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「京阪特急」に纏わる歴史から感じたこと───運転開始60周年。至る所に見られる”日本初の試み”

 昨日から9月───とはいっても、こちら大阪(というか日本全国ですね…)では相変わらず猛暑続きですが。

 

 そして、その昨日(9月1日)を以て、京阪特急が走り出してから丁度60年目を迎えました。

 

 先日、『鉄道コム』に掲載されていた『「京阪特急」が60周年』という記事に触発されて、当ブログでも「京阪特急」60周年に纏わる記事を書きましたが、その過程で、京阪の歴史の中で「これは!」と思わず注目してしまった事項が幾つかありますので、それを話していこうと思います。

 

 

 既に多くの方々がご存じのことと思いますが、京阪電気鉄道は今年(2010年)で最初の路線が開業してから丁度100年目(開業100周年)を迎えます。

 

 その京阪の歴史を紐解いてみると、鉄道界に於ける日本初の試みというものが結構な数見受けられるあたり、心中驚いたものでした。

 

 例えば、「天満橋~五条(現・清水五条)」間で京阪の路線として最初に開業してから4年後の1914年に急行電車の運転を開始していますが、この京阪による「急行電車の運転」が日本の大手私鉄の中では初めての”料金不要の速達電車”とされているとの由。

 

 この当時の京阪の急行電車は、終電後相当の時間を置いて、京都(五条)方そして大阪(天満橋)方からそれぞれ1本ずつ設定され、ノンストップにて1時間かけて走破していました。

 

 終電後に相当の時間間隔を置いて設定されたのは、設定当時、全線にわたって信号機が全く存在していなかったためだとか。

 

 まだ鉄道信号機というものが十分整備されていない時代柄とはいえ、今から考えるとちょっと信じられない思いが正直するところです。

 

 その翌年つまり1915年、日本初となる三位式三現示自動閉塞信号機の導入(!)が進められ、その結果、同年4月1日からこのノンストップ急行が朝夕4往復に増発、更に同年10月27日の「三条~五条」間延伸開業後には、それまでと変わらない所要時間(1時間)で、「三条~天満橋」間を途中四条(現・祇園四条)のみ停車で運転を始めました。

 更に翌年(1916年)の4月1日には主要駅に停車する「急行」が新設され、それまでのノンストップ運転の急行電車は「最急行」に名を改められました。

 

 当時機械仕掛けの鉄道信号機しか無かったであろう頃に、現在当たり前の如く見かけるような色灯式信号機をいち早く導入するあたりもあっぱれなのですが、「最急行」については、私自身、これまで東京からの官設鉄道東海道線に続く旧山陽鉄道(現在の山陽本線)で運転を開始した、いわば特急の前身的存在という認識しか無かっただけに、同様のことを関西の大手私鉄である京阪もやっていたという事実にはある種の衝撃を受けました。

 

 こうした一連の史実に、思わず関西在住の鉄道好きの一人として誇りに思ってしまいました。

 

 ただ、この京阪の「最急行」は設定から僅か4ヶ月で廃止されてしまい、その後は、京津線に直通する「びわこ」号を除き、戦後期に入るまで京阪に於いては特急の類は設定されませんでした。

 

 

 戦後、今からちょうど60年前の1950年9月1日、当時の1000形・1100形車両による特急電車が京阪本線に於いて初めて運転を開始、その当初から「京橋~七条」間をノンストップで運行していました。

 

 運転当初の特急は朝夕のみの運行でしたが、翌年(1951年)から2年かけて初の特急専用車両である1700系電車が都合計18両投入されると日中時間帯にも運転されるようになり、更に運転開始2年後にあたる1952年の7月17日には現在すっかりお馴染みになっている”鳩のマーク”が特急のヘッドマークとして使用され始めました。

 

 この、京阪として初めての特急専用車両として投入された1700系電車で採用された車体塗色パターン(上半分マンダリンオレンジ+下半分カーマインレッド)は、後に中之島線開業に伴う全面的塗装変更が実施されるまでの半世紀以上にわたって、その後順次登場する京阪の特急専用車両に脈々と引き継がれていきました。

 

 このあたりで、既に現在の京阪特急の姿の基礎がこの時点で創られてきていたわけですね。

 

 ”鳩のマーク”が登場した翌年(1953年)、日本で初めてのカルダン駆動方式採用車両である1800系電車が登場、そしてこの新系列車両の一部に、沿線に所在する松下電器産業(現・パナソニック)の協力を得る形で、当時デビューして間もないテレビが搭載されて「テレビカー」と称されるようになったわけですが、当時の利用客の間からは”走る街頭テレビ”とも称される等して評判となったそうです。

 

 その後、1971年の7月1日に特急専用車両としては5代目となる初代3000系電車が登場、初めてカラーテレビ(磁気シールド強化版)が搭載されたほか、冷房完備でオール転換クロスシートを備えたこの系列車両は利用客から予想以上に好評を博し、それまで特急専用車両として運用されてきた非冷房の1900系電車を一般用車両に追い遣るほどだったとか。

 

 この初代3000系電車の、いかにも京阪らしさ(ウルトラマンっぽい?)を感じさせてくれるような前面形状は、私自身にとって、京阪のことを知るきっかけを作ってくれた大切な存在であるように今も思っています。

 

 そんな初代3000系電車の全盛期とも言える頃の映像が『YouTube』に残っているのが見えました。

 

  『京阪 三条駅 Keihan Sanjo station
  『京阪 3000系 特急 Keihan, Ltd.Exp.

 

 何れも「七条~三条」間がまだ鴨川堤防上に敷設されていた頃(撮影年「1984年」→JR発足3年前)の三条駅などをとらえた貴重な映像になっているわけですが、1本目の動画では地上時代の三条駅に出入りする列車たちを、2本目の動画では同じく地上時代の三条駅を発車する初代3000系電車による淀屋橋行き特急を、それぞれとらえています。

 

 そして、1本目動画から、当時の京阪特急は6両編成で運転されていたことがわかります。

 

 上にて列挙した動画2本が撮影されてから3年後、つまり国鉄が分割民営化されて7つのJRが発足した年・1987年の6月1日、京都側の「七条~三条」間が地下線化され、更に2年後の1989年9月27日には「三条~出町柳」間が延伸開業(鴨東線開業)、これに伴って、京阪特急の運転区間も「淀屋橋~出町柳」間に拡大───この運転区間拡大は1950年の運転開始以来初めてのことです。

 

 これと同時に、現行の特急専用車両で6代目にあたる8000系電車が新規投入されました。

 

 この8000系電車の新規投入当時、京阪の社内ではそれまでの初代3000系電車に対する車両補充的な位置付けで考えていたそうで、投入初年(1989年)には7両編成1本と既存の初代3000系電車に組み込むための中間車5両が製造されたのみでした。

 

 ところが、いざ投入してみると乗客たちの間で予想以上の好評を博したところから、一転して初代3000系電車からの総置き換えに方針転換されたといわれているわけですが、このあたりは初代3000系電車が新規投入されてから増備に至るまでの経緯と類似していて、私自身も興味深く感じるところです。

 

 余談になりますが、8000系電車新規投入初年(1989年)に唯一単独編成として落成・投入された8001F編成に関して、2008年から始まった京阪既存車両に対する全面的塗装変更にもかかわらず従来の塗装パターンのまま残されてきましたが、本日(9月2日)を以て従来塗装のままでの運用に幕を下ろすこととなりました《その後は同じように塗り替えを施工を受けるのだろうか、それとも製造から20年以上経過していることから廃車処分にされるか───でも20年少しで廃車処分はちょっと早いかな》。

 

 

 あ、一つ忘れていましたが、京阪特急として運転開始以来脈々と受け継がれてきたものとして、先に記した車体塗色パターンの他、これも先に記していることになりますが、「京橋~七条」間ノンストップ運転があります。

 

 この「京橋~七条」間ノンストップ運転が行われていた当時、競合するJR(旧国鉄)や阪急京都本線に於いても同様のことが行われていましたので〔JRは新快速で「京都~大阪(のちに新大阪)」間、阪急は現在の京都本線ルートに於ける旧特急で「大宮~梅田(のちに十三)」間、それぞれノンストップ運転を実施〕、これもある種の流行(というか傾向)かなぁと思ったりもしていましたが、どうやら当時の沿線人口の少なさ(特に阪急沿線)が背景の一つにあるみたいですね。

 

 この京阪特急のノンストップ運転は40年以上にわたって受け継がれてきたわけですが、バブル経済崩壊に伴って特急利用客が減少傾向に転じたことに加え、競合するJR線(東海道本線→JR京都線)が運行している新快速に於いて居住性や高速走行性能に優れた221系を大量投入するなどして攻勢をかけてきたことで戦略変更を余儀なくされた結果、1993年1月30日のダイヤ改正で平日朝の淀屋橋行き特急に限って中書島が新たに停車駅に追加されたことによりその伝統の一角が崩されることになり、更に4年後の1997年3月22日に実施されたダイヤ改正では同じく平日朝の淀屋橋行き特急に於いて中書島に加えて枚方市も停車駅として追加、そして20世紀末となった2000年の7月1日に実施されたダイヤ改正によって京都側の中書島・丹波橋両駅が終日停車駅として正式に追加となって、ここに運転開始以来続いてきた「京橋~七条」間ノンストップ運転の伝統は潰えることになります。

 

 私自身は、この「京橋~七条」間ノンストップ運転が実施されていた頃の京阪特急で、北山に所在する京都コンサートホールで開催された各種演奏会に聴きに行くなど、馴染んできている一人ですので、JRとの競合などが背景にあるとはいえ、このノンストップ運転の消滅はちょっと残念に思ってしまうところがあります。

 

 今でも想い出の一つとして残っています───尤も『YouTube』にはノンストップ運転が実施されていた当時の京阪特急をとらえた映像も、数は少ないですが、寄せられてきているので、その映像で当時を偲ぶことは可能です。

 

 その、ノンストップ運転が行われていた当時の京阪特急をとらえた一例を以下にて示します《但し動画1本目のみ一般車両も登場します》。

 


京阪淀屋橋駅にて(1991)春
《今では聞かれなくなった旧式案内放送が聞こえます》



驀進!京阪特急
《天満橋発車後から守口市通過まで(抜粋)》



驀進!京阪特急2
《寝屋川信号所付近、及び「樟葉通過後→中書島通過」(抜粋)》

 

 なお、以上示しました3本の動画群のほか、6年後の1997年に撮影された、淀屋橋から出町柳までの全区間通しによる前面展望映像も『YouTube』に寄せられてきているのが見えますが、これに関しては『9月1日、「京阪特急」運転開始60周年』の中で紹介しています。

 

 

 京阪特急(「びわこ」号を除く)が運転を始めてから昨日で60年、そして今日、運転開始の翌年から脈々と受け継がれてきた京阪特急塗装を纏った車両(8001F編成)の運用が終わりを迎えます。

 

 2003年9月6日に施行された京阪の白紙ダイヤ改正に伴って駅構内の案内表示や駅及び車内の案内放送が全面的に更新されてしまい、更には2008年の中之島線開業なども相まって、ノンストップ運転時代の京阪の姿とはえらく様変わりしてしまっているような印象を受けるところなのですが、今一度、これまでの京阪特急の姿を偲びつつ、これからの京阪の姿にも目を向けていようと思います。

 

 

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コメント

南八尾電車区 様
こんばんは、私は大学時代(71年~74年)は京都の上賀茂まで、京阪と京都バスで通学していました。京橋発6:45だったと思いますが、三条京阪まで45分ぐらいでした。

まだ京都地下鉄もない時代で、片道3時間は大変でした、しかし特急の車内で熟睡できるのが良かったですね。

テレビカーもありましたが、画質はあまり良くなかったと思います。

 ころぼっくるさん、こんばんは。


 1971~74年といえば、京阪の初代3000系電車がデビューした頃であり、当然の事ながら「七条~三条」間は鴨川堤防上を走っていて、京都市電も存命だった頃───残念ながら、私自身、地上を走っていた頃の「三条~七条」間に乗ったこと無いまま終わってしまいましたが、『YouTube』に残っている映像から、鴨川堤防上の、風光明媚な場所を走っていたみたいですね。

 何だか、少し後悔してしまいそう・・・


 それにしても、通学で片道3時間かかっていたとの由ですが、想像するだけでも大変なことのように感じます《京阪特急の車内で身体を休めたにしても…》。

85年の高校入学から予備校を経て大学を出るまで、大方七条〜稲荷辺りを生活の場としていた僕にとって、嬉し懐かしいトピックスでした。しかし当時主に通学で利用していたのは国鉄であり、東福寺の駅で見る京阪の車両はどれも綺麗で、ほぼ全てが冷房車だった事に憧れを感じてました。京阪を利用出来たのはバイトや遊びで四条に繰りだす時くらいでしたが、七条からの短区間ながら特急車両に乗ったりするのに胸踊らせたのが懐かしいです。

鴨川堤防上を走行していた当時の夜間の特急には、3両で走る淀行きなんてのが有りませんでしたか?バイト仲間とびっくりした記憶が有ります。淀屋橋から来た7両を三条で切り離してましたね。残りの4両がどうなったのかは知るよしも有りませんが。

話は変わり、先週の平日夜に、数年振りに四条河原町を歩き、特急で淀屋橋まで向かいましたが、町に人が少なくなった気がしましたが、気のせいでしょうか?21時過ぎに出た特急も停まる毎にお客が少なくなり、元々お客の少なかった車両も樟葉を出ると一層寂しくなり。でも枚方で乗車が有りホッとしましたが、特急の停車駅増加も頷けました。

以上、長文失礼しました。今後も楽しいトピックスに期待してます。

 テックスさん、こんばんは。
 色々と興味深い話をありがとうございます。

 「淀行き特急」の存在については残念ながら存じませんが、ネット上で調べてみたところ、1987年6月1日の京阪ダイヤ改正施行前まで、早朝・深夜時間帯に3~4両の特急が運転されていたみたいです。
 もしかすると、この”3~4両の特急”の中に、淀車庫への入庫を兼ねた淀行きの特急が設定されていた可能性有りですね。

 文面から、テックスさんはJR発足(国鉄分割民営化)前後の時期に高校・大学生活を送られているように察します───東福寺で国鉄といえば奈良線ということになるわけですが、その奈良線が本格的な変貌を遂げるようになるのはJR発足後のことであり、旧国鉄時代には、1984年に電化されるまで、奈良線に対して設備投資は殆ど為されていなかったそうです。

 それにしても、「国鉄」という文字を目にするにつけ、私もまた無性に懐かしさというものを覚えてしまいます(歳がバレそうですが・・・笑)

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