余部橋梁開通までの山陰本線史(現在の餘部駅以東)・・・日本海新聞一掲載記事に触発されて《希望をもたらす存在》
兵庫県北部・但馬地域を走る山陰本線「鎧~餘部」間に架かる、高さ約41mを誇る余部橋梁。
首都圏に於いて「成田スカイアクセス」(京成成田空港線)の開業に沸いた去る7月17日から、”余部鉄橋”こと初代橋梁の山側に隣接して予め建造されていたコンクリート主体の2代目新橋梁への線路付け替えを兼ねた最後の架け替え作業に入っており、先月下旬には新橋梁のうちの緩いS字カーブを描いた東端部の移動・回転作業が行われて香住方手前に位置する於伊呂トンネルの餘部駅方坑口に見事接続しました。
この新橋梁の一部を移設・回転させるという工法はJRに於いては初めての採用例になっているのだとか。
現在ではトンネル部分との線路接続などが行われていることでしょう。
ところで、先日のこと、鳥取の地方紙である日本海新聞のWebサイトに掲載された余部橋梁関連記事の中に、”余部鉄橋”こと初代橋梁が1912年(明治45年)に完成するまで余部集落の住民たちが出稼ぎのため約100km先の京都方面まで歩いていった・・・との先祖から語り継がれてきた証言が紹介されているのに目がとまりました。
これは『100年の歴史に幕 ありがとう、さようなら余部鉄橋』という記事の後半部分に掲載されていたもので、初代橋梁の建設工事に参加していたという元国鉄職員の亡き義母から伝え聞いたエピソードとして紹介されていたものです。
このくだりを目の当たりにした私自身は思わず奮起してしまい、早速余部橋梁完成そして開通に至るまでの山陰本線の歴史について調べてみました。
すると、この余部橋梁と、その西方に控えている、これまた難工事の一つとして伝聞されてきている桃観トンネルが完成・開通したことにより「香住~浜坂」間でレールがつながり、そして同時に京都から香住まで伸びてきていたレールが一気に島根県内の出雲今市(現・出雲市)駅まで通じたのです。
そして同時に、この京都から出雲今市に至る鉄路に対して山陰本線という線路名称が与えられるようになったのだそうです。
つまり、余部橋梁(と桃観トンネル)の完成がのちの山陰本線を形作る重要な役割を果たした、ということがいえるわけですね。
以下にて余部橋梁そして桃観トンネルが完成して「京都~出雲今市(現・出雲市)」間全通となるまでの山陰本線の歴史を辿ってみました。
なお、以下で示している年表では、山陰本線の始まりとされている「二条~嵯峨(現・嵯峨嵐山)」間の開業から始まり、現在の山陰本線・餘部駅(浜坂駅)以東に於ける路線の延伸に絞って記載してあります。
【1897年(明治30年)】 2月15日:「二条~嵯峨(現・嵯峨嵐山)」間開業 《京都鉄道の路線として;山陰本線の始まり》 4月27日:「大宮(※1)~二条」間開業《京都鉄道》 11月16日:「京都~大宮(※1)」間開業《京都鉄道》 《官設鉄道(※2)への乗り入れ果たす》 【1899年(明治32年)】 8月15日:「京都~園部」間開業《京都鉄道》 【1904年(明治37年)】 11月3日:「神崎(現・JR尼崎)~福知山」間全通 《阪鶴鉄道の路線として;現在の福知山線》 11月3日:「福知山~綾部~新舞鶴(現・東舞鶴)」間開通 《官設鉄道(※2)の一路線として;阪鶴鉄道に路線貸与》 【1906年(明治39年)】 4月1日:「飾磨(後の飾磨港)~姫路~和田山」間全通 《山陽鉄道の一路線として;現在の播但線(※3)》 12月1日:鉄道国有法により山陽鉄道が国有化 【1907年(明治40年)】 8月1日:鉄道国有法により京都鉄道・阪鶴鉄道が国有化 【1908年(明治41年)】 3月?日:桃観トンネル着工《現在の「餘部~久谷」間》 7月1日:「和田山~八鹿」間延伸開業 【1909年(明治42年)】 7月10日:「八鹿~豊岡」間延伸開業 9月5日:「豊岡~城崎(現・城崎温泉)」間延伸開業 10月12日:線路名称の制定 「京都~園部」間は京都線 「神崎~福知山~綾部~新舞鶴」間他は阪鶴線 「飾磨~姫路~和田山~城崎」間は播但線 12月16日:余部橋梁(初代)着工《現在の「鎧~餘部」間》 【1910年(明治43年)】 8月25日:「園部~綾部」間延伸開業 《これにより「京都~福知山」間がレールでつながる》 【1911年(明治44年)】 10月25日:「福知山~和田山」間・「城崎~香住」間延伸開業 《これにより「京都~香住」間がレールでつながる》 12月?日:桃観トンネル完成 【1912年(明治45年)】 1月13日:”余部鉄橋”こと余部橋梁(初代)が完成 3月1日:「香住~浜坂」間延伸開業 《これにより「京都~出雲今市(現・出雲市)」間全通》 《京都線全線、阪鶴・播但線の一部が山陰本線に(※4)》 … 【1959年(昭和34年)】 4月16日:「鎧~久谷」間に餘部駅を開業。旅客営業のみ 《余部橋梁西側の橋のたもとに駅設置》 |
【備考】 ※1=現在廃止。当時の官設鉄道線の手前に設置されていたものとみられ、位置的には、京都駅からの距離が0.76kmだったと伝えられていることから、地図サイトを使っての照合と併せて、恐らくは今の梅小路蒸気機関車館の西側あたりに設置されていたものと推測される ※2=この当時の官設鉄道は「鉄道作業局」(逓信省外局;1897年に逓信省鉄道局の現業部門が分離して発足)だった ※3=「姫路~飾磨港」間は1986年(昭和61年)10月31日を以て廃止 ※4=山陰本線に編入されたのは京都線全区間と阪鶴線「綾部~福知山」間、播但線「福知山~和田山~香住」間である |
上で示す年表を作っていて初めて知ったのですが、余部橋梁完成の約半年前にあたる1911年10月25日に香住まで開通した際に、当時播但線の支線として「福知山~和田山」間も同時に開通したことにより初めて京都からの線路がダイレクトに香住までつながったんですね。
正直、これは私にとって驚きでした。
更に前の年である1910年の8月25日に「園部~綾部」間が開通するまで、現在の山陰本線のルート上には、「京都~園部」・「綾部~福知山」・「和田山~城崎」の3区間が飛び飛びに存在しているに過ぎませんでした。
余談ながら、太平洋・瀬戸内海側に於いては、東京と京都・大阪そして神戸を結ぶ現在の東海道本線が1889年(明治22年)の7月1日に既に全通させており、山陰本線最初の開業区間である「二条~嵯峨」間が開業した頃には、神戸から続く山陽鉄道(現在の山陽本線)が、姫路・岡山を通って、広島まで既に開通させています。
余部橋梁が開通してから同橋梁西側の橋のたもとに餘部駅が設置されるまでの約47年間、余部集落の住民たちは、列車に乗るため、地上からの高さ41mの余部橋梁を徒歩で渡り、更に4つトンネルをくぐり抜けて約1.8km離れた鎧駅まで歩いていった───これでも現在からすると大変なことに違いないのですが、余部橋梁自体が完成するまでは、現在のように道路が整備されていない中、少なくとも10km程度とみられる道のりを、生活(出稼ぎ)のため、歩かざるを得なかったことでしょう。
前出の日本海新聞掲載記事に見える「余部集落の住民たちが出稼ぎのため約100km先の京都方面まで歩いていった」とのくだりを実感させられるところです。
余部橋梁開通47年目にしてやっと橋のたもとに餘部駅の設置が決まった際には、喜びのあまり、子供も含めた地元住民たちが駅の土台となる大きな石を海から運び上げるなどして駅の建設を手伝った・・・との話はあまりに有名なのですが、前出の日本海新聞掲載記事によると、余部橋梁建設時にも、橋が完成して都市部と鉄道がつながれば余部にも明るい未来がもたらされる、との期待などから、当時の地元住民たちは大いに喜び、1909年(明治42年)12月16日の着工以来、地元住民の大半が建設に協力し、その甲斐もあって約2年で橋梁の完成にこぎ着けられたのだそうです。
余部橋梁───余部集落の住民たちにとっては生活の一部であり、また生きる希望をもたらしてくれるものなのかもしれませんね。
そんな、余部の人たちと共に歩んできた余部橋梁も、あと10日すればコンクリート主体の2代目新橋梁に生まれ変わります。
7月17日から始まった、初代橋梁から2代目新橋梁への架け替え工事も、現在はその進捗率は9割を超えていると、一部地方紙は伝えてきています。
新しい2代目余部橋梁に生まれ変わっても、開通以来約98年の長きにわたって続いた橋梁の”精神”は、これからも生き続けることでしょう。
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『鉄鋼からコンクリートへ 余部橋梁架け替え着々』
『余部鉄橋の歴史』
『川上幸義の山陰線福知山線鉄道史』
『桃観トンネル 明治44年』
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