半世紀駆けたキハ58系定期運用退く・・・3月11日。日本歴代気動車最多車両数誇る。高山本線富山口が最後の舞台
ここのところ、今年施行されたJRグループ定例ダイヤ改正に伴って引退となった北陸地域に於ける列車・車両3件について触れてきています。
前回(2回目)は”食パン電車”こと419系交直流近郊形電車についてとり上げました。
今回は最後の一つ、高山本線の富山県内区間(JR西日本管轄区間)に於いて、最後まで定期運用に就いてきたキハ58系気動車について触れていきます。
キハ58系気動車が登場したのは1961年のこと。
これは、同じく今回施行されたJRダイヤ改正で姿を消した特急「雷鳥」が誕生する約3年前にあたります。
つまり、今年でデビューからちょうど半世紀───旧国鉄からJRにかけて抱えてきた様々な事情(巨額の債務・労使問題など)が背景にあるにせよ、これは凄い!
登場当時進められていた蒸気機関車(牽引列車)からの置き換えを目指す「無煙化」の波に乗るなどして、登場初年から1969年までの9年間にわたって大量生産され、最終的には「キハ58系ファミリー」(北海道向けキハ56系・旧横軽アプト線対応キハ57系・一般仕様キハ58系)全体で1,800両を超える数を生産、日本に於ける歴代のディーゼルカー(気動車)の中で最多となりました。
日本全国の気動車急行列車網の確立に貢献したこのディーゼルカーは、1980年以降、普通列車向けへの転用が増え、更には1987年の国鉄分割民営化(JR発足)によりそれまでの約3分の2にあたる車両数がJR旅客各社に引き継がれてからは、非電化線区の普通列車用のほか、団体専用列車向けジョイフルトレインに改造されるものも現れましたが、赤字ローカル線廃止や車両老朽化などにより数を減らしていきました。
キハ58系といえば、私の場合、旧国鉄時代には福知山線を走っていた急行(「だいせん」か「丹波」・・・どっちだったかはよく覚えていないけれど)などでお世話になり、JR発足後も紀勢本線の非電化区間(新宮以東;JR東海管轄エリア)に於ける普通列車を中心に幾度と無くお世話になってきています。
停車中に於ける「カランカランカラン」というふうに聞こえるアイドリング音もさることながら、停車駅に於けるドアの開け閉めにもこのディーゼルカー独特の味わいというものを感じていました。
徐にドアが開き、開ききったところでドア自体のゴムに当たったときの「ボン」という衝撃音と共に「プシュッ」という何だかガス抜きを思わせるかの如くの音もセットで聞こえてくるあたりがこのキハ58系ならではの味わいと感じていたものでした。
そして、この瞬間にドアは手動で開け閉め出来る状態になるため〔一部例外もあったような…〕、乗客の乗り降りがないときには勝手に手で閉めたりしていたものでした───あ、勿論乗客が来る気配を感じたら開けたりもしましたよ(冷汗)
閉まるときも、3分の2ぐらいのところまでポンッとつき放たれるが如くに閉まり、そこで一旦止まってから残る3分の1の部分も再び1度止まる動作を挟んでから完全に閉まる・・・という流れとなっているあたりもキハ58系らしさというものを感じていました。
また、乗っていて聞こえてくるエンジン音は何処か籠もった感じに聞こえ、線路のジョイント音もまた籠もった感じ───こうした音もまた今となってはキハ58系ならではのものとして頭に焼き付いてしまっています。
私自身にとっては印象深い車両の一つなのです。
2008年11月2日に四国島内からキハ58系が姿を消して以来、私の頭の中からキハ58系の存在がしばし薄れていたところなのですが、今回施行されたJRダイヤ改正で北陸地域にてキハ58系が引退するとの報せに接したところから、再びその存在を認識するようになりました。
初めのうちは城端線か氷見線あたりで走っているとばかり思っていたのですが、報道記事などを読むにつれて、城端線や氷見線ではなく、高山本線・富山口区間にて最後のお勤めをしてきていることがわかりました。
しかも、その高山本線に於ける運用が日本国内で現在唯一の定期運用になっていたそうで───現在は旧国鉄急行色編成1本(「キハ58 477」+「キハ28 2360」)と、ワインレッドに白帯という取り合わせのいわゆる”高岡色(2001年春登場版)”編成1本(「キハ58 1114」+「キハ28 2346」)の合わせて2本(計4両)が在籍しているとのこと。
それにしてもどういう思いこみから「城端線」や「氷見線」が出てくるのだろうか───何かと勘違いしているのだろうか・・・
と思っていたところなのですが、調べていくうち、かつては本当に城端線や氷見線でもキハ58系が運用されていたみたいです《車体塗装パターンは別にして───それにしても、すっかり忘れていた私(瓦斯爆)》。
それはさておき───しかしながら高山本線に於いては、私自身、キハ58系車両への乗車記憶は無かったような気がします。
高山本線に於いて普通列車として乗った記憶がある車両としては、キハ58系と同じく旧国鉄時代に製造されたキハ40系ファミリーと、JR西日本が開発したキハ120形ぐらいか───ただキハ120形に関しては、だいぶ前に高山から富山に向けて乗ったことがあり、その際には、本来ワンマン運転されるべきところ、JR東海管轄区間内ではJR東海の運転士と車掌が乗務して通常のツーマン運転をしていたことを覚えています《JR西日本によるキハ120形気動車がJR他社の運転士により運転される唯一のケースとして、強烈な印象を受けました》。
そんな、高山本線・富山口区間に於いて唯一残るキハ58系の定期運用も、今回施行されたJRグループ定例ダイヤ改正によって消滅することになり、今月(3月)に入ってから「ありがとう キハ28・58」と書かれた特製ヘッドマークを前面貫通扉に掲出。
このヘッドマークは富山のシンボルの一つである立山連峰を背景画に選んでおり、八尾町地区に伝わる「おわら風の盆」の踊り手の姿も描き入れられており、また「ありがとう キハ28・58」の傍らには富山駅の日付入り改札印(入鋏スタンプ、チケッター)も小さめに描き込まれているのが見えました。
何だか「ありがとう キハ28・58」という筆書に添えられた落款印を思わせるが如くに描かれているその改札印の中に見える「3.11」という日付表示が、まさしくこの高山本線に於けるキハ58系の運転最終日となっているあたり、これは心憎い演出だなぁ・・・と感心しきりの私。
それはさておき、運転最終日となった去る3月11日、キハ58系にとっての最終列車となった富山行き893D(越中八尾20:01始発)には鉄道ファンらが惜別のため数多く乗り込み、また終着・富山駅のホーム上にもキハ58系の最後の姿を一目見ようと多くの鉄道ファンなどのギャラリーがカメラ片手に駆けつけていた様子《893Dの前に組まれていた、富山からの888D(富山19:11始発→越中八尾19:36終着)とを合わせた1往復が、高山本線に於けるキハ58系にとっての最後の定期運用となりました》。
『YouTube』にもそのキハ58系最終列車「893D」運転の模様などをとらえた映像がアップされているのが見え、私も早速幾つか視聴してみました───懐かしきキハ58系のディーゼルエンジンの音に線路ジョイント音、そこに始発駅発車直後と終着駅到着直前に鳴らされるオルゴール(なんでも「アルプスの牧場」を基にしているのだとか…)も相まって、何だか懐かしさがこみ上げてきました。
それにしても、JR西日本管轄の高山本線・富山口区間で定期列車としての最後の余生を送ることになっていたとは全く知らなかった───前回とり上げた”食パン電車”こと419系電車と同様、恐るべしJR西日本(ん??)
でも、そんなJR西日本のやっていることが、関西圏に在住する鉄道好きの一人として誇りに思ったりもします(瓦斯爆)
キハ58系よ、永遠に!
◎ 参照記事(本文中紹介分を除く)
『高山本線のキハ58にありがとうヘッドマーク』
『【JR西】高山本線キハ58系、「ありがとうキハ28・58」ヘッドマーク掲出』
『JR高山本線時刻表(平成22年3月13日改正)』
『キハ車両 最後の雄姿 富山駅に多くのファン』(『47NEWS』内)
『キハ58系急行型気動車』
《→『755.高山本線のキハ58系に「ありがとう」ヘッドマーク取り付け』》
『jr四国 キハ58 まもなく引退』
《→『今日の一枚 JR四国キハ58・65 彼らから学んだ”写真を撮る理由”』》
『高山本線富山口のキハ58系に乗車』
『JR西日本 キハ58・28・53形 高岡色(新色)』
『よき日の高岡鉄道部城端線、氷見線』
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