モーツァルト『交響曲第40番ト短調K.550』をムーティ=ウィーン・フィルの組み合わせで聴く──1999年来日公演から
ここのところ”鉄的”ネタが続いてしまい、もう一つ趣味としている音楽のことを、このブログに於いて、すっかり疎かにしてしまっていました。
一応、私自身趣味としている鉄道と音楽を共存させるというのがこのブログの趣旨となっているので、勿論”鉄的”ネタを書き続けると共に、時に音楽ネタも書いていこう・・・という想いだけは常々抱き続けてきています。
尤も、その抱く想いの強弱は時期によって上下していましたが───特に今年に入ってからはほぼひたすら”鉄的”ネタに走ってしまっているような感が否めないところです。
一方で、私自身、分野に関係なく、こうしてブログなどで文章を書く際に、つい難しく(というか堅苦しく?)考えてしまうきらいがあって、そのことが自ら文章を書きづらくしてしまい、結果ブログ更新のペースが鈍ってしまう等の形で影響が出てしまうところがあります。
ですので、これからは、勿論書くべき時にはとことん書くけれども、時には気楽に手短に書いて済ませるなど、自らも楽しめるブログ作りというものを模索しようと考えるところです《何処まで守られるのやら──まぁこんなこと言っていてはダメなのですけどね》。
ということで、今回は久しぶりに音楽ネタといきましょう。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト───言うまでもなく1756年オーストリア(当時は「神聖ローマ帝国」)はザルツブルク生まれの作曲家で、ハイドン、ベートーヴェンと共にウィーン古典派三大巨匠の一人として知られているところなのですが、私自身、一時期彼が作曲した『ピアノ協奏曲第20番K.466』や『同第23番K.488』を中心に繰り返し耳にしていたことがあるものの、正直言うと、ここ最近までは彼の音楽を聴く頻度がめっきり落ちてきていたような気がしています。
それが、ここのところは後期交響曲(『交響曲第35番「ハフナー」』以降。但し”第37番”を除く)を中心に再び耳にする頻度が高くなってきました《尤も現状は交響曲作品を聴くことが殆どとなってしまっていますが…》。
モーツァルトの書いた音楽の中に潜む”純粋さ”とでもいうか、或いは彼的な”遊び心”とでもいうか───そういったあたりに面白さを見出すようになってきたところから聴くことが多くなってきた、という感じかな。
それはさておき、ここのところ繰り返し耳にしているものの一つに、モーツァルト後期の「3大交響曲」の一つに列せられている『交響曲第40番ト短調K.550』があります。
そして、この楽曲で私が主に耳にしているのは、リッカルド・ムーティ率いるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が去る1999年に来日した際に行った公演の中で演奏されたもの。
この第40番シンフォニーは41曲あるモーツァルトの交響曲の中では2曲しか存在しない短調のシンフォニーともいわれ、もう一つの短調シンフォニーである『交響曲第25番ト短調』が”小ト短調”と称されるのに対し、この第41番は”大ト短調”と称されることもあるのだとか。
そして、この”大ト短調”こと第41番については人により「デーモニッシュ」とか「疾走する悲しみ」とか評されているみたいなのですが───実際に曲を聴いているうち、特に『モオツアルト』等の著作で知られる文芸評論家・小林秀雄による「疾走する悲しみ」という評し方はいい得て妙と言えそうな感じがしています。
冒頭に現れる、短2度下降音程による”ため息”のモチーフ───これが第1楽章を中心に4つの楽章の全てに鏤めるなどして、あらゆる意味に於いて”陽の当たらない陰の部分”を音楽芸術の次元で見事なまでに表現しているように思えるところがあります。
最近ではモーツァルトが存命だった頃の楽器や楽器編成を忠実に再現させるなどして純粋な音楽として具現化させるような試みを話としてしばしば見聞きするところなのですが、私が愛聴しているムーティ指揮ウィーン・フィルによる演奏は、そこそこの規模を以てして、この第41番シンフォニーが内包しているであろう心の内面に潜む”陰”の部分をハッキリとした形でさらけ出しているような印象を抱いています。
第3楽章までは比較的理性的に音楽を進めてきているような感じなのですが〔勿論それまでにも楽曲の描く心情の類を漏れなくくみ取っている印象を抱くところなんですけどね…〕、終楽章に入ってからはカチッと襟を正しつつも、あらゆる心情を力強く弾けさせるとでもいうか・・・変な話、いわゆる”ピリオド楽器”による純粋な音楽芸術としての表現とは対極をなすような演奏でありムーティなりの”答え”なのかな、と思ったりするところがあります。
前後のモーツァルト交響曲作品たちと共に、これからもこの『交響曲第40番K.550』という作品をじっくりと味わってみたいと思っています《時折聴く程度であってもね…》。
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『モーツァルト交響曲第40番の概要と演奏』
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この曲は隣り合わせの作品ががハ長調で書かれていることなどから同じ調の弦楽五重奏曲(KV516)と比較されますね、もっとも最終楽章が長調になったりするなど展開の仕方はかなり違いますが。
さてこの曲、クラリネットのある版とない版がありますが、小生はない版のほうが好きです。もっとも初めて買ってじっくり聴きだしたのがない版だったからかもしれませんが。(マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団)
投稿: | 2010年4月20日 (火) 22時43分
すいません、久しぶりにここに投稿したのでうっかりHN忘れました。
上記の投稿は小生です。<(_ _)>
投稿: ポケット保持 | 2010年4月20日 (火) 22時44分
ポケット保持さん、こんばんは。
お名前記入漏れの件については承知です。
このモーツァルトの40番シンフォニーで、クラリネットの有無で版が分かれているということは、正直、今回の記事を書くまで知りませんでした。
そのため、今回書きましたムーティ指揮の演奏にしても、クラリネットの有無について特段意識することなく耳にしてきています───何とも恥ずかしきかな。
今度から意識して聴いてみようと思っています。
投稿: 南八尾電車区 | 2010年4月24日 (土) 01時20分