旧「大阪厚生年金会館」在りし日の姿、動画で偲ぶ・・・「オリックス劇場」の前身、2010年3月末閉館。ライヴ模様も
かつて「大ホール」と「中ホール(のちの”芸術ホール”)」の2つのホールを擁していた大阪厚生年金会館《通称「ウェルシティ大阪」》。
ポピュラー系統を中心とした商業公演はもとより、アマチュア音楽団体・舞踊団体などにも数多く利用されてきたこの文化施設は、結婚披露宴などで活用された宿泊施設部分と共に、年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO) を経てオリックス不動産の手に渡り、ご存じの通り、かつての「大ホール」のみ改修されて「オリックス劇場」と呼ばれる民間文化施設として再スタートを切りました。
前回掲載記事までの連続2回にわたって、旧大阪厚生年金会館・大ホールをリニューアルして再出発を切ったオリックス劇場に纏わることを記してきましたが、実はその過程で、旧大阪厚生年金会館時代を偲ぶ映像に出会いました。
これは『YouTube』に寄せられてきているもので、「オリックス劇場」として再出発を遂げた「大ホール」を初め、惜しくも葬られる運命となってしまった「芸術ホール」や、結婚披露宴で使用された宴会場など、計2人の手により、都合5本の動画にわたって収められています。
”都合5本の動画”と記しましたが、正確に言うと、旧大阪厚生年金会館のうちに撮影されたのはこのうちの4本であり、残る1本は「オリックス劇場」として再出発する直前の姿をとらえています。
生憎私自身、正直申せば、旧大阪厚生年金会館に殆ど足を運ぶことはありませんでしたが、インターネットなどを通じてその姿を幾度となく拝ませて貰っているだけに、在りし日の旧会館の姿をとらえた動画たちに出会った時、何とも言えぬ無念さを感じたものでした。
そこで今回は、今は亡き旧大阪厚生年金会館の在りし日の姿を、『YouTube』に寄せられてきている関連動画たちを通じて、改めて偲んでいこうと思います。
まずは、旧会館のエントランス及びロビーをとらえた映像から。
当たり前のことかも知れませんが、ここから「大ホール」や「芸術ホール」等へと通じていたわけですね。
次に、結婚披露宴などで使用された宴会場やレストランなどを収めた映像。
この映像の初めのところで、のちにご紹介する「大ホール」内部の一部をとらえた映像も登場します。
ここで披露宴を挙行し、新しい生活(というか新婚生活)に入った人たちは数知れないことでしょう。
次は、旧会館がオリックス不動産に売却されてから唯一存続されることが決まり、大幅改修を経て「オリックス劇場」と名を改められリニューアルオープンすることとなる「大ホール」の内部を収めた映像。
ご存じのように、旧会館は2010年3月末日を以て閉鎖されましたが、この映像ではそれ以前の、つまり「オリックス劇場」として生まれ変わる前の姿を余すところなくとらえています。
言うまでもないことですが、この大きな空間は、大阪城ホールやフェスティバルホール等と共に、ポピュラー音楽系統のアーティスト達の間では関西圏に於ける”聖地”の一つとして見られていた模様。
実際、多くの国内外著名アーティスト達がこの空間を活用してライヴを行い、ファンと一時を共有していました。
その一方で、これは昔の話になりますが、楽聖ベートーヴェンの生誕200年の年・1970年(大阪万博開催の年!)までの2年間、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会の会場としてこの大空間が使用されたこともありました。
その中で、ベートーヴェン生誕200年の前年にあたる1969年の暮れ(正確には同年12月5日)に行われた大阪フィル第80回定期演奏会(大阪フィルによる”ベートーヴェン・チクルス”の一環として開催)では、当時28歳の新進気鋭の指揮者だった秋山和慶のタクトの下、オール・ベートーヴェン・プログラムにて行われました《当ブログでもお世話になっているブログサイトの一つを運営する人が実際にこの定期公演に立ち会っており、そこで演奏されたベートーヴェンの第7シンフォニーが今でも印象に残っている旨の証言をしています》。
最後は「芸術ホール」───かつては「中ホール」と称していた劇場空間です。
収容座席数は「1100」で、大ホールの座席数「2400」の半分以下でありますが、大阪市内中心部にありながら全日使用でも40万円前後(平日の全日使用で35万円程度)という収容規模のわりに比較的低廉な使用料金設定が奏功してか、プロ・アマそしてジャンルを問わず、数々のアーティスト達に活用されました。
けれども、オリックス不動産への売却後、こちらは存続されることなく取り壊されてしまいました。
余談になりますが、実は私自身もこの「芸術ホール」(だったように記憶…)で開催された「協奏曲の夕べ」に、チケット懸賞に当選したことを契機に、聴きに出かけたことがありますが、2階席から聴いていて、何と言いますか、何となくこもったような感じに聞こえていたかな・・・
ここまで、在りし日の旧大阪厚生年金会館が擁していた施設をそれぞれとらえた映像を紹介してきましたが、既に記していますように、これらのうち「大ホール」だけが改修を経て、民間文化施設である「オリックス劇場」として去る4月8日にオープンしたわけです。
その、「オリックス劇場」として再出発しようとする旧会館の「大ホール」の姿をとらえた映像がこちら。
外観はほぼ旧会館時代のままですが、上部に「ORIX」ロゴが新たに取り付けられているのが見えます。
そして、この「オリックス劇場」の左に見える、ぽっかり空いた空間が、旧会館時代に「芸術ホール」や宿泊施設部分が建っていた場所。
正面から見て半ば観音開き風な外観を備えていた「芸術ホール」は、跡形もなく消えていました───なおウィキペディア解説ページ内に、在りし日の「芸術ホール」外観をとらえた写真画像が今も掲載されています。
今回の記事の終わりに、旧大阪厚生年金会館時代、2つのホールでそれぞれ行われていた公演ライヴをとらえた映像をひとつずつ、紹介しようと思います。
何れも『YouTube』に寄せられてきているものの中から独断と偏見によりピックアップしたもの───在りし日の旧会館に於ける活用記録として捉えて頂ければ、そして偲んで頂ければ幸いです。
「中ホール(芸術ホール)」からは、1988年11月27日に行われた大阪市立大学ギターマンドリンクラブ第24回定期演奏会から、熊谷賢一作曲『マンドリンオーケストラのためのバラード第5番「大地の詩」』演奏の様子。
そして「大ホール」からは、施設売却が目前に迫っていた2009年4月17日に行われたシンガーソングライターで、”黒夢”及び”SADS”のヴォーカリストでもある清春がソロアーティストとして開いたコンサート「清春Live”PLAY OF 『MEDLEY』”」から2曲分《当該ライヴの約半年後にあたる同年10月15日、年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)によって旧会館は競売にかけられ、前記の通り、オリックス不動産が落札することになる》。
改めて、在りし日の旧大阪厚生年金会館を偲びつつ、去る4月8日に再スタートを切った「オリックス劇場」の今後の発展を願うところです。
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はじめまして。
当方、長年旧大阪厚生年金会館にて仕事をさせていただいていましたが、他の会館関係者から懐かしい映像が観れるよと聞いてこちらにたどり着いたのですが、動画が削除されており観ることができなかったので残念に思っています。
特に今は取り壊された中ホールについては働いていた身でも写真を残していなかったので、ぜひとも拝見させていただきたいと思い、書き込ませていただきました。
不躾なお願いで恐縮ですが、なんらかの方法で観させていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
投稿: こあぶろ | 2020年11月25日 (水) 20時02分