阪急・「嵐電」・山陽電鉄・京阪、今年で”生誕”100年…鉄道界のメモリアル・イヤー「2010」。関西圏の私鉄4事業者
「メモリアル・イヤー」といえば、私の場合はクラシック音楽を趣味の一つにしている関係で、ショパン、シューマン、マーラー等の名前が挙がってきそうなものなのですが、実はもう一つ趣味としている鉄道の世界に於いても、特に関西圏の私鉄で今年2010年が「メモリアル・イヤー」となる鉄道事業者が相次いで出ているみたいですね。
一昨日(3月10日)の午前中に放映されたニュース番組の中の関西ニュースの一つとして、阪急電鉄の本社1階ロビーに開業100周年を記念しての”阪急ジオラマ(鉄道模型レイアウト)”が特設されたとのニュースに接し、そして京阪も今年で開業100年を迎えるとも報じたところから、今年が鉄道界にとっても「メモリアル・イヤー」なんだなぁ、と実感した次第。
逆に言えば、そのニュースに接するまで、阪急そして京阪が今年で開業100周年を迎えるなんて全く知りませんでした(爆)
関西在住の鉄道好きの一人として、これはちょっと恥ずかしいところですね、全く(自爆)
テレビに映っていた、阪急電鉄本社に特設された阪急ジオラマに、つい見とれていた私・・・
で、各種メディアでも、「阪急開業100周年」のことを中心に、関西の大手私鉄が今春に相次いで開業100年を迎えることが報じられ、それによれば、今年で開業100周年(クラシック音楽の作曲家でいうところの”生誕100年”ですね)を迎えるのは・・・
【阪急電鉄】 ◎ 開業日 … 1910年(明治43年)3月10日 ◎ 開業区間 宝塚線「梅田~宝塚」、箕面線「石橋~箕面」 《当時は「箕面有馬電気軌道」の路線として開業》 【山陽電気鉄道】 ◎ 開業日 … 1910年(明治43年)3月15日 ◎ 開業区間 … 兵庫(電鉄兵庫)~西代~須磨間 《その後「兵庫(電鉄兵庫)~西代」間は1968年に廃止》 【京福電気鉄道(嵐電)】 ◎ 開業日 … 1910年(明治43年)3月25日 ◎ 開業区間 … 四条大宮~嵐山間〔嵐山本線〕 《当時は嵐山電気軌道の路線として開業》 【京阪電気鉄道】 ◎ 開業日 … 1910年(明治43年)4月15日 ◎ 開業区間 天満橋~五条(現・清水五条)間〔京阪本線〕 |
の4事業者。
このうち、”嵐電”とも称されている京福電気鉄道だけは生まれてからまだ一度も乗ったことが無く、その車両たちを目にする機会も殆ど無いので、正直「開業100周年」と聞かされても余り実感が湧かないところがあります。
とはいえ、たまに写真画像を通じて目にすることはあり、周囲の景色と相まって、何となく落ち着いた雰囲気のように感ずるところがあります。
この嵐電と、同じく開業100年を迎える首都圏は神奈川県鎌倉・藤沢両市を跨る形で路線網を持つ江ノ島電鉄と昨年(2009年)10月に姉妹提携を結んでおり、互いの車体塗装パターンを”交換”し合う等して交流を深めているとの話───そういえば江ノ電は湘南の海に沿って走ったりしているような・・・
絵になりそうな景色とともに生き続けているという点では、両者共通しているのかも知れませんね。
残る3鉄道事業者の中で、私自身一番お世話になったのは、やはり阪急ということになります。
かつて母親と共に神戸市内(東灘区…JR線路沿い)に墓参りに出かける際には少なくとも片道は必ず阪急利用でしたし、通っていた大学も阪急(神戸線)沿線にあったりする等、とにかく乗る機会は多かったです《そういえば、今は無き宝塚の遊園地(宝塚ファミリーランド)もありました》。
あのマルーン1色に身を包み、木目主体の車内に緑色モケットをしたロングシート、そして独特な乗降口ドアの開け閉めパターン───これら阪急車両にほぼ共通した一連の”阪急カラー”というものにも馴染ませて貰っていました。
阪急の車両といえば、かつて系列会社として存在していたアルナ工機(旧ナニワ工機)が戦後(1947年~1999年)一貫して車輌製造を担ってきたことでも知られていて、私も車両妻面上部に張り付けられた独特な下向き五角形で銀(グレー?)地基本の「アルナ工機」銘板(後に青地基本の六角形銘板に変化したような・・・よく覚えていないけど)を幾度と無く見てきています。
残念ながらアルナ工機自体は2001年から2002年にかけて会社清算・解散の憂き目に遭い、その後は受け皿としての役目を引き受けてくれた日立製作所に於いて造り続けてきています〔実はその日立も今年で創業100年との由;左写真〕───京都線特急向け車両6300系の28年越しの後継車両となった9300系車両は下松にある日立の車両工場で生まれたものの一つです《但し9308F編成だけは鋼体のみ日立で造ってアルナ車両(旧アルナ工機の路面電車向け車輌製造部門の存続会社)で組み立てるという「ノックダウン生産方式」が採られました→昨年(2009年)11月下旬から営業運転に入った模様(『阪急9300系9308編成が営業運転を開始』)》。
もう一つ、阪急といえば、創業者である小林一三や、後に指揮者そして大阪フィルハーモニー交響楽団創立者として知られるようになった朝比奈隆らの名前が思い浮かぶところなのですが〔朝比奈隆は京都大学卒業後一旦阪急に就職している〕、ちょっと余談っぽくなりますが、朝比奈が東京出身(東京市牛込区→現在の東京都新宿区)なのは聞いたことがあるものの、創業者の小林もまた今でいうところのJR東日本管轄エリア内の出生(現在の山梨県韮崎市)だったことは今まで全く知りませんでした《当然朝比奈の出生地もまたJR東日本管轄エリア内》。
東日本地域で生まれ育った人間が関西の私鉄を作り育ててきた───何だか複雑な心情ですね。
とはいえ、彼らが関西圏の私鉄の歴史の一端を担ってきたのは事実なわけで〔尤も朝比奈の場合は”異色の経歴を持つ音楽家”としてその名が刻まれていることと思いますが…〕、私もそのあたりは理解しなければならないところですし、また誇りにも思う次第です。
阪急に次いでお世話になってきているのが京阪で、現行の特急型車両8000系のデビュー直前ぐらいの時期から、特急を中心にして時々お世話になってきました。
まだ京都市営地下鉄東西線が存在していなかった頃に三条駅を介して京阪本線と京津線を乗り継いで大津(浜大津)方面と行き来したこともありましたし、鴨東線開業で実質的に京阪本線のレールが出町柳まで伸びて以降に京都コンサートホール(地下鉄北山駅近く)に於ける演奏会を聴きに出町柳駅を介した京阪電車と京都市バス(4号系統)の乗り継ぎで出かけたり・・・
「特急を中心にして」と先ほど記しましたが、私自身にとっての京阪線利用は、その大半が特急利用なわけで、2つドア(それも片開き!)にして転換クロスシートの配された特急車両の、先頭車両最前列の運転席に向かって右側の席はまさしく特等席といわれるにふさわしい座席であり、言うまでもなく、座りながらの前面展望が楽しめるスペース───私も体験しました。
中書島から淀にかけて、そして八幡市から橋本そして樟葉にかけての車窓風景──特に日が暮れた後の橋本から樟葉にかけての車窓風景が、何処かわびしさというものを誘い出してくれているような感じで、たまらなかったです《尤も現在では淀駅とその前後で高架化工事が進行中とのことでだいぶ車窓風景も変わっていることと思いますが…》。
残る山陽電鉄については、1度だけ山陽姫路と神戸方面とを往復したことがあって〔だいぶ前の話…〕、その際に目の当たりにした、網干線が分岐する飾磨駅が私の眼には妙にごみごみした感じに映っていたことを覚えています。
あと、かつて阪急の電車が阪神と共に山陽の須磨浦公園駅まで乗り入れていた頃にやはり1度だけその須磨浦公園駅に降り立った記憶があって、その際にはロープウェイで駅の頭上にそびえる山の上(「鉢伏山」との由)に行った記憶も・・・
生憎山陽電鉄線に於ける実体験はこの程度のものなのですが、山陽の車両だけを対象にするならば、阪神との相互直通乗り入れという格好で「大阪(阪神梅田)~姫路(山陽姫路)」間で直通特急の運転が行われている”恩恵”とでも言いますか、何かの目的で阪神本線に出てきた際に山陽車両を使った直通特急電車を見かけたりもします。
その中で私の手元に目に見える形で記録に残っているものの一つとして、2年前(2008年)の3月末日を以て廃止された兵庫県内の第3セクター鉄道の一つ、三木鉄道の惜別のため営業運転最終日(3月31日)当日に私鉄線乗り継ぎ〔阪神西大阪線→阪神本線→神戸高速線→神戸電鉄線(有馬線→粟生線)〕にて三木駅に駆けつけた際に阪神尼崎から神戸高速の新開地まで山陽の車両による直通特急に乗った際の写真画像がありました《新開地駅にて撮影…左写真》。
尤もこの時には、山陽の車両に乗ったことよりも新開地から久しぶりに乗った神戸電鉄線の鈴蘭台から分岐する粟生線内で数少ない新開地行き急行電車と2度すれ違ったことのほうが印象に残っていますが〔写真に残せなかったのがとても悔しい〕・・・
もう一つ、山陽電鉄といえば、いま、5年先輩にあたる阪神電鉄と共に、近鉄特急の直通乗り入れを巡って近鉄と議論の真っ最中にある様子───何しろ阪神と山陽は、共に開業以来今日に至るまで、全車座席指定の有料特急を走らせたことが無く、今回そのまさに有料特急である近鉄特急の阪神そして山陽電鉄線への直通乗り入れという近鉄側から与えられた”宿題”(尤も実際にはラブコールに近いものなのですが…)に苦慮し続けている状態であり、最近の神戸新聞報道でも阪神の坂井信也社長が「来年度(2010年度)中の実現は難しい」との談話を発表するなど〔→『近鉄の姫路乗り入れは11年度以降 阪神電鉄社長』〕、阪神三宮駅に近鉄特急用発券端末「ASKA」(JRに於けるマルス端末に相当)を設置するなどの取り組みを見せているものの、まだまだ課題山積なのが現状のようですね。
ショパンやシューマンが生誕200年を迎えるのと同様に、阪急・嵐電・山陽電鉄・京阪の関西圏内の4鉄道事業者が”生誕”100年を迎える2010年───音楽と鉄道(乗り物)を趣味としている私として、心から祝いたい気分です。
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『阪急、京阪…開業100年「私鉄王国」復活へ』
《→『「私鉄王国」復活へ走る 阪急、京阪…開業100年ラッシュ』》
《→『阪急、京阪…開業100年「私鉄王国」復活へ』》
『嵐電ゴトゴト100年 暮らしに観光古都の足』
『阪急開業100年 鉄道模型ジオラマが登場』
『阪急開業100年、梅田で加速 地の利生かし再開発』
『京都や水都を意識 100周年機に塗り替え進める 京阪』
『終点からまた始まる 嵐電 北野白梅町駅』
『今年は関西私鉄100周年ラッシュ 記念イベントに力』
『阪急創業者・韮崎出身の小林一三に光を』
『嵐電100年へ アーカイブ』
『関西私鉄100年 ベンチャー精神再び』
《→『開業100年の関西私鉄 「平成の通天閣」建設やアジアの観光客誘致…沿線にぎわい復活大作戦』》
『<クロニクル>1910年3月10日、阪急・梅田―宝塚が開業』
『100周年の阪急線に乗り込む』
『阪急1世紀、沿線はブランド 価値高める再開発』
『阪急電鉄、きょう開業100年 社長に聞く』
『阪急電鉄100周年 宝塚、箕面線のツアー企画』
『嵐電、開業100周年まであと100日 主要駅にカウントダウンボード』
P.S.(100321追記)
今年2010年は関西の4鉄道事業者にとってのメモリアル・イヤーである、と記事本文中でしゃべりましたが、実はもう一つ、今年がメモリアル・イヤーとなる鉄道事業者が存在することが数日前に知るところとなりました。
同じく関西に生きる大手私鉄の一つで、今年で開業1周年を迎えた阪神なんば線を介して阪神とレールがつながった、JRを除く私鉄の中では日本最長の路線網を持つ近畿日本鉄道(近鉄)がそれで、今年で会社創立100周年を迎えるとのこと《ちなみに接続相手の阪神は、現在保有する路線網は小規模ながらも、近鉄より5年(会社設立でいうならば11年。1899年会社創立→1905年最初の路線開業)先を行く存在です》。
1910年(明治43年)9月16日、近鉄の前身にあたる奈良軌道が創立され、この日を以て近鉄創業とされているみたいでありますが、その翌月には「大阪電気軌道(大軌)」に社名が改められています。
この奈良軌道そして大軌を前身とする近鉄の鉄道事業者としての鉄道路線開業第1号となったのは現在の近鉄奈良線で、創立4年目にあたる1914年(大正3年)4月30日に「上本町~奈良」間で開業したわけでありますが、この開業はその12日前にあたる4月18日に生駒トンネル(旧トンネル、現在は閉鎖。一部分はけいはんな線の生駒トンネルとして使用)が完成されたことによるものでした。
ちなみに布施から分岐して中河内地域(八尾・高安・国分)を通り、近鉄奈良線と並ぶ幹線となっている近鉄大阪線の始まりは、前記の「上本町~奈良」間開業の13年後にあたる1927年(昭和2年)7月1日に全線開業した「大軌八木線」(現在の「布施~大和八木」間。ただし開業当時の八木駅は現在の八木西口駅あたりに所在していた)といわれています。
もう一つ、近鉄の路線としての開業第1号路線となった近鉄奈良線の開業から「大軌八木線」全線開業に至るまでの13年間のあいだに、実は前記の旧・生駒トンネルの掘削が難工事で多額の出費を余儀なくされ、このことが祟って会社存亡の危機に立たされたことがあり、一時は沿線の宝山寺(生駒聖天)から賽銭を借りて当座の経費を賄うという有様でしたが、実業家・片岡直輝の尽力などもあって辛うじて危機を脱したという壮絶な話も存在します。
それにしても旧・生駒トンネル───近鉄の存亡に大いに影響した、曰く付きの存在だったんですね。
なお、近鉄では創業100周年を記念して電車をかたどったロゴマークを制定し、また4月中には記念の特設サイトを開くとしています《→『平成22年9月16日、おかげさまで近鉄は創業百周年を迎えます』》。
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