【「第九ひろしま2009」(第25回)公演記=12】解団式──全回合唱参加者12人の表彰、そして出演者全員で乾杯!
またも”鉄的”話題を急遽挟んでしまいましたが、ここのところ、昨年で25回目を迎えました広島の「第九ひろしま(第九ひろしま2009)」(於・広島サンプラザホール)に合唱参加してきた時のことを綴ってきています。
前回(第11回)の記事を以て公演に係る部分を全て書き終えまして、今回からは公演が終わった後のことを記していきます。
25回目という一つの節目を迎えたこともあってか、終演後に続く解団式に於いても例年にない光景が展開されていました。
21年ぶりに外国人歌手のみで固められたソリスト陣───前日のリハーサルでは音楽の流れから取り残されてしまっていて、正直私もちょっと不安を抱いていたものでしたが、いざ本番を迎えてみると、そこはプロの歌手たち、ちゃんと音楽の流れに乗り、きちんとした発音を伴った見事な歌いっぷりでステージを乗り切っていました。
オーケストラ(広島交響楽団)も、今回で連続4回の客演指揮となった山下一史のタクトの下、約1カ所しくじってしまっていたものの、大局的には綺麗に歌い上げていたような印象でした。
そうしてつくられた素晴らしき音楽に私たち合唱団も見事なまでに乗せられていたような感じだったかな・・・
締めくくりの『蛍の光』斉唱も終わって公演は無事幕となり、続けて最後のイヴェントとなる解団式を迎えました。
合唱団員の親戚たちが中心であろう一部の聴衆が見守る中、社長挨拶など例年通りの式次第にて解団式が進行───と言いそうなところなのですが、25回目という節目を迎えた昨年は、例年では見られない、あるイヴェントが式に先立って執り行われました。
そのイヴェントとは───第1回から1度も欠かさず全25回合唱参加してきた合唱団員に対する表彰式(感謝状贈呈)でした。
該当する12人の合唱団員一人一人に感謝状が手渡されました《記念品も付いていたような・・・よくは覚えていないけれど》。
余談になりますが、この「第九ひろしま」、1985年(昭和60年)9月に当時の雇用促進事業団(現在の「独立行政法人雇用・能力開発機構」)が広島市内に設置した勤労者福祉施設の一つとして、現在公演会場として使用しているホール部分を擁する「広島サンプラザ」が竣工・開館したことを記念して創始された大規模「第九」イヴェントなのです。
その第1回公演は「広島サンプラザ」の竣工・開館年にあたる1985年の12月12日に開催されたわけですが、現在ホールへの主要交通アクセスとなっている2つの鉄路(JR山陽本線と広電宮島線)のうちのJR線については、この1985年12月当時はまだ「日本国有鉄道(国鉄)」と名乗っていました《1987年4月に国鉄の分割民営化施行と同時にJR(旅客会社6社+貨物会社)が発足》。
そして、現在新井口(JR)・商工センター入口(広電)両駅と広島サンプラザの間にそびえ立つ大型商業施設「アルパーク」(東棟・西棟)が、第1回公演が行われた1985年当時にはまだ存在せず〔オープンは「1990年4月」〕、また両駅とサンプラザとを直結する歩道橋も当時は存在していなかったみたいです《「サンプラザ」が建設される前には、何があったんだろう・・・》。
よって、イヴェント創始年に於ける第1回公演に合唱参加していた人たちは、新井口・商工センター入口両駅から、恐らく、地上の道路(というか歩道?)をひたすら歩いてサンプラザへと向かっていたと想像されるところですね。
そんな、「アルパーク」もサンプラザにつながる歩道橋も無かった頃から毎年欠かさず合唱参加し続けた12人の合唱団員は、ある意味、サンプラザ界隈の変遷を毎年見続けてきた生き証人ともいえるところでしょう。
25回目という節目の祝いを兼ねて特別に設けられた全25回合唱参加者に対する表彰式のあとは、例年通りの解団式へと移りました───えーっと、締めくくりの乾杯儀式に用いられる「ビール or お茶」の合唱団員への配布は表彰式の前に済ませていたような・・・
これもまたよく覚えていないし(爆)
それはともかくとして、まずは公演主催者である中国放送(RCC)の社長挨拶から。
次いで、公演指揮者の山下一史、4人のソリスト陣、そして第1部ゲスト出演者の正戸里佳がステージ上で一堂に会し・・・
そして、彼らと共に、合唱団員全員で乾杯───例年通りとでもいうか、昨年の「第九ひろしま2009」合唱団長が乾杯の音頭取りを務めていたっけ(ぉぃ)・・・
私も隣で合唱参加していた人と乾杯を交わしました───ちなみにその人とは、本番当日の1日限りでしたが、あまり会話が出来なかった(というかしなかった)です。
ちなみにその隣で合唱参加された方は地元・広島の人だったように記憶しています《記憶違いならばスミマセン…》。
そして、解団式も幕となり、これにて「第九ひろしま2009」は終わりとなりました。
2階スタンド席エリア回廊にて空き缶回収、階段で1階公園側通用口へと下り、サブ・アリーナへ。
男子更衣場に入り、ふと場内の時計に目をやると、針が「17:50」あたりを指していました。
これから着替えを済ませ、ホール1階ロビーにてプログラム冊子を買ったりしてから駅に向かうつもりでいたのですが───とてもじゃないけど、新井口18:00発の上り列車に間に合わない(涙)
この”新井口18:00発の上り列車”とは岡山行き「通勤ライナー」(いわば区間快速的な列車)のことで、私自身にとっては「青春18きっぷ」だけで大阪に戻るための、いわば”最終列車”。
これ以降の上り列車でこの日のうちに自宅に帰り着きたければ、途中の一部区間で新幹線による”ワープ”を必ずしなければならない。
当然ながら”ワープ”する分の費用(というか乗車区間分の「運賃+新幹線特急料金」の合計額)が別途必要になる───朝方に非常手段としてタクシーを使ってしまったこともあり、何だか「泣き面に蜂」の心境になっていました。
まぁ朝方のタクシー利用に関しては完全に私のミスに起因するものだったわけですし、この終演後の広島からの帰りに関しても、今から考えれば、先に着替えを済ませてから解団式に臨むか或いは解団式への出席自体を取りやめて一足先に帰るか・・・何れか出来たのかも知れないかなぁ。
隣に座っていた人と、もう少しコミュニケーションをとっておくべきだったのかな───書いていて、自分自身、何だかやりきれない気持ちになってきました。
それはさておき、とりあえず一通り着替えを済ませた私は忘れ物の有無などを点検し、今日1日公演会場と共にお世話になったサブ・アリーナをあとにして、公演プログラム冊子を買い求めるべく、ひとまずホール1階ロビーへと足を運びました。
その途上で目にした、公園側に伸びる夜のプロムナード・・・
両端に目映く樹木イルミネーションが目に染み入る・・・何ともいい感じ(笑)
2日間、我々合唱団員や一般の聴衆たちを受け入れてくれた公園側玄関では、公演の余韻をかみしめるかのように、合唱団員らが行き交っていました。
そんな光景の中をすり抜けた私は、ようやくにして公演プログラム1冊を購入し、たむろする人の群れの隙間を縫うようにしながら、反対側にあたる道路側玄関へ・・・
前日のリハーサルを終えた際にもここからホールをあとにしたっけ───でもこの時には公演の余韻を楽しみつつ家路につく人の姿がそこに見えていました。
そして、この日までの2日間お世話になった広島サンプラザ正面側の、夜の風景・・・
正面入口付近を彩る青々とした樹木イルミネーションが、これまた目に染みる───そういえば、そろそろクリスマスを迎えるところだったっけ。
こうして、今回も2日間「第九ひろしま2009」にてお世話になった広島サンプラザに別れを告げ、一路公演会場最寄り駅の一つであるJR新井口駅へと歩を進めていったわけですが・・・
この続きは次回以降の記事にて───ゴメンナサイ。
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