【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=11】史上25回目を数える公演本番へ──”地産地消”、そしてハプニングも
”鉄的”話題が立て続けに入ったため、記事を書くのが停まってしまっていました───ゴメンナサイ。
1月も今日を入れて残り1週間足らず───昨年の、25回目を迎えた「第九ひろしま(第九ひろしま2009)」から既に1ヶ月以上経ってしまっています。
前回(第10回)記事掲載時点で、公演当日(12月20日)の、本番直前に於ける最後の通し稽古(ゲネプロ)が終わったところまで進んできています───今回はいよいよ本番とその前後のことについて書いていこうと考えています。
なお、今回の記事について、本番について記している箇所では、私自身の受けた印象を中心に書いていきます───でもどの程度覚えているのやら(ぉぃ)
最後の通し稽古(ゲネプロ)も滞りなく終了となり、あとは開場そして開演を待つばかりとなった、公演会場・広島サンプラザホール場内。
開演時刻(昼15時)の15分前にあたる「14:45」迄に自席に着いておくように、との場内アナウンスが鳴り響く中、合唱参加者たちはめいめいに移動なりしていきました。
私はというと、ゲネプロ前に急ぎ仕入れてきた握り飯などの入った袋と荷物一切を手にして自席を一旦離れて〔自席には盗まれてもよさそうなモノだけを置いていった〕、合唱団員席から見て反対側に位置する正面2階スタンド席のほうに移動。
そこで、一時的にスカスカの状態となったステージ全景を眺めながらのお昼となりました。
私の周辺、そして眼下に見える1階アリーナ領域を見回しますと、主催者側で予約販売された弁当を開けるなりして、この後迎えることになる公演本番に備えるかの如く、お昼を済ませている団員たちの姿などが見えていました。
これが私の昼の食糧です(笑)
薄暗い中、一通りお昼を済ませた私は、再び荷物を手にして席を離れ、正面2階ロビー脇に見える階段を1階ロビーへ・・・
降り立ってみると、玄関前に整列している多数の聴衆たちを前に、各々の持ち場でスタンバイして張りつめた雰囲気に包まれていたロビー風景がそこに見えていました。
そんなロビー情景をチラリと目にしながら、何やら促されるかのように、扉から再び場内へと戻った私───1階アリーナ領域をステージ上手に向かって歩き、横手に見える扉から再び場外へ、そして通用口から冷気に包まれている外界へと出たのでした。
そして、恒例とでもいいますか、公園側玄関前に並ぶ、開場を待つ聴衆たちの長蛇の列をとらえました。
その長蛇の列は、後方にそびえるオブジェのすぐ近くまで伸びていました。
25回目を迎えた今回の「第九ひろしま」はごくオーソドックスなプログラミング(選曲)となっていて、敢えて”呼び物”といえるものがあるとすれば、第1部ゲスト出演者(正戸里佳)の出身地が公演指揮者・山下一史と同じく地元・広島であってこの日限りの”広島コンビ”が成立すること〔オケも”地元産”の広島交響楽団なので、3者合わせて「地産地消」の実践に!?〕、それと若手女性アーティストであることぐらいかなぁ・・・
正直、プログラム内容の面でインパクトの弱さというものが気になっていた私でしたが、この長蛇の列を目の当たりにした私自身、捨てたものではないな、と、まずは一安心。
まもなく待機列の先に見える玄関ドアの開くのが見えたところででその場を離れ、高台になっている運動場とテニスコートの間の道を通って男女更衣場とされているサブ・アリーナへと向かいました。
その途中、サンプラザホール裏手で見かけた、主催者である中国放送(RCC)の中継車・・・
これらRCCの業務用車両と共に、前日(12月19日)のうちに公園側玄関前スペースにその姿を見かけなかった、広島県外向け合唱団員募集に応じて大阪(梅田)から来ているであろう観光バスの類が一緒に停まっているだろうとの微かな期待も持ち合わせていたのですが、この日もその姿を見ることはありませんでした。
今年の広島県外向け合唱団員募集、人が集まらなかったのだろうか・・・
少し物寂しさを感じつつサブ・アリーナへと再び足を向け、玄関入ってすぐ右手前に設定されていた男子更衣場へと入った私。
この時、サブ・アリーナ場内に備えられた時計の針は「14:10」くらいの時刻を指していたように覚えていますが、既に隅っこのスペースは全て押さえられてしまっている状態でした(涙)
仕方なく、更衣場入口の延長線上にあって隅っこスペースの少し手前に位置する中途半端なところで衣装鞄を開き、本番用衣装に衣替え。
この時、更衣場内は他に数人いた程度(もう少しいただろうか…)で、隅っこを中心にズラッと並んだ荷物たちが、ただ主を待っているかのようでした。
一通り着替え終えると、とりあえず男子更衣場出入口の延長線上に見える、少しだけ空いた隅っこスペースのところに荷物を置かせてもらい、サブ・アリーナを一旦離れました
まもなくして再びホール場内に戻り、自席へと戻った私。
本番を前にして、殆どの合唱団員たちがスタンバイを終えているのが見えました。
一旦、合唱団員側にあたる向正面脇にあるトイレへと入り、用を足したところで知り合いの「第九」合唱仲間とバッタリ───新しい名刺を頂戴するなりして短く話し合っていました。
そして、ワンテンポ遅れてトイレを離れ、自席に着くと、程なくして「第九ひろしま」名物(?)ともいえる聴衆向け歌唱指導が始まりました。
ちなみに音頭をとったのは現在「第九ひろしま」合唱指導で主導的役割を果たしているとみられる松本憲治でした。
松本先生による何処か穏やかな感じの歌唱指導が都合10分少し続き、その後、開演を告げるチャイム(ベル)放送が流され、いよいよ25回目となる「第九ひろしま」の本番に入りました。
RCCアナウンサー2名(男女1名ずつ)の司会進行の下、まずは第1部ゲスト出演者を迎えての小品2曲の演奏《ひょっとしたらその前に今年の合唱団のことを簡単に紹介していたような・・・よく覚えていないし(爆)》。
すっかり本番スタイルに変身してステージ上に姿を現した若手広島っ子ヴァイオリニスト正戸と、同じく広島っ子の指揮者でカラヤンの背中を彼の逝去まで見続けてきたという山下、そして文字通り広島生まれのオーケストラ広響の、まさしく”広島尽くし”で繰り広げられた第1部───曲間のトークも含めて、サンプラザホールの空間はそうした”広島サウンド”で充満していたかのようでした。
サン=サーンス『序奏とロンド・カプリチオーソ作品28』、そしてサラサーテ『ツィゴイネルワイゼン作品20』・・・生で聴くのが何れも初めてとなった、これら2つの小品、うん、正戸の紡ぎ出すソロの響きと、これに応えるかのように山下のタクトの下で結束して作り出すオーケストラのアンサンブル的響きとの掛け合い、聴くだけでなく眺めているだけでも見応えあってとてもおもしろかったです《勿論笑いはしなかったけど──漫才などで見られる”おもしろさ”とはちょっと違うかな》。
で、1曲目のサン=サーンス演奏を終えたところで持たれたインタビューのところでハプニング───第1部ゲストの正戸が手にしていたヴァイオリンに装着されていたであろう肩当て(「あご当て」では無かったような…)がインタビュー中に脱落、しかも付け直してもまた脱落を繰り返し・・・
う~ん、この日の正戸使用のヴァイオリン本体には馴染まなかったんだろうか、肩当て・・・
と、ここまで「肩当て」と普通に書いてきていますが、実は私自身、ヴァイオリン本体に装着する道具として、表側に装着していて演奏中とかにいつでも見える「あご当て」は知っていたのですが、本体裏側にも「肩当て」というパーツを取り付けるなんて、今まで知りませんでした。
ヴァイオリンを一度も触ったことのない者の悲しさ───あぁぁぁ…
ま、そんなこんなで、結構楽しめたかな、第1部(笑)
小品2曲の演奏が終わり第1部ゲストの正戸が退場した後も合唱団紹介が続き〔合唱団員の最年少・最高齢の紹介などが行われたような…〕、そして第1部終了。
20分間の休憩を挟んで続く第2部、いよいよメインディッシュとなるベートーヴェン「第九(交響曲第9番”合唱付”)」演奏。
21年ぶりにオール外国人歌手で固めた4人のソリスト陣───ゲネプロまでと違い、この本番では演奏を前にしてステージに姿を見せていたような〔間違っていたらスミマセン〕・・・
で、惜しくもティンパニが約1カ所しくじってしまっていたものの、それを除けば、まるで心血注いで金型を造り上げるが如くの綺麗な輪郭を伴ったクリアな響きで「歓喜」の音楽を作り上げていました。
終楽章では、前日にはテンポに乗れないで冷や冷やさせられた4人の外国人ソリストたちも、何とかテンポに乗ってくれていましたので、素晴らしい歌唱と相まって、見事な演奏となっていた感じです。
おかげで私もまた歌い甲斐十分でした───あ、私もまた何処かでしくじっていたような気がする(ぉぃ)
それでも、周囲の合唱団員たちに圧倒される格好で、何とか最後まで歌い切ることが出来ました《多謝!》。
無事「第九」全4楽章の演奏が終わり、拍手が巻き起こる中を4人のソリスト陣はステージ中央へ。
いつもならばここで花束贈呈ときて、そして『蛍の光』の斉唱が行われて幕となるところですが・・・
今回は特別でした。
何しろ21年ぶりのオール外国人歌手によるソリスト陣───アシスタント役の女子アナが主体となっての、ソリスト陣一人一人へのインタビューが始まりました。
時間にして1人あたり1~2分程度のものでしたが、私にとっては、1996年の広島に於ける合唱初参加以来、初めて目にする場面だっただけに、受け答えの内容自体は型通りだったのかも知れませんが、それなりにインパクトを与えてくれていたような気がしました。
ソリスト陣4人に対するステージ上インタビューが終わると『蛍の光』の場内斉唱となり、25回目を迎えた「第九ひろしま」はこれにて幕となりました。
続けて解団式となったわけでありますが・・・
この続きは次回以降の記事にて───ゴメンナサイ。
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