです。
この第3幕前半では「歌合戦が開かれる聖ヨハネ祭の日の爽やかな朝、靴屋ハンス・ザックスの仕事部屋の内部にて」という場面設定となっていて、ここでは、ザックスの徒弟ダーヴィッドや、聖ヨハネ祭前夜からザックスの住処で寝泊まりしている若い騎士ヴァルターらが出入りしては、物思いに耽るザックスとやりとりをすることにより、物語が進行していきます。
それに対し、私にとっての昨年暮れの「第九ひろしま」本番当日の朝はというと、まぁ”歌う”という点では共通しているのかも知れないけれども、誰かが出入りするのでもなく一人密やかに朝を迎え、前夜からつけっ放しにしているノートPCにしばらく向かってキーボードをカチカチと操作している・・・
精神的な問題を抱えているが故に人付き合いを苦手としている私としては、これにより快適に過ごしていたようなものなのですが───とはいえ、正直言うと、ちょっと寂しさを禁じ得ないところだったかな。
それはさておき、ミニノートPCに向かうこと約1時間───そろそろ時間のことが気になりだし、朝食のことを考え始めた私は、先にシャワーを浴びておこう、というわけで、着替えを準備しておき、部屋に備え付けの湯わかしポットに水を限界線ギリギリに詰めておいて電源を投入、そしてユニットバス内へ。
約30分かけてシャワーを浴びるなどをした後、この日の衣服を身につけ、前日夜のうちに仕入れておいた飲食物で朝ご飯。
飲食物──パン類とみそ汁(ナメコ汁)、インスタントコーヒー、野菜ジュース・・・
それと、昨夜のおやつのつもりで買ったが食べそびれてしまったポテトチップスも急遽朝食メニューの一つに(爆)
時間を気にしつつ、ひたすら自分のお腹へと詰め込んでいった私。
この時、私の頭の中では、9時半頃に広島駅を発車するJR電車で新井口まで乗っていき、そこから公演会場(広島サンプラザホール)まで歩いて向かう───といった行動プランを思い描いていました。
それも、休日であるこの日、その「9時半頃」という時間帯に本当に広島を発車する山陽本線・下り列車が存在するのか無いのかを『時刻表』冊子などで確かめもせずに・・・
尤も公演会場(広島サンプラザホール)に於ける「9時半集合、10時から座席調整開始」という旨のスケジュールについては持参していた主催者(中国放送、RCC)からの郵送物により確認していたのですが・・・
けれども、この広島駅を発車する列車の発車時刻を実際に確かめなかったということが、この後に控える”悲劇”の原因になろうとは、この時には努々思わなかったような気がします、私自身。
さて、パンとコーヒー主体の朝食を終えた私は、若干PCをいじくった後、部屋(というかホテル)をチェック・アウトすべく、出発準備に取りかかりました。
テーブル上に於かれている卓上時計を気にしつつ、歯磨きなどの身支度を進めると共に、ミニノートPCの電源を落としてケーブル類を外して専用のカバンに収納したり、周囲に散乱していた荷物をまとめたりして、準備作業を進めていきました。
持参のミニノートPCに接続していたホテル貸出LANケーブルも、このように、何とかフロントで貸し出された際の状態に戻したつもりです《でも何だか微妙な感じ…》。
部屋の外からはベッドメーキングをしているであろう音が時折聞こえてきており、支度を進めている中で、早く出なければ、というある種の焦りというものを感じさせられていました。
そんな中を、ユニットバス内に一時的に置いていた自分自身の歯磨き道具一式を引き揚げたり、起き上がる際にめくり上げた掛け布団(ちょっと薄かったかな…)を元に戻したりして、出発準備を進めていった私。
そして、室内用スリッパ(使い捨て!)を靴に履き替え、一通り出発準備を終えたところで視線をテーブル上に置かれている卓上デジタル時計にやると、9時半近い時刻を表示していました。
最後に、部屋中を見回るなりして、忘れ物はないか、最低限必要なものはきちんとカバンの中に収まっているかを2~3度確認し、一夜お世話になった「301」号室を出発。
2つの大きなカバンを抱えつつエレベーターで1階に下り、フロントに出向いてチェック・アウト───特に別途料金発生はないとの係員の言を得た私は、「おせわになりました」と一声かけつつホテルを後にしました。
ホテルを離れる前に記念に撮った、朝の明るいうちのホテル全体の姿です。
急ぎ足で広島駅へと向かった私───昨日の夜に駅からホテルに向かった際とは違い、この時にはほぼ線路沿いの道〔現在の広島市民球場(マツダスタジアム)へのルートかな…〕をひたすら急いでいました。
そして広島駅南口に到着、乗車口へと急ぐ私でしたが・・・
その後どうなったのか───この続きは次回以降にて。
<(_ _)> ありがとうございます。応援よろしくお願いします <(_ _)>
←ソーシャルブックマークです
←ランキング参加中。各1クリックご投票を!
【関連記事〔「第九ひろしま2009」(第25回)公演記〕】
【1】「身支度、自宅出発から大阪駅到着まで」
【2】「大阪駅にて思わぬ出会い、そして播州赤穂へ…」
【3】「ダイヤ混乱に翻弄され、一旦播州赤穂についた私」
【4】「相生に戻って改めて西へ。そして広島、公演会場最寄駅へ」
【5】「広島サンプラザホール着。そして前日リハ(オケ合わせ)へ」
【6】「前日リハーサル終わって広島駅へ、そしてビジネスホテルへ」
【7】「夕食兼ねて夜の広島市内を散策。帰りはICOCAで広電乗車」
【9】「広島駅で”遅刻確定”か…非常手段(タクシー)にて会場へ」
【10】「発声練習、そしてゲネプロ(本番直前最後の通し稽古)へ」
【11】「史上25回目の公演本番へ──”地産地消”、そしてハプニングも」
【12】「解団式──全回合唱参加者12人の表彰、そして乾杯!」
【13】「アルパークで見た鉄道遺物、広島駅で見た懐かしきモノ…」
【14終】「岡山で”こだまレールスター”を目撃、そして家路に・・・」
【関連記事(「第九ひろしま2009」現地投稿分)】
「広島に向けて…「第九ひろしま」」
「「第九ひろしま2009」本番直前…」
「「第九ひろしま2009」無事終演…」
【関連記事(前後年開催「第九ひろしま」関連リンク集)】
「第24回(2008年)以前→第25回(2009年)」
「第25回(2009年)→第26回(2010年)以降」
« 【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=7】夕食兼ねて夜の広島市内を一歩き。そして帰りは「ICOCA」で広電乗車 | トップページ | 【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=9】広島駅で”遅刻確定”か───非常手段(タクシー)にて公演会場へ »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« 【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=7】夕食兼ねて夜の広島市内を一歩き。そして帰りは「ICOCA」で広電乗車 | トップページ | 【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=9】広島駅で”遅刻確定”か───非常手段(タクシー)にて公演会場へ »
なぜ9時半集合で、特に用事もないのに三駅先に向かうのに、9時半頃の電車に乗ろうとされるのでしょう?(^_^;)
「時間を読めない」のではなく根本的に集合時間の考え方を間違ってらっしゃると思います。。。
投稿: 通りすがり | 2010年1月22日 (金) 19時40分
通りすがりさん、こんにちは。
既にご存じならば申し訳ありませんが、この”集合時間”という概念は大阪「1万人の第九」にも存在します。
設定されているのは、「第九ひろしま」と同じく、門限とされる時刻の30分前となっています。
この”集合時間”は、その日のスケジュール運用がスムースにいくために設定されているものと思いますが、実際にはこれを過ぎた後でも門限とされる時刻までに会場内に入っていれば何のお咎めもなく参加出来てしまいます。
そんなところから、私自身、門限時刻に間に合いさえすればいい、と考えるようになってしまい、最近では大阪でも広島でも門限ギリギリでなければ体が動かなくなってしまっています。
その結果として、あのような恥ずかしき事態を招いてしまったように思います。
勿論、時間に余裕を持たせて行動すべきことは頭ではわかっているつもりですが───”わかっているつもり”ではダメですね。
合唱とは関係ないですが、総務省消防庁が過去に採択した全国統一防火標語の中に”怖いのは「消したつもり」と「消したはず」”(1985年採択)が存在するくらいですから・・・
ご指摘ありがとうございます。
投稿: 南八尾電車区 | 2010年1月23日 (土) 15時04分