余部橋梁新旧架け替え、佳境か…開通迄残り5日。隙間へのコンクリート打設も終了、あとは防風壁設置と軌道工事か
1912年(明治45年)3月に開通し、山陰本線が京都から出雲市まで全通する元となった、「鎧~餘部」間に架かる余部橋梁。
7月17日から始まったその余部橋梁の、明治末期の完成以来実に約98年の長きにわたって務め上げた”余部鉄橋”こと初代橋梁からコンクリート主体の2代目新橋梁への架け替え工事も、いよいよ佳境に入りましたね。
開通予定日である8月12日まで、あと5日・・・
”余部鉄橋”こと初代余部橋梁の南隣に予め建造された2代目新橋梁のうちの、東端部約93mを占める緩いS字状カーブをした橋桁の平行移動&回転移動も無事終わり、7月24日からは、その緩いS字状をした橋桁と新橋梁の残りの部分、そして橋梁東詰の於伊呂トンネル坑口付近との結合作業に着手、隙間をコンクリートで埋められていきました。
連日の猛暑も手伝ってか、流し込まれたコンクリートがよく乾くなど順調に作業が進み、そして緩いS字状の橋桁の両端に作られたコンクリート型枠が外され、次いでシートも外され、ついに2代目新橋梁の全貌が初めて現しました。
約98年間風雨雪に耐えながらも山陰の鉄路を支え続けてきた”余部鉄橋”の、橋脚部分から鋼で作られた高さ約41mを誇る大鉄橋が織りなすある種の造形美、そして威圧感・・・
これこそが”余部鉄橋”だ、といった感じの圧倒的な存在感というものを与えてくれていたような気がします。
それが、今回全貌を現した2代目新橋梁について、関連する新聞記事に掲載されている写真画像を眺める限りでは、橋脚の数も初代橋梁と比べて少なくなり、且つその橋脚自体も直立したスマートな感じの仕上げになっているあたり、かなりスッキリした印象を与えてくれるところがあります。
そして橋脚と共にコンクリート主体で造られた橋桁と合わせて、何だか未来の鉄路のようなものを予感させてくれるような気がしました。
かつての”余部鉄橋”こと初代橋梁の橋桁は観光用途(展望台)に残す部分を除いて既に撤去が終わっていて、今月4日からはいよいよ目玉の一つである透明アクリル板による防風壁の設置工事に取りかかっており、余部橋梁の新旧架け替え最終段階の工事も佳境に入っているところといえるでしょう。
このあとは線路の敷設や信号等諸施設関係の工事が本格化する見通しで、開通に向けての架け替え最終段階の工事はいよいよ大詰めを迎えることになります。
残すところあと5日───ご先祖の霊が舞い降りるお盆の最中に、真新しい2代目余部橋梁が再び山陰の鉄路をつなぎます。
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『余部橋梁、全容現す』
『余部新橋ピタリ順調、暑さで早くコンクリ乾く』
『鉄鋼からコンクリートへ 余部橋梁架け替え着々』
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