小澤征爾、7ヶ月ぶりに姿現す・・・8月1日、奥志賀高原「森の音楽堂」。今夏分「サイトウ・キネン・フェス」から本格復帰
既に9日前の話になってしまっていますが・・・
我らが「世界のオザワ」、正式に復帰を表明してくれていましたね。
去る8月1日、長野県下高井郡山ノ内町に所在する奥志賀高原ホテル「森の音楽堂」に於いて、同所に於いて合宿中の「サイトウ・キネン室内楽勉強会」受講生の面々を集めての公開リハーサルも盛り込んでの小澤征爾・復帰記者会見が開かれました。
今年1月に癌の宣告を受けたことを公表した指揮者・小澤征爾が、自らの助言も採り入れられて建造されたというこの高原の音楽堂の中で、約30社の報道関係者を前に、これまでの経緯などを語りました。
この中で小澤は、1月から5週間、都内の病院に入院、1月末に食堂を全摘出する手術を受けたと語り、体重は15kg減ったが経過は良好・・・とも。
そして、闘病中に小澤を支えた家族に対して感謝の言葉を述べると共に「今日は僕の”第2の人生”の初日」と笑顔で話しました。
記者会見場となった「森の音楽堂」には、今日から始まった「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(SKF松本)今夏開催分に於いて、小澤の代わりにオペラ公演『サロメ』のタクトを執ることになっているイスラエル出身の指揮者、オメール・メイア・ヴェルバーも来ていて、会見の話題がSKFのことに移ると小澤がヴェルバーを会見席に呼び寄せ、そして「彼の未来が松本から始まる」と、今も断続的な戦闘状態の最中にあるイスラエルが生んだこの新進気鋭の指揮者に期待を寄せていました。
また、この記者会見に先立ち、約30分間、「サイトウ・キネン室内楽勉強会」を受講しているアジアの若手音楽家たちを集めての公開リハーサルを行い、座しての指揮となったものの気合い十分で『弦楽セレナーデ』(チャイコフスキー)ともう1曲を指揮し、回復ぶりをアピールしていました。
この公開リハーサル付き記者会見の2日後、同じ場所で「サイトウ・キネン室内楽勉強会」受講生と小澤による「小澤征爾と森のオーケストラ」と題されたコンサートが開かれ、受講生の一部が入れ替わり立ち替わり室内楽作品を演奏する室内楽演奏と、小澤指揮による『ディヴェルティメント ニ長調K.136』(モーツァルト)の演奏などが行われました。
小澤の助言も採り入れられて建造された「森の音楽堂」に於いて開かれた、この小澤にとっての復帰第1号となった記念すべき音楽会に実際に立ち会ったという人たちからのレポートがネット上に寄せられてきており、私自身確認がとれた分だけでも・・・
『小沢征爾と森のオーケストラ』
『小澤征爾と森のオーケストラ 奥志賀高原ホテル 森の音楽堂 *長野』
『「小沢征爾と森のオーケストラ」 ...雲の上1500Mに流れる調べは「愛」』
これら列挙のブログ内記事3本を見つけることが出来ました。
詳細についてはこれらブログ内記事たちに譲るとして、公演の後半で演奏された『ディヴェルティメント ニ長調K.136』───自身の体調から座しての指揮となった小澤であるが、気力を振り絞り、全身を使って音楽出来る喜びを表しているかのような指揮っぷりを見せていたみたいですね。
そして、この記事を書いていく過程で、小澤の師匠である齋藤秀雄と『ディヴェルティメント ニ長調K.136』の関わりについて記されたWebページ『モーツァルトを旅する(24) ディヴェルティメントニ長調K136 ー師弟の記念碑ー』を発見、これによると、齋藤もまた、自身が亡くなる3~4週間前、医師の制止を振り切って志賀高原に桐朋学園オーケストラを連れて合宿を行い、そこでこの『ディヴェルティメント ニ長調K.136』を車椅子に座ったままの状態で指揮していたのだそうです。
病み上がりの身で会場で用意された椅子に腰掛けて指揮する小澤の姿に、他界する3~4週間前に病を押して参加した合宿の場で車椅子姿で指揮をした齋藤の姿を重ねてしまうのは変なのでしょうか・・・
勿論「世界のオザワ」には、身体の続く限り、指揮を初めとする音楽活動を続けていって欲しいところなのですが、その「世界のオザワ」と齋藤の間に別ち難い師弟の絆というものが存在するものだから、ちょっと切なく思ってしまうところがありました。
今後は、医師からの指導もあり、当面は国内の音楽活動中心となるとの由ですが、お体を大事に、マイペースで音楽活動を続けていってほしいと私も願っています。
私自身、経済的な事情などもあって、ここ5年ほどは松本の地(というか『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』)に踏み入ることが出来ずにいますが、いつかまた小澤の作る音楽に直に接したいと思っています。
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『小澤征爾復帰、サイトウ・キネンから活動再開』
『小澤征爾さん:がん公表後初の指揮 長野で公開リハ参加』
《→『小澤征爾さん:「第二の人生1日目」 がん克服、来月公演』》
《→『深よみエンタ:小澤征爾がんを克服 「後輩」に力強いエール=佐藤雅昭』》
『小澤征爾さんが復帰会見 がんで食道を全摘出』
《→『「今、指揮ができるなんて夢みたい」小澤征爾さんの会見詳報』》
《→『小澤征爾さん、カーネギーホールに意欲 食道がん乗り越え復帰』》
『小沢征爾さん、7か月ぶりに指揮台復帰』
《→『小沢征爾さん、元気な姿…15キロやせたけど』》
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